形にこだわるのは…

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何でも「させて頂きます」をつけて上質な対応をしたつもりになっていたり、別れた後にしばらくしてから相手の方を振り返って態度を確認するような、形にこだわっては相手の質を判断しようとする方がいらっしゃいます。これこそが、質を感じていない証です。

質を感じていれば、逐一相手を見張るような、じろじろと細部まで見るような、自己中心性丸出しの態度は生まれません。まったく必要ないからです。

形にこだわる方は知識をたくさん身につけ、それを正解とみなしては、そこに隠れているだけなのです。

質を大切にしたから、ふさわしい形がついてきたのではなく、上質に見せるための形を正しそうなところから引っ張ってきて寄せ集めただけなのです。

最後に、形にこだわることは、ご自身を癒える方に配置することの真逆であることは、お伝えしておきます。

会ったことのない人にも、席を用意する。

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そこにいない人にも、まだ会ったことのない人にも、席を用意するのが、思いやりです。

出かけている家族の分も考えて、ケーキを切り分けるでしょう?

あなたが将来すてきな人に出会うのなら、あなたをうんと成長させてくれる人に出会うのなら、その人にもあなたの心の中に、席を用意しましょう。

同じように、通りすがりだけの人にも、1本通りを挟んで顔を見ることなく通りすがる人のためにも、席を用意しましょう。

その人たちは、あなたが将来出会うすてきな人やあなたを成長させてくれる人を助けてくれる人かもしれません。そして、そんなふうにあなたに利益は一切もたらさない存在なのかもしれません。

でも、利益をもたらすかどうかで存在に感謝をするしないを決めるのは、おかしくありませんか?そう発想するなら、あなたは誰かの利益になろうと日々自分に「わたしは/僕は、存在するだけじゃダメなんだ」と言いつづけていることになります。周りも苦しめてしまう信条を生きているということです。

思いやりとは、そこにいない人だけでなく、まだ会ったことのない人にも、彼らがあなたに利益をもたらすかどうかによらず、席を用意することです。これが、癒える方に自分を配置した人が、毎朝毎晩当たり前にしていることです。

Freshness

I know that people need to have a sense of belonging as a basic need. And nobody should be excluded. On the other hand, currently, many people have a tendency to excessively  attach a sense of belonging. For example, many homemakers rush to buy storage goods like storage racks and storage boxes at 100 yen shops. They believe that all things have a sense of belonging, so they gently write the address on each of things. They feel guilty if something is not in a proper place.

But the sense of non-belonging is seen as freshness and a surprise to us. In traditional Japanese musical “Noh”, Noh actors believed that freshness and rareness are always in the place of non-belonging. So to survive “Noh”, I interpret that they cherished the sense of non-belonging, . Freshness, surprise and rareness are triggers to attract and recall fun. In other words, the sense of non-belonging continuously gives a life to “Noh”.

So I suggest that we appreciate the sense of non-belonging more.

【募集スタート】新春単発コーチング「真に癒える」

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わたしたちが属するシステム(例:家族)が癒えるには「見る」必要があります。「聞く」では、必要な働きは生まれず、及ばないのです。「それ、○○さんから聞いて、知っていた」は、何も癒さないのです。「実際に、この目で見たんだ」だけが、システムを癒していきます。(この先は、実話ベースの映画『家へ帰ろう』のネタバレを含みます)

アルゼンチンが気になる最近、そこにひっかかった映画『家へ帰ろう』を、内容を知らぬまま、なぜか駆り立てられるように観に行きました。始まってみたら、迫害されたユダヤ人がアルゼンチンに住み始めた話で、アルゼンチンとナチスが結びつかなかった自分の無知ぶりに、頭をハンマーで殴られたのような衝撃を覚えた、2018年の暮れでした。

主人公は、ポーランドで生まれ、そこであの悍ましい経験をします。彼にとって、生まれ故郷ポーランドは発音することすらタブーの土地で、ホロコーストをもたらしたドイツは、通りたくない直に足をつけられない土地です。彼は自分の家族が連行されるのを「この目で見た」からこそ、トラウマを抱えフラッシュバックに悩まされながら、自分を助け親友となったポーランドに住む人のところへ、会いに行きます。

ナンバーの刻印された肉体を持つ彼や彼の娘の姿と、ラテンの小気味よい激しいやり取りの落差が、いい意味で焼き付くようで、そんな中舞台は、途中で知り合ったドイツ人とのやり取りに移ります。彼女の助けで、目的地ワルシャワに近づきながら、加害者も被害者も消える、つまり、ゆるして尊厳を取り戻し今に立つ瞬間があります。ドイツで彼は地面に足をつけたのです。加害者もゆるされた瞬間で圧巻でした。

アルゼンチンにいた時から、医師に切り落とす提案をされていた足は、ワルシャワで病院に運ばれた際、やはり一縷の望みを捨てなかった一人の医師によって、生かされます。ずっと一縷の望みを辿って生きてきた彼は、互いに高齢で生死もわからない連絡もできなかった親友に、自分の足で、つまり自立した状態で会いに行き、二人は窓越しに見た途端、相手を認識します。「この目で見た」から溢れ出すものがある個人間レベルではなく、ホロコーストに関わるシステム全体の癒しが始まる瞬間は、もはや映画とは思えないというか…、現実でした。

祖国に行けない、感謝を伝えたい相手に何十年も連絡できないほどのあまりにむごい非人間的な行いが、ホロコースト以外でもそして過去だけでなく現代でも、起き続けています。時を超えて、システム全体の癒しが必要で、それは「この目で見る」ことから始まるものすごく大きな希望なのだと、この映画に抱きとめてもらった感じがしました。

こうした癒しを、ホロコーストのような距離のあることをきっかけにせず、過去をほじくりかえすことから始めるのではなく、今目の前に確かにあるあなたのリアルから始めていけることは、希望に感じませんか?個人的なエピソードがスタート地点でも、利益をもたらし存在を脅かすような偽の貢献ではなく、みなさんが属する世界全体への真の貢献がドミノ倒しで起きていく時間を、みなさんは今選べるのです。

みなさん自身が真に癒えるとき、それは世界全体を明るい未来へ先導している瞬間です。それを望む方に、単発コーチングをお届けします。

~~新春単発コーチング「真に癒える」~~

■ 日 時:
1月26日(土)13:00 – 14:00 →〆切済
– 1月29日(火)12:00 – 13:00
– 1月30日(水)11:00 – 12:00
– 1月31日(木)20:00 – 21:00

■ 対 象:~ 以下ひとつでも当てはまる方 ~
□ 幸せに向かいたい
□ あの時、幸せに向かえなかった理由を理解していない
□ 並行世界(パラレルワールド)の自分を見たい
□ 良いことを決意する「時」自体を経験したい
□ 時代を超えた動きを理解しはじめたい
□ 災厄や病や死の奥で動く働きを、変容させ始めたい
□ 人生を愛したい
□ 自分を迎えに行きたい
□ 三世代以上前あるいは後に、愛を注ぎたい
□ 生きる力を殺ぐ働きをスルーする態度を会得し始めたい
□ 理に属したい
□ 真実を生きたい
□ 癒える方へこの世界を配置したい
□ 癒える方へ自分の家族を配置したい
□ 癒える方へ自分を配置したい
□ 2019年を最良の一年にしたい
□ 生き直したい
□ コーチングを試したい

■ 手 段:スカイプ or 電話
■ 参加費:30,000円
■ 定 員:3名
■ 〆 切:1月25日(金)21:00
▼ お申し込み:https://globalflowering.com/spot_coaching.html

~ キャンセレーションポリシー ~
お申込みと共に、キャンセレーションポリシー適用となり、お受けにならずとも、セッション費はそのままお支払い頂きます。お子様の急な発熱・弔事・天災によるライフライン断絶時などには、日程を調整し、対応します。過去にクライアントさんだった方に限ってお子様と一緒のコーチング・お子様へのフィードバックも承ります。これまでに頂いた感想は http://wp.me/p2ZjtS-9L5 にあります。

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新春ですから、ご自身を幸せに向かう方へきちんと配置しておくことが大切です。幸せだと信じる方向がまちがっていると、そのまま設定するビジョンは、どんなに努力しても幸せを感じられないという展開を、必ず連れてきます。そんな悲しさとは、縁遠い一年にしませんか?

Graduation from data

When I was a child, I needed a camera to take photos, I needed a CD player to listen to music, I needed a ruler to know the length of something . Each of them exists for one purpose. So we needed to switch our consciousness to go to the next thing without missing a beat. It helped us to decide whether we liked something or not rather than whether we could make something or not.

Now I need only one device like an iPhone to take photos, listen to music and measure. I realized that the feeling that I could do many thiings at once with my hands deprived me of aliveness or life force. Because everything starts to be treated as data. So the world changed from a sphere to pixels. It is like eating chicken soup in separate parts, like carrots first and chicken broth second. In that way, I don’t savor chicken soup in a harmonized way. It is the same as only seeing broken up pixels instead of seeing one picture.

One day I determined to graduate from the pixelated world. For example, I will listen to music as music not data. I want to enjoy music as a whole not as disassembled parts. At least when I was a child, many musicians paid attention to not only to the music but also to the jacket or liner. So I could imagine its music from the liner notes and its work consistently had a clear intention. And feeling the musician’s intention sometimes helped me to go forward. But only streaming digitized music cannot make it.

So I bought a CD player and stopped copying music from a CD to iTunes. Each time I listen to music, I feel like bowing to that musician. They poured their passion into the music, so it is worth bowing to. This also helps me to take back dignity in my whole life. I received conveniences from data, but it is not my future, it is my past.

潔癖 ≠ 穢れていない

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穢れると、人間は動きが雑になります。酔っ払いのそれのように、大きくて乱れた動きになり、部屋が以前よりも早く乱れ汚くなるようになります。

乱れた汚い部屋で、乱れた雑な動きをするので、物を落としたり傷つけたり、打ち身やささくれなど小さな傷がが増えるでしょう。大味を好むようになり始めるので、冬なのにカレーを食べるといった刺激的な方へどんどん進みます。刺激の多いお食事で肌が荒れても、栄養バランスはサプリで補う方へ進みます。

何をするにも「感じる」のではなく、ただそれを済ませるという作業になっていきます。誰がやっても同じになってしまうということです。感じていないので、何かをするときの基準は「心が動いたか」になってしまいます。作業をしていて心が動くわけがないので「いかにたくさんの作業を手早くしたか」という基準で、心を動かそうとします。人からの「よくやったね」をどんどん求めるようになり、いずれそのためにがんばるようになります。

真心を込めるには、心を鎮めて目の前のものと本当に出会う必要がありますが、心を鎮めること自体に、ひどくイライラするようになります。掃除など、毎日のあまり変わり映えしないことに意味を見出せなくなり、例えば、掃除よりも変わり映えのする部屋の模様替えの方を、好むようになります。

それでも肉体は不快を感じ、それを拾えないまま時が経っていくと「テーブルの端から5cmのこの場所にないと、嫌」「これはこの場所にまっすぐおかないと、イライラする」といった強迫的な状態に、入っていきます。潔癖症にもなります。

潔癖であることは、穢れていない状態ではなく、穢れがだいぶ進行しているのに正しい対処ができぬまま、さらにアンバランスになったことを表します。そこまでのあなたの思考が、大幅に間違っていたということです。あやまちはあなたから始まっています。

高砂や

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ひょんなことから、あの結婚式で有名な「高砂や」をプロが丸ごとうたう機会に居合わせ、20代には能楽堂で舟をこいだ私でも、今回はぞくぞくしました。

聞く前に以下を拝見し「住之江」を、疑いもせず「住吉大社でしょ」と思った自分に、驚きました。この辺りが、関西に住んでよかった点の一つです。東京に住んでいた時は、身近にないため、自分の中で辞書をひくように「どこどこにある、あそこね」と、データを整理するような作業が脳内で発生していました。「住之江」とみても瞬時には「どこかの海辺」としか、思えなかったろうと思います。

「高砂や(待謡)

この浦船に 帆を上げて
この浦船に帆を上げて

月もろともに 出汐の
波の淡路の 島影や
遠く鳴尾の沖過ぎて 

はや住之江に 着きにけり
はや住之江に着きにけり」

途中まで「ワレワレハ ウチュウジンデアル」とふざけていう時と、同じような調子で続いてきます。それでも、一音一音はデータとしては聞こえず、一つ一つがずしっと響いてくるのです。「遠く鳴尾の沖過ぎて」から、急に節がついて、一気に風景がびよーんと伸びるような、船が方角を変えるような「いよいよだ」と思うような雰囲気になって、最後の「はや住之江に着きにけり」は、ただただ美しい音楽に聞こえました。

新年は新しい音楽と続々出会うことから始まっているのですが、時々さらりと触れては、すっと距離をとっていた日本の古来からの音楽に、もっと深く触れそうで、楽しみな今年です。みなさんが、今年楽しみにしている、楽しい予感がすることは何でしょう?

縁結び

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「すごく辛かったけど、それがこのご縁もうんでくれたから」そんな風に「めでたし、めでたし」とまとめたくなるなら、ちょっと待ってください。

どんなことも、縁は結んでくれます。当たり前です。それが本当にいいご縁なのか、しっかりと見極められていますか?残念ながら、見極められていないでしょう。

「縁結びになったから」という理由で、心が安定してしまえるおかしさに気づいていますか? 例えば、裏社会に入ることだって、縁結びのひとつです。

「すごく辛かったけど、それがこのご縁もうんでくれたから」と締めくくれる人は、自分で思考しなくなってから、随分時が経ってしまっています。

世の中にふわふわ浮いている、裏で複数の人が囁いていたことを、なんとなく捕まえては、自分の意見だと思い込む癖がついてしまっています。これは、人間として安全な状態でしょうか?

利益 ≠ 存在

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「ご利益があったから、神様は存在する」そんな風に発想する人は、格別にわたしを悲しくさせます。

例えば、木陰に助けられたり落ちた銀杏が臭かったりといった、利益(=良い影響)/損害(=悪い影響)のどちらも私たちが感じないとしても、街路樹はいつもそこに変わらず「存在」しています。

このように、あなたにとっての利益とそれが存在するかは、関係ありません。こうした関係のないものを結びつける動きは、欲望によって先導されます。

良い影響(=利益)を受けたいなら、自分がまずその対象の役に立つことを考えましょう。神様がいるかどうかを自分の利益に照らし合わせてこねくり回す前に「どうしたら神様の役に立てるか」考えたことはありますか?

「あれもこれもいいよね」=否定

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「あれもいいよね」「これもいいよね」と表すことを、肯定だと思っていませんか?これは単に区別されていない状態です。

「あれ」や「これ」と指された対象は、その内実が作品であれ人であれ、状況であれ時代であれ、ショーケースに並んだ宝石であれケーキであれ、「あれもいいよね」「これもいいよね」と表される人によって、こまやかに感じられていません。きちんと見られてないし、触られていないし、聞かれていないし、そうしたすべてを含む「感じる」ことは、なされていないのです。

「あれもいいよね」「これもいいよね」と表されるとき、「あれ」も「これ」も一緒くたにされていて、台布巾で床を拭くような、寝巻きで近くまで出かけるような状態にあります。

区別もなされないほど「感じられていない」こそが、否定です。人混みの中で、親は子を区別するから、迷子になっても、わが子を見出しますし、魚の種類を区別しているから、鮨屋で「さかななら、何でも」という注文はしないわけです。

区別しないとは、「あれ」や「これ」に尊重などない姿勢に他なりません。「あれもいいよね」「これもいいよね」に自分が含まれて、居場所を得た気になっているみなさん、いかがでしょうか?

鈍いと、それをあいまいに感じる。

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コントラストのはっきりしていない、目に見えないから感じ取るようなものは、鈍いと感じ取れないから「あいまいだ」と処理するようです。その自己中心性にただ驚きました。

それは感じ取る力がきちんとありさえすれば、清かに感じ取れる繊細なもので、そもそもコントラストなど不要なのです。

「あいまいだ」と処理したがる人に、その立ち位置や視野にあわせてあげて伝えるなら「そのあなたがあいまいだと捉えているものは、とても安定していて、完璧で完成しているんだよ」となるでしょうか?

自分が感じ取れないからと「あいまいだ」と処理して、コントラストはっきりさせて輪郭をくっきりさせてわかりやすくして、やっと完成すると捉える未熟さには、言葉もありません。

でも、今の日本はどんどんこっちへ進んでいます。完璧に完成したものを「わかりやすく」して不安定にし、繊細なバランスでとても安定したものを「わかりやすく」しては、未熟で下劣なものにすることを、発展/成長/進化などと呼ぶ、お粗末な大人で溢れています。

秋冬春ちゃんぽん

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東京では、季節が大渋滞中で、驚きました。枯葉と若葉がつく樹木に、枯れ枝に開花の低木と、季節外れや狂い咲きという従来の言葉では、抱え切れない現実が展開していました。秋・冬・春がちゃんぽんになっていた、冬のはずの日々でした。

同じように人の中でも、過去・現在・未来がちゃんぽんになって、肉体だけ現在において、脳があっちこっちゆらゆらしている、裂けたチーズになったような在りようの人が、増えていました。悲鳴を上げている肉体に鞭打ちながら、脳の中にひきこもっている、今のはずのいつかの一部になっていました。

脳内に引きこもって、ぐちゃぐちゃかき混ぜることで、肉体にダメージを与えてきた生き方こそ、脳がリードしていたあやまった生き方だと、理解してください。正しく今にいる肉体が、あなたの脳みそにこれからはいろいろと教えてくれて、正しくリードしてくれるでしょう。そういう人が増えたら、植物も人災による天変地異で命をそがれることはなくなり、冬には冬の景色を見られる日々が、戻ってくるでしょう。

譲って、翼になる。

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誰かに何かを譲るということは、自分の気持ちを押し殺して、自分を犠牲にしてということではありません。

あなたがその誰かの翼になるということです。わたしたちは、相手を思いやるとき、その人の翼になっているのです。

そこには、翼にしか味わえない世界があり、喜びや気持ちよさがあるのです。それ自体が報酬になります。窮屈さや苦しみはないのです。

徹底して自分を中心に置く人は、自己陶酔のために、思いやりに見える形をとります。それでは、誰かの翼になる経験は、永遠に訪れないでしょう。

検索エンジン脳

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LINEに代表されるやり取りの仕方が普及してから、崩れたお豆腐みたいな文章をしるす人が明らかに増えました。思考しないで済む仕組みに飛びついた人達が、さらに思考しなくなったと表す方が、正確でしょう。

思考しないようになると、視野は狭まります。その結果、応用力が人生から消えてしまった人がたくさんいらっしゃいます。自分に関係ないキーワードには、反応できないのです。

例えば「母親」「経営」「アルゼンチン」など、気になるキーワードが、みなさんそれぞれにあると思います。ところが、これらのキーワードを使わずに、こうしたキーワードにひっかかる人向けの記事やサービスや会話は、ごまんと存在します。

しかし、思考できなくなると、検索エンジン脳になるので、そうしたものは完全にスルーしてしまうのです。読んでも話しても、応用力がなくなってしまっているから、自分事として咀嚼できず、検索エンジンと同等になってしまっているのです。

世界を、水玉模様に開けた穴から眺めながら検索エンジン脳になっているのに、視野が広く考えることが得意だという、歪んだ自己認識を持つ人が、この5年ほどで爆発的に増えました。マインドコントロールされやすい状態であることは、言うまでもありません。