そのポーズきついから嫌?

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地面に座って、足を前に移動して、つま先や足裏を触れるような前屈を、皆さんのしたことがあると思います。

この時に「背中のストレッチが目的だから、ふくらはぎや太ももはリラックスできる状態を保ってくださいねー」といっても、ふくらはぎや太ももがつりそうになるまで頑張る人がいます。

「ほら頑張ってるでしょう」と言う見栄に他なりませんが、この時に「あのポーズがきついからもうやりたくないな」と言う感想まで持っちゃうのです。

繰り返しになりますが「ふくらはぎや太ももはリラックスした状態を保つように」と、こちらからは伝えているのです。だけどご自身のエゴで「いやいやそんなこと言っても、もっとできるし」とがんばっては「あのポーズはきついから嫌です」と言ってくるのです。

きつい嫌なポーズにしたのは、自分のエゴなんです。そうやって「がんばる」と言うエゴをいつも稼働させて素直じゃないのは、ご自分なんです。背中のストレッチなのに、ふくらはぎや太ももにまで拘るみたいに、いつもフォーカスするポイントを間違えてしまうのは、ご自身の方なのです。こういう状態にあると、失敗や絶望の力を活かしていくことができません。

ほんとに「毎日」必要?

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何かを継続することに憧れる方は、一定数いらっしゃいます。そこから、いいと感じたものと出会うと「毎日やりたい」と思うようです。

でも、実際に始めてみると5日目位でふと忘れてしまっていたり、2週間位したら、あんなに気持ちよかったものも、気持ちよくなくて、スルッと掌から溢れてしまうのです。

そして「やっぱり自分は続けられないんだなぁ」と残念がるのです。あるいは怪我をしているのに続ける、すごく寝不足なのにフラフラしながら続けるような無理をして、本当に続けることが難しい状態にはいったりします。

こんなとき本当に憧れの「毎日続ける」を握りしめるべきでしょうか?その憧れは、あなたを本当に助けているのでしょうか?

「続けられない」という解釈が間違っていることの方が、実はあるんです。「毎日続けられない」ではなく、「それは毎日は続けない方が良い」という、より大きな視野からのバランスに基づく判断が無意識レベルでなされて「つい忘れちゃった」「あまりやりたくないなぁ」と言う心の声として現れることがよくあります。

だから、何かが続かないときは、自分の意識が知るごく小さな視野からのバランスに基づく判断に固執してジャッジに走らず、大きな視野からのバランスに基づく無意識の判断に身を委ねたり、意識と無意識の新しいハーモニーを経験し始められるチャンスに他なりません。

より大きな視野でバランスをとる

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みんな被災者の時代に入りました。天災がふえ、それに伴う人の争いがふえ、さらにはタバコや違法薬物や抗菌洗剤や柔軟剤などの毒物や、以上を理由に狂った人の異常な行動により、みんなが被災者へとなっていくのです。

悩む具体的な要因が違うだけで、みんなが被災者で、もう平穏な生活は望めません。そんな時代には「自分はこれを満たすと心身共に調子良くあれる」という条件を極めて正しく知ったとしても、バランスはとれません。

むしろ「自分はこれを満たすと心身共に調子良くあれる」という条件を満たせない日が多すぎてイライラし、段々と強迫的になるのが落ちです。手すりを握りしめることが、怪我をうむこともあるのです。

だから、健康にいきたいなら、より大きな視野からバランスをとっていくことが必須です。そのためには、失敗の力と絶望の力に背中を押してもらえるようになる必要があります。

きれいな姿勢は人にうつる。

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誰かがあくびをしていると、つられてあくびをしちゃうこと、ありませんか?誰かがきれいに座っていると、思わず自分も姿勢を正した経験はありませんか?

わたしたちは、注目したものの真似をします。だから、普段本当にあなたが注目している人やものは、すごく大事になってきます。

「こうなりたい」と思っているなら、それはすでに体現している人に当然注目すべきです。また、その人と話をできる機会をもつべきで、それはお金も時間も体力も注ぐべき対象の1つです。

「こうなりたい」と思っているのに全然そうなれない人が、実はそうなりたいと思い込んでいるだけで、本当は全く違う方向に注目しているのはよくあることです。

こうした誤差があると、成功なのに失敗だと判断したり、希望があるのに質問と判断し展開が生まれてしまい、密林を行く冒険のような日常になりやすいのです。

できてないところばかり目が向くのは?

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「できてないところばかり目が向く」は、ネガティブに捉えられやすい姿勢です。しかし、そんな風に伸ばすべきところばかり探してしまうのは、実際にそれを失った過去があるからなんです。

失った手の感覚が残るように、わたしたちは失った何かに向かい続け、自分という存在を統合しようとします。潰された才能に意識を向かわせ、何とか復活させようとするから、できているところよりできないところに目が向くんです。これは、自分を再生させるための、尊いいのちの動きなんです。

ただ、それが自分の良さに目を向けられない姿勢に転化されると、着地点が惨めさになってしまいます。気分を変えて、今あるものを伸ばそうとしても、自分の欠点や短所にばかり目が向くなら、失ったなにかを本当に復活させませんか?

その第一歩を一緒に、ふみだしませんか?

形をまもろうとするから、失敗に嫌われる。

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ふと気づくと「できない」って、自分を責めてしまっていると、その焦りと不安から、外へと求めるようになります。ぐらっとしたから、手すりにつかまるのと同じです。

でも、特にヨガなどしている方は、実感としてハッキリ認識されていると思いますが、グラッとしたときに何かにつかまっても、そのポーズがもたらす恩恵には触れられないのです。では、どうするかというと、より一層足裏で大地を押したり、より一層左右の足を押しあうという「力を出す」ことをしていきます。

足を前後に開いていたとしても、内もも同士を押しあおうとする矢印を自分にプレゼントするだけで、ポーズは安定し、効くべきところに効いてきたりします。それは、形をまもろうとするのと、全く違うプロセスです。

つまり、「できない」って、自分を責めているときには、形をまもろうとしてしまっているんですね。お母さんという「形」とか、経営者という「形」とか、自分の本来の質を生かすのとは、違う方向です。形をまもろうとすると、失敗の力や絶望の力を生かそうという発想すら、生まれなくて当然です。失敗や絶望が力をくれるのではなく、あなたを嫌う存在になってしまうんです。

いつでも堂々としている

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日常における失敗、さらにその先で、人生における絶望さえ味方してくれるようになると、いつも堂々としていられるようになります。つまり、いつも堂々としていたいなら、失敗の力や絶望の力を使っていけるようになる必要があります。

例えば、会社を創業して初めはよかったものの、数年後には苦しくなってカツカツの経営が続いて、その後ちょっとメディアに取り上げてもらったら上向いて、でもまたその数年後にはさらに苦しい状態に入って、そのまま20年が経ったとします。そうするとまず、胸の中に浮かんでしまうのは「自分は経営者としてまずいなぁ」という思いだと思うんです。もっと言うと、廊下に立たされているような罰されているような辱めを受けているような、努力しているのになんでこんなにできないんだと、空元気にはなれても、どこか背中が丸くなるような感覚が「いつもの自分」になってしまうんです。

そんな風に、ごく平易にいうなら「できたら、堂々としていい」と、自分に言っている方は、ものすごく多いと思うんですね。もちろん周りからも「あの人経営者としてどうなの?」と思われているとしか思えないような態度をとられるなど、恥を与えられるから、余計にそういう思考に入りやすい条件は整っているでしょう。

そうしていると、堂々とすることに憧れもでるし、堂々とすることが与える印象の大きさも知っているから、さらに空元気にはなるようになって、でも演じていることを知っている自分の中では、ますます「できていないのに」という思いに、二重線がぐりぐりひかれてしまいます。

でも、一見華やかにも見える社長業の中で、一般にイメージだけが先行しがちな経営者という立ち位置にいながら、そういう乱高下があった中で、目の前の商談に集中していき、創業の思いを貫いてきたからこそ、ここまで何とかであっても、会社が続いているわけですよね。ニッコリ笑いながら、足はバタバタさせて、それが20年も続くってすごい体力と気力だと、思いませんか?それとも、同じことを、もう一度余裕でできると思いますか?

「あんなに辛いことをもう一度なんて嫌だ」と思えるなら「自分はここまでタフだったな」と誰がなんと言おうと、自分に伝えてあげましょう。そして、経営がもしかしたらちょっぴり苦手なまま、それでも堂々としていくのです。その先に、厚みのある成功がひらけます。

普段着とよそゆき

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自分の普段着の価値観とよそゆきの価値観の見分けがつかない方は、よそゆきの価値観をもったつもりで酔っている自分を認識できていません。例えば「自然が大好き!」な自分だと思っているのだけど、自然に負荷をかけている自分のことはまるで認識できないケースなどが、該当します。

こうした場合、価値観以前に、ニーズが満たされていく必要がありますが、そこには目を向けないのです。例えば、ごはんは一日おにぎり1個にして、すきな舞台のチケットを買う学生のような感じです。(学生の場合は一時的にそうしているだけでしょうから、短い期間の一時的なものなら、もちろんOKです)

これをずっと続けてしまうと、満たすべきニーズを踏みにじって、実像ではない自分を形作るものへ時間とお金を情熱を傾けますから、実像の方の自分は非常にもろくなります。そして、失敗してもあるところまでは、このよそゆきに酔うやり方で、たまたま災厄を逃れることもありつつ、ある年齢を超えると、あらゆる災厄と直面し続けることになります。

ここで、失敗の力を生かしてこなかったそれまでの人生が、浮き彫りになってしまうのです。つまり、自分の実像に宿る尊厳を守らずに、虚像を守ってきたツケがここで回ってきます。

本より日記に立ち返る

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失敗の力を受け取れる人は、困ったときに誰かの書いた本ではなく、自分の書いた日記やメモに立ち返ります。本棚を見たときに、そうした自分の書いたものがかなりを占めているでしょう。

一方、失敗の力を受け取れない人は、とにかく自分以外の人が書いた本だらけです。

自分の人生は、ユニークでどこにも教科書のないものです。それを機械を分解するように、これは体の事/これはマーケティングの事/これは育児の事のように分解して追うと、困っているときの私たちは、よりバラバラになって、余計に困ったことになります。

自分の人生が、本当にユニークで他にはないたった1つの一点ものであることを受け入れてください。敢えて言うなら、自分の教科書の1部は、自分の書いたものの中に含まれているのです。

価値観ではなくニーズ

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自分が大事にしたい価値観が尊重されないとしても、絶望にはなかなかたどり着きません。価値観というのは、あなたの内的世界を表すもので、刻々と変わっていくものです。5年前に自分の中で50位だった価値観が、1位になるようなことはありませんが、5年前に自分の中で10位だった価値観が、1位になるくらいのことは、誰にでも起きますし、それでいいのです。

ただ、自分が大事にしたいニーズが尊重されない時間が長く続くと、あっさり絶望にたどり着けることがあります。ニーズは人間として在るために必要な物ですから、きれいな空気や身体の安全や生活の維持なども、含むからです。

絶望している人に「大袈裟だ」と伝えたり「価値観が違うだけ」と表す態度は、ご自身が絶望の力を使える状態から、かけ離れていることだけ、表しています。

絶望すら力にかえる底力。

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絶望にも力があって、すごい味方になってくれます。しかし、その前に日常の失敗の力を使えるようになることです。「あぁ、たしかに失敗が背中を押してくれた」と、経験することです。

失敗の力を使えていない人は、ジャッジして思考を停止した様を「自分はよく考えた」と認識していたり、ジャッジする声を自分の本音と思っていたりします。ジャッジする声をいつも回避しないとつらいから「あなたが大事にしている価値観は?」と言われた時なども、本当に実際に大事にしているふだんぎの価値観ではなく、理想的にはこれを大事にしていたいというよぞゆきの価値観を述べてきます。

よそゆきを眺めて、うっとりしては、クローゼットにしまうことを繰り返していると、失敗が背中を日々押し続けてくれて、絶望すらも力に変えていける底力の開花からは、どんどん遠ざかってしまうんです。

ジャッジすると、失敗の力は使えない。

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皮肉でもなんでもなく、巷に流布する「問題解決」は単に見えている事象をいい・悪いでジャッジし、悪いとジャッジしたものについては消そう減らそうとするだけなんだと認識し、大変驚きました。

例えば、肩こり=悪いとジャッジします。なぜ肩こりになったかは、きれいには解明しません。だけど「とりあえず、ここ引っ張ると肩こりが消えます。ほーら、肩こり消えた。はい、問題解決!」なんですね。そこで、なぜ肩こりになったかをきれいに解明していないからこその「肩こりは消えたけど、実はこんな動きが始まっていて、長期的に見るとこんな症状になる」は、見向きもしないんですね。

「ここを引っ張ればいい」という手軽さだけが受けて「肩こりのない”いい”身体」になったと、ジャッジして「よかったよかった」と、自分を丸め込んで、安心とは違う安心感に浸って、その頃にはもう別のことに夢中だから、このプロセスすらあまり覚えていないほどなんですね。

肩こりを失敗のメタファーとして、もう一度上を読み直してください。失敗の力を使えない人は、こんな風にジャッジすることを「考えた」と認識しています。

【募集スタート】オンラインWS「失敗の力。絶望の力」

失敗と絶望と聞いて、ちょっと嬉しくなったり、面白いぞという感じが、身体の中を駆け巡った方は、人生の上級者かもしれません。失敗や絶望は、お酒のつまみでいったらカラスミのような、万人受けはしない癖のあるものです。

でも、こうした万人受けしない味を生かせる「舌」を持つと、人生がカラフルになり、幅が広がり、実に味わい深くなります。日常の場所を、いつの間にか旅先のように感じさせてくれる恋人を持ったような感覚になるでしょう。

無理してポジティブになるという姿勢とは真反対のそれとして、実際、失敗の力や絶望の力というものがあります。これらを使っていけるようになると、失敗や絶望の状態にありながらも、ちょっとニヤリとできてしまって、成功や希望に向かうプロセスが、とてもヘルシーになります。

今年を少し早めに振り返ることで、今年の残りに力を与えながら、みなさん自身が自分の底力で自分の背中を押すという経験をし、それを日常の当たり前とするチャンスを掴みとりませんか?

もちろん今回も、レギュラーのコーチングからは漏れる所を濃縮還元でギュッと集めているので、ぜひおいしさを堪能しに、クライアントさんも積極的にご参加下さい。

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オンラインWS「失敗の力。絶望の力」

〇 場 所:スカイプ or Zoom(有線LAN接続 推奨)

〇 日 時:

– 10月31日(木)20:00~21:30
– 11月1日(金) 14:00~15:30
– 11月4日(月) 13:00~14:30
– 11月中の他の日程を提案する

○ 対 象:~以下の状態をひとつでも望む方~
□ 今までにない視点から今年を振り返りたい
□ 今、今年を振り返り、残りを充実させたい
□ 自分を深いところから、力づけたい
□ 勇気と希望が湧き続ける方法を、得たい
□ 似非ポジティブと虚しさから、卒業したい
□ 心に穴があかない思考を、使っていける
□ 大小問わず、失敗や成功に一喜一憂しない
□ 自分で自分を満たせる安心が、いつもある
□ 理由不明の悲しみが、氷解しはじめる
□ 不足を追い自分を削る辛さから、解かれる
□ 失敗の本質を理解し、実に晴れ晴れとする
□ 憧れに触れて、自分の美しさにハッとする
□ 背中を押してもらい、まっすぐ前を向ける
□ 今が最悪でも、一瞬先は光だと腑に落ちる
□ 内なる深い混乱が、自然と収まり始める

〇 参加費:13,200円(税込)
〇 〆 切:10月22日(火)21:00
◎ お申込み ⇒ https://ws.formzu.net/dist/S26700108/

~ ご協力お願い申し上げます ~

治療が必要な方・ 喫煙常習者・飲酒常習者は、ご利用頂けません。ご自身の状態からお申込みを迷う方は、電話番号と共に詳しい症状を添え、気軽にご連絡ください。ギフト利用の際は、守秘義務に同意したものとみなします。幼児やペットのいる方は、静かな環境作りにご配慮下さい。お申込み後のキャンセルは一切承らず、参加費が発生するものの、11月末までを対象に、日程変更は承っております。

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軍のいう「失敗の本質」は既に本として出ていますが、軍を先生として生きるのは、自然の摂理や物事の道理に沿う姿勢でしょうか?理に沿ったところでの、失敗や絶望の力に触れて頂いて、人間らしく伸び伸びあれる年末~新年を迎える「下ごしらえ」の時を、自分に贈りませんか?

ストレッチポールで筋膜リリース

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ずっと、ストレッチボールは上に寝る形で使っていました。が、フォームローラーのように筋膜リリースにも使えることを知り、この秋から取り入れています。

(筋膜リリース自体は、テニスボールなどでもできます。フォームローラーやストレッチポールを買う必要はありません)

わたしはずっと。身体の側面のケアやトレーニングが足りないと思ってきました。トレーニングする前に、ストレッチを含めたケアを習得したかったんです。ストレッチボールを使って、初めて太ももの横の筋膜リリースをした時、痛くて驚きました。ちなみに太ももの裏や前面といった、すでにストレッチを行っているところは全く痛くないんです。

驚いたのはその後で、筋膜リリースを終えて立ち上がったときに、そして数歩歩いた時に、足がとても軽く羽のように感じました。今まで太ももの横に何らかの滞りがあったことで、こんなにも足全体の動きに影響していたのだと、経験できました。

こうやって滞りを消していくと、例えば冷えが改善する人も出るでしょうし、筋肉のつき方が綺麗になっていく人もいるでしょう。広い意味でのデトックスは、わたしたちをwholenesに戻してくれますね!