自慢は悲鳴

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「あの頃は毎朝6時から仕事したの」「家族を食べさせるために、安心させるために、家を買って片道2時間通勤して、夕食もまともに食べないで、毎日それでもがんばったんだ」

こんな「俺は凄いんだ」や「わたしはがんばったのよ!」、つまり簡単に言うと自慢をする人を、嫌う人は多いと思います。でもね、できたら、もうちょっと深く聞いてあげてください。なぜなら、そんな風に自慢するとき、それはその人がキャパを超えて無理したゆえの悲鳴をあげていて、その悲鳴は今でも続いているということだからです。

わたしたちは、自分が消化できたことはあまり人に話しません。でも、未消化のことは何度でも話すし、その自分でも自覚のない悲鳴をうけとってもらえないと、話を盛ってでも、話し続けます。「またあの話して!」と聞く側がうんざりするような話の裏には、途切れない絶叫があります。

ほんとうに自分の等身大のことをして、消化されていたら、繰り返される話は、語られません。誇張も入りながら、自分を慰める裏には、文字通り命を削った日々があります。「今日会社でさ、こんな風に社長直々に言われたんだよ~!こんなこと言ってもらったの今回は、俺/わたしだけみたい」と、パートナーが話し始めたら、その道のりにその人が「自分のレベル以上のことを自分に強いた。そのときひとりぼっちだった。孤独だった」ゆえの、悲鳴があるという視点から、耳を傾けてみませんか?

羨む

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何でもある方が良いに決まっていると思っている人は、相手の立場を想像できていません。

例えば、小さい時からある楽器の演奏に、優れていたとします。なかなか行けないような特権的だと感じる場所に招待されたり、騒ぎになるからと食事は高級ホテルのルームサービスだったりします。

そうした一部だけを聞いて、一生かかっても招待されないような場所に招待され、あんなに小さいのに食事が高級ホテルと、何十年も汗水たらして働いた自分でも食べたことのない食事をしていると羨む人は、人目を気にせずただ公園やプールで遊んだり、電車に乗って1人で自由に行動できるといった、自分にとって当たり前の選択肢の上に、さらに高級ホテルのルームサービスや特権的な場所への招待という選択肢をのせて、見ています。

ところが、小さい時からある楽器の演奏に優れているその人は、食事について、高級ホテルのルームサービスという選択肢しか持っていなかったり、特権的な場所に行ける選択肢はあっても、1人で電車に乗ることが禁じられていて、やはり手持ちの選択肢はうんと少なかったりします。

さらに、会ったことのない人にも声をかけられればにこやかに対応したり、演奏技術を保持するために周りから想像もつかないほど長時間練習をしたり、実際には(わかりやすく言うと、失った選択肢を大量に持っています。

羨む人は、自分で持っている選択肢の上にさらに相手は選択肢を持っていると勘違いし、相手がどれだけ限られた選択肢しか持っていないか、あまりに多くを失ってきた事実に、関心すら持ちません。

だけど周りからは、特権的な場所に招待されたり、高級ホテルのルームサービスを食べていることに「幸せでしょう。才能があるっていいわね」と言われ、よくわからないままただ目の前のことに一生懸命なので「ありがとうございます」と答えていたりします。

そして、小さい頃から大きな音やまぶしすぎる光や激しい移動を過剰に繰り返すことで、精神疾患を含む不具合が生じやすい状態を経験します。なおかつ、才能を利用しようと群がる大人に囲まれ、部分しか見えない羨む人に嫉妬されまくるのです。

「あの人は才能があって、お金があって、子供もいて、大きな家もあっていいわよね」と羨むばかりなら、もう少し全体を見て相手を思いやれる大人に、生まれ変わりましょう。また、羨むことがその対象を苦しめる事実に気づいてください。

期待以上をという信仰。

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「相手の期待以上のことをする」ことがプロであると信じて、仕事をしていませんか? その「信仰」から、自分のレベル以上のことをするのが当たり前で、それを可能にしてくれる習慣を「いいもの」と認識していませんか?

自分の仕事のキャパをちゃんと認識しているでしょうか?家に帰って、子供の頃に夢中で遊んだように、あなたが本当に好きなことに手をつけられていますか?

もし帰宅後に、お酒を飲みたかったり、タバコを吸いたかったり、ゲームをしたかったり、漫画をひたすら読みたかったり、動画を見続けたかったり、コーヒーを飲みたかったりして、それらを自分が本当に好きなことと認識しているなら、アウトです。なぜならこれらは全て、あなたが意識の上では認識していないけれども、実は不快だと感じていて、それを何とか薄めよう感覚を麻痺させようとして、手を伸ばすものだからです。つまり、その必要がある位に、すでにあなたはキャパを超えたのです。

こんな風に、自分を無理させるものを「いいもの」「好きなもの」と思い込まないとアンバランスになる位、あなたは追い詰められていて、あなた自身が損なわれても続けているのだから、それは仕事上の信念などではなく「信仰」と呼ぶべきです。

「自分にレベル以上のことをさせたい」を「元気を出したい」とすり替えるのは、もうやめませんか?自分のレベル以上のことをしないといけないから、手を伸ばしはじめたことは、すべて身体に悪いのです。身体が悪くなれば、仕事も「信仰」もあなたから去るしかなくなります。

自分がおいしいと思うものを食卓に出す。

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落ちこんでいたり元気のない人に「おいしいものでも食べに行こう!」と誘ったことはありませんか?

これ、とても正しいんです。わたしたちは落ちこんでいたり元気がないと、味覚を始めとする自分の感覚がよくわからなくなったり、自分の感覚って信じられないなと思い始めるんです。そうすると、さらに鬱々としていきます。不安に思うことが増えていきます。

でも、乗り気じゃなくても連れ出されて、おいしいものを食べると、味覚をはじめ自分の感覚が戻ってきて、目の前のことに意欲的に取り組めるようになったり、集中できるようになります。(回らないお寿司に行くイメージです)

家族みんなのご飯を作っている方は、自分じゃなく子供やパートナーの味覚にあわせて、ご飯をつくっていませんか?そうすると、上に書いたように、不安に思いやすくなっていき、自分への信頼もグラグラしてきます。

だから、今日からは自分がおいしいと思うものを食卓に出してください。そして、大事な人が落ちこんでいたり元気がないのに「おいしいものでも食べに行こう!」しか言えなかったと思っている方は、胸を張ってそれを言い続けてくださいね!

さらに付加するなら「でも、また子供がご飯を残すようになるかも」と妄想するなら、妄想とは常に最悪な結果を想像する性質を持つものだと、伝えておきます。断るから、相手も自分も成長します。お腹が空いたら、子供やパートナーも自分で作るなりなんなりするでしょう。

大事な人は美味しいご飯に誘い、家族には自分がおいしいものを出していくと、みなさん自身がさらに実は不快だったことに気づけるようになり、人生への意欲や集中力が増していくようになります。そして「そもそも他人の気持ちや感覚はわからない。わかっているという前提で、不安になったり怒ったりしてたんだ。なーんだ!」と思っていただけると思います。

うまくいってる実感

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冷静に考えてみれば、望んだほうに進み、うまくいっているのに、うまくいっている実感が薄いとき、次のステップは何でしょうか?

この状態は、あなたの中に内在する「実感するシステム」がおかしいことを表しています。

かつて、刺激があると楽しいと認識し、緊張しているとやりがいがあると思い込み、不安だからと大騒ぎすることを一体感だと変換してきた、あなたの中に内在する「実感するシステム」がアップデートされていないので、バグ起こしているのです。

そのバグは、上に書いたような万能感を目指す動きから来ています。うまくいっている今、万能感を目指す動きはすべてアンインストールされるべきですが、まだあなたの中に残っているのです。

そうすると、万能感の真逆である一体感を目指し、それに成功しているときに、このバグが邪魔して、実感としてうまくいっていると感じられません。

万能感のアンインストールに着手し始めることで「実感するシステム」をアップデートしてください。

神様 ≠ 万能

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一体感(wholeness)の真逆は、万能感です。万能感の代表は、小さな子がみるヒーローものです。

(子供があの時期、ヒーローものにはまり、万能感を擬似的に味わうのは、健やかなことです。ここでは、大人向けの話を書いています)

万能を求める人は「もっともっと、あれこれできるようにしたい」や「なんとかしてあげないと!」「人から影響を受けないためには?」「これでいいのかな?」と思って生きています。

例えば「○○も知らないの〜?」と言われて「知らないよ(それがなにか〜?)」とするーんと返せなかったり、人との間で何か役割を見つけると、安堵した顔をします。つまり、いつもそわそわし居心地が悪そうで、その渇きを埋めよう埋めようとしています。

万能へ向かう人は、家族が宗教に入っていたり自己啓発にハマっていたり(宗教等が悪いという意味ではない)、マインドコントロールされていた(親や祖父母によるもの多い)ケースが、すごく多いです。

信念に頼り何事も信仰するのではなく、五感を正常に保ち身体感覚で感じてその情報をもとに考えていくことが、一体感(wholeness)への道です。

わたしたちは、無意識に協力しあっているから、仮に一人で山籠りしたとしても、人から影響を受けないということは、ありえません。それを受け取れないこと自体が、万能感にあなたが属してしまっていることを、表します。

ちなみに、みなさん万能=神、完璧=神と変換したがりますが、実際に感じられる神様は、万能でも完璧でもありません。人間と担当領域がちがうだけで、神様が働ける世界はあくまでも有限です。神様も信じるのではなく、あくまでも感じる対象です。

上がわからない、つまり、信じてつくりだした妄想と、実際に感じられる感覚をごちゃごちゃにしてしまうなら、あなたの統合度合いがかなり低いということです。話を盛ったり、その気がないのに小さな嘘をついてしまう状態でしょう。そのままだと、いく先は統合失調症だということです。

孤独なほど、嫉妬する

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「ほんとは大したことないくせに」「運がよかっただけよ、実力じゃない」「あの人ばっかり、ずるい」と嫉妬してる人は、孤独に悩まされていて、辛いのでしょう。

でもそれなら、そうやって嫉妬するとさらに孤独が強まる感覚にも、気づきはじめていませんか?

わたしたちは一体感(wholeness)を生きるとき、孤独から解放されます。一体感は、万能感に属する方法である 1)自分の感覚を麻痺させて他人の感覚を生きること(例: これあの人に食べさせてあげたい!)、2)媚びてすりよる(例: いいですよね〜わかります!)では、たどり着けないこと、念押ししておきます。

一体感を生きていれば「私が知らないだけで、こんな一面もあったんだ!」「すべてが味方するくらい、陰で努力したんだろうな」「うまくいっているあの人を、わたしが一番応援しよう」と、誰かの成功を素直に喜んでいくので、誰かが成功する度にさらに深く一体感を経験することになり、力を得ていきます。その証に、ちょっと難しく感じられることにも挑戦したり見えなかったことが見えるようになり、どんどん高みに上がっていきます。

誰かの成功の度、一体感を味わって自分も高みに上るのと、孤独をつよめより非生産的になるのでは、雲泥の差が生まれること、おわかりかと思います。

あなたが今孤独でも、それは恥でも罪でもないし、必ず抜けられます。まずは今、孤独じゃない!と、強がるのをやめて、素直に孤独だなぁと、口に出してみませんか?うれしさが続いて、身体からこわばりのとれる道を、いっしょに歩き出しませんか?

楽しい ≠ 神経が昂る

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人生があんなに望んだ、穏やかさを孕んできたとき「これでいいのかな?」が、ひょっこり出てくることがあります。

穏やかな毎日では、神経は高ぶりません。いつも楽しさが内在し、神経は鎮静状態にある時間が長くなります。

そうすると、いわは慣性の法則で、今までの神経が高ぶり続ける、刺激の多い時間を過ごしていた延長線上の自分が「これでいいのかな?」と、囁いてくるのです。要は不安をつくりだします。

良い状態になって、不安を感じるわけですから、冷静に考えておかしな状態にあると認識しやすいでしょう。

まずは「あれもこれも楽しい!」という熱にうかされたような状態が、神経が高ぶっている状態だと認識しましょう。

神経が高ぶった状態は、生きている実感を得られている状態ではなく、しばしば強い刺激で心身が傷ついている状態です。だから「これでいいのかな」が出てくる状態においては、本当は神経が高ぶって痛い位に認識できた方が、自分を御しやすくなるでしょう。

「楽しいから、ついつい動画を続けちゃう」なども、認識が大きく間違っているケースで、実際には不快だから、いわばそれを薄めようとしてそうしているだけです。不快に気づかないでいられる時間を楽しいと認識しているなら、大変危険です。

口癖を変える(二)

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何かを始めるときや何かを選ぶときに「こわいなぁ」が口癖になっている方もいらっしゃいます。そうすると、やっぱり行動が繰り出されづらくなりますね。それで、同じ現実が続いてしまうわけです。

そういうときには、事実を口にすると良いでしょう。未来についての事実は「わからない」「知らない」です。未来は、みんなにとって平等に白紙です。

例えば「新学期、学校行くのこわいなぁ」と思うなら、その人の中では嫌なことが想像されていて「こわいなぁ」という表現が出ているでしょう。「学校行くと、こんなことが起きちゃうかも。こわいなぁ」と思っているでしょう。これからは「学校学校行くと、こんなこと…?ん?わからないなぁ」にするのです。

例えば、ゴミ置き場で何人かがヒソヒソしゃべっています。あなたが近づいたら、全員が一斉に笑顔になってあなたのことを見て、解散していきました。何度も続いたら「あれ、わたし何かしたかなぁ?また今日もだ。こわいなぁ」と、気持ちが展開していくかもしれません。そんな時心の中で「あれ、私何か…?ん?わからないなぁ。知らないなぁ」と言ってみます。

まだ決まっていないことや未確認のことを自分から決めてしまって「こわいなぁ」と未来に墨を撒き散らすのではなく、「わからないな」「知らないな」と未来をちゃんとあるべき白紙の状態に戻してあげましょう。

試す価値は十二分にあることです。よかったら続けてみてくださいね!

口癖を変える(一)

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口癖を変えることは、確かに人生を大きく変える力を持ちます。口癖と言うくらい、あなたの中で頻度の高いものを変えるわけですから、まぁ当然です。

なお、ここで言っている口癖は、実際に声に出しているものだけでなく心の中で発せられている無音のものも含んでいます。

例えば「こんな雨の中、会社に行くのめんどくさいなぁ」「お皿洗うのめんどくさいなぁ」こんな風に思ったことがある方は、多いと思います。他にも、顧客のヒアリングをしていてたら、あれこれ言われて頭が混乱してきてしまって、自分の中では「あーもう、これ以上聞くのめんどくさいなぁ」とつぶやいていたりと、かなりみなさんに使われている言葉でしょう。

そんな時「たいしたことない」と言うようにしてみるのです。「こんな雨の中、会社に行くの大したことなあなぁ」「お皿洗うの大したことないなぁ」「あーもう、これ以上聞くの大したことないなぁ」と言っちゃうんです。

そうすると「あれ?現実的に取り扱えるサイズだった」と我に返って「じゃあとりあえず、ここまでやっちゃう」と行動が繰り出されるので、現実が変わります。雨の中、濡れた花が綺麗ではっとしたり、シンクのお皿の量は減って掃除も始めちゃったり、顧客はこちらを信頼してあれこれ言ってくれていたと我に返ったりと、「めんどくさい」と思っていたときには見えなかった未来を、もう生きていたりします。

やり続けてみてくださいね!

あの人ばかりうまくいって、ずるい!

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何か決めるときに、誰かが背中を押してくれないと決められなかったり、批判されるのが怖いからと意見できない人は、主に3歳から6歳の間に、特に母親から褒められなかったでしょう。

ちょうどその頃、母親と父親がもめていたり、姑と母親の間がギクシャクしていたりすると、母親から子供を褒める余裕は消えます。そうすると「自分でなんとかしよう」という欲求が獲得されず、他力本願になります。

そのまま大人になると、うまくいっている人を見ても陰の努力に思いなど及ばず「あの人だけうまくいっていてずるい」と羨むばかりの毎日へ突入します。

「自分だけいつも奪われている」という感覚に囚われ、世の中は不平等だと思い込み、全体が見えないのです。「この角を曲がったら、有名人に見初められて、セレブ生活が始まるかも」「いつかあたってこの生活から抜け出せるかも。やっぱり宝くじは買わないと」のような棚からぼたもちを期待し「もしこうなったら」と考えては、現実にいない時間を増やします。

3歳から6歳の間のお子さんには、ぜひ「よくやったね」「自分でできたのすごいね」「上手にできたね」と、少しでも達成したことを褒めてあげてくださいね、お母さん方。もちろん、はじめのうちは手伝ってあげつつ、できたところに目を向けてあげてくださいね。そうするとどんな状況でも踏ん張り、物事を好転できる大人であれる基礎ができます。

「あの人だけなくて、かわいそう」

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「あの人だけないなんて、かわいそう」そんな風に思ったことはありませんか? 例えば、お弁当の日、あの子だけお弁当がありません。例えば、会議中、Aさんだけお茶を出されませんでした。

明らかないじめや虐待はないという前提ですが、そんな時に「Aさんは尊重されていない」「あの子だけかわいそう」と思う人は、小さい時に一生懸命いい子であろうとした人たちです。でもだからこそ、母親から嫉妬されて育ってきた人たちです。

別のシーンでもおそらく何かにつけて「軽んじられている」と、憤怒にかられてきたでしょう。自分では、思いやりがあると思っているでしょうが、実はあの子にお弁当を持たせなかった親も、Aさんにお茶を出さなかったあの人も、自分と同じように人間だという認識が欠けています。驚きましたか?

別の言い方をすると、人間に対する基本的信頼感が欠けています。だから、何となく、人への苦手意識を隠し持っています。実は犬や猫を見るのと同じように、人を見てしまっているから「かわいそう」がでてきています。受け取りがたいでしょうか?

ちゃんと基本的信頼感があるなら「あの家にはあの家のやり方があるだろう」と尊重できますし、「お茶が全員に行き渡っていません」と伝えて終了で、悶々として「かわいそう」が生まれたりしません。

人間に対する基本的な信頼感があれば、「見捨てたらかわいそうだ」「自分がそばにいてあげないと」といった思いにとらわれ、自分のエネルギーをダダ漏れにしないで、自分が向けるべきところに自分のエネルギーを向けます。

つまり、基本的信頼感が欠けていると、自分よりも下だと感じる人としか付き合えないし、人間関係も対等ではなく、ペットのように面倒を見たり、躾るような関係になります。だから、人がいない方が楽だと感じたり、恋愛がいつも苦しくて、終わると毎回「しばらくはいいや」となったりします。

「かわいそう」は思いやりではなく、あなたに基本的信頼感が欠けているという話でした。

子供と大人の違い

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子役をしている人が「どうやったらそんな風に泣けるの?」と聞かれて「どうしても泣けないときは、お母さんがいなくなるって思います」のように答えているのを目にしました。

こんな風に、悲しくなりたいときには悲しみにフォーカスするのが子供です。

では、皆さんが突然お芝居に参加することになったとします。役をもらい、泣くシーンがあるとき、みなさんはどうやって、同じところで何度も泣くでしょうか?ちょっと考えてみてください。

やっぱり自分が経験したことのある悲しいことを思い出そうとする人は、上に述べたように子供、つまり幼稚です。自分の経験したことを持ってきているわけだから、役には関係ないし、機械の部品交換で部品を当てはめるように、悲しみをそこに当てはめようとしています。部分を見ているのです。

大人なら、その役が悲しみを感じることになった、台本には書かれていないかもしれない背景を、役に合わせて想像します。その役は、例えばそれ以前に楽しいことやうれしいことを経験していて、でもそれらが実現不能になったり、得ていたものを失ったりするから、悲しくて涙もでるのです。

つまり、喜怒哀楽はセットで、悲しむだけの人間もいなければ、喜ぶだけの人間もおらず、悲しみだけ深くて喜びが浅い人はいないし、怒りだけが深くて他の感情は浅いといった人もいないといったことを、理解しているのが大人です。実際、悲しまないようにしようと思えば、喜びも感じづらくなりますし、怒らないようにしようと思えば、いろんなことが楽しくなくなります。そんな風に、全体を見るのが大人です。

相手の涙を見たときに、そこに一緒になってグッと入っていくのは子供です。そうではなく、それまでにその人が経験したであろう怒りや喜びや楽しさを瞬時に感じ取ろうとするのが大人です。同じようにもらい泣きするのだとしても、その現象は一緒でも、子供と大人では理由が全く違うのです。「一緒に泣いてくれる人が優しい」と認識している大人のみなさん、あまりに皮相浅薄です。

【募集スタート】春分の単発コーチング「もう特別は要らない」

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わたしたちは、バランスを取りながら生きています。ほっぺたを押すと、押した部分は凹んでも、その周辺が盛り上がり、ほっぺた自体の体積は変わりませんよね?そんな風に、例えば「自分はダメだ」という思いを抱えるほど、「ほんとは凄いんだ」という思いを育て、バランスをとります。いわば「体積」は変えられないから、そうなります。

ただ「体積」は変わらない一方で、押されたほっぺたの形は歪みます。同じように、押された自分の形も歪むのです。この「どんな風に自分を押すのか」のパターンは、年齢を重ねても自然とは更新されません。本来「自分を押す」のは不自然だから、更新なしが、自然で当然です。

他にも、愛されていると感じられない悲しみに「私なんか(卑下)」と自分を下に押し「いても意味のない」人に仕立て上げ「こんな自分だから愛されなくて当然」とバランスをとったりします。周りと協調しづらく孤立しがちだと、惨めさから「僕という存在をゆるして」と闇雲に「ごめんなさい」を発しつつ、状況が整理されたと思い込める「わかってます」を好み、内心「僕がわかっているということも、あなたわからないわけ?」「そんなこと想定内だから」と、優越を感じては惨めさを解消する形で、バランスを取ります。いずれにせよ、孤立したままで不自由です。

「体積」が変えられないため、こうした極を往復しバランスをとろうとするのは、一体感(wholeness)に向かいつつ、真逆に位置する万能感(ヒーローの世界)へ向かうという、相反する動きを持つからです。「自分で考えなきゃ」「自分が責任取らないと」「~に申し訳ない」「○がかわいそう」はすべて万能感に属すからこそ不快感を伴います。

一体感の世界では、親しみを持ってもらおうとしなくても、親しみを感じてもらえ、ため口で対等に話しても、互いに尊敬の念を抱きあう関係だと認識できます。すてきでしょう?そこに向かう技として中庸を目指すより、まず極を中和していきましょう。即ち(「自分はダメだ」+「ほんとは凄いんだ」)÷2に、回答していきます。「自分はダメだ」や「私なんか」等、自分を押す言葉の発見から始まりますね!こうした順を経て若返っちゃおうという方と、単発コーチングの時間をご一緒します。

~~春分の単発コーチング「もう特別は要らない」~~

■ 日 時:3月19日(火)20:30~21:30
3月21日(木)20:30~21:30
3月22日(金)13:00~14:00
~3月中の新日程の提案、ウェルカムです~

■ 対 象:  ~ 以下ひとつでも当てはまる方 ~
□ 幸せに向かいたい
□ 自分が苦しい理由を理解したい
□ 身体に入っている不要な力を抜きたい
□ 努力してきたが、色んな意味で限界を感じる
□「もったいない」と片付けの手が止まる
□「だるい」と感じる日が重なり、少しこわい
□「自分を嫌いになりそう」と思ったことがある
□ サボっている様子を見ると、イライラする
□「まずい」「ヤバイ!」と思うことがある
□「自分はダメだから、頑張らないと」と思う
□「あーやっちゃった」と凹むことがある
□ 真空パックされたような辛さを、感じたことがある
□「理にかなう努力って何?」を知りたい
□ 理に属したい
□ 真実を生きたい
□ ここから最良の人生にしたい
□ 生き直したい
□ コーチングを試したい

■ 手 段:スカイプ or 電話
■ 参加費:30,000円
■ 定 員:3名
■ 〆 切:3月18日(月)21:00
▼ お申し込み:https://globalflowering.com/spot_coaching.html

~ キャンセレーションポリシー ~
お申込みと共に、キャンセレーションポリシー適用となり、お受けにならずとも、セッション費はそのままお支払い頂きます。お子様の急な発熱・弔事・天災によるライフライン断絶時などには、日程を調整し、対応します。過去にクライアントさんだった方に限ってお子様と一緒のコーチング・お子様へのフィードバックも承ります。これまでに頂いた感想は http://wp.me/p2ZjtS-9L5 にあります。

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万能感の世界に属していると「自分は特別だ」と思えることが慰みになります。小学校の時、眼帯をつけている子や声の出ない子は人気がありませんでしたか?特別だからです。でもそれを経て「もう特別は要らない」と言えるのが、健やかな統合度の高い、大人の姿なんです。

特別じゃなくても、尊敬されて尊敬して、いつでも気持ちのいい親密さが肌に触れてくるような世界に、誰もが招待されています。招待状を受け取りたい方は、ぜひこの単発コーチングへいらして下さい。