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作家の40才の女性が、ご協力くださいました。
インタビュー当時、コーチング歴は半年です。

■ Q1. コーチングを始めたきっかけ/理由を、教えて下さい。
  

子供の頃から、チックや過食に悩まされ、苦しい思いの中を、生きてきました。「子供を産んだら良くなるはずだ」と考えていましたが、子供を生んでも、何も変わりませんでした。絶望に近いショックでした。

離婚も経験し、35歳頃、苦しさのあまり、何かが吹っ切れました。「自分ひとりの力で取り組むのは、もう限界だ」と思ったのです。その時「自分を取り戻し、希望を持って生活する」ため「お金がいくらかかってもいいから、プロの力を借りよう」と、決めました。それまで「他者に弱みを見せる人は、弱い」と、思ってきた私にとって、本当に大きな転換点でした。

それから、心療内科、カウンセリング、催眠療法、オーラソーマ、エネルギー調整など、様々な人の力を借りてきました。ある時「一体自分はどうなりたいのか」を考え、ネットで片っ端から、自分がなりたい姿をキーワード検索した際に、”うつくしい大人”で、このメールマガジンがヒットしました。

私は、文章を読めば「その書き手が、本当に正直であるかどうか、分かる」と、自負しています。みきさんの文章は、様々なジャンルの人が読むことを前提とし、敢えて、感情を濾過して書かれたような、静謐さが感じられ「この人は、客観的に物を見る力のある、誠実な人だ」と、思いました。

それで、リンク先のコーチングのHPを見たら、最善が尽くされていながら、鼻につく感じのない、シンプルなHPで、とても好感が持てました。

コーチングのプロセスが、自分にどう作用していくのか、想像がつかなかったけれど、「この人の感性は好きだし、苦しみから抜けるためなら”お見合い”みたいな感じで、行ってみよう」と “うつくししい大人”という言葉が、もたらした縁を信じて、体験セッションに行きました。

■ Q2. コーチングって、何でしょうか?

パソコンの “ディスクデフラグツール” のような感じです。

固まりかけた石膏を、振動する台の上に置くと、液状化現象を起こしていつまでも、固まらないんですが、コーチング中は、そんな風に絶えず、自分を細かく振動させている感覚があります。

液状化現象が起きると、一生懸命隠してきた所も、埋め立てた所も、分かってしまいます。同様に、自分の中の”地盤が本当にしっかりしているところ”が、見つかってきます。今までは、「ここが地盤に違いない」と当たりをつけた場所が、かなり外れていたので、地盤が揺るがない感覚は、衝撃的でした。「地盤がしっかりしているところを探し、根を深く張ることを重ねていく」のが、コーチングなのかなと、思っています。

思えば前は、星飛雄馬のギブスみたいなものを、装着され、生きている感じでした。現代思想や哲学の本を、かなり読んでいたこともあり「私は、こういう風に生きていかないと、価値がない」と、堅く信じ込んで、その枠に苦しんでいました。

そういえば、今は、常に”~するべき”を強要していた、”べきべき隊”がいません。”べきべき隊”がいなくなって、絶えず私を妨害していたものがなくなり、視界がクリアになりました。

私は、誰に対しても、反射的に相手の好みを察し、その好みに自分を合わせていました。また、過去の「かわいそうな自分」に、焦点を当てて自分の中で悲しい物語を、繰り返していましたが、みきさんは辛い物語に、ちっとも共感してくれませんでした。めげずに、辛い話を繰り返し話している内、自然と自分で「この話、なんか使い古したな」と感じて白けて来るように、なりました。

今までは、取り乱して泣いたり、バリアを張った後、相手を逆恨みするパターンを、繰り返していました。今はもう、わざわざ辛く悲しい物語に、戻ったりしません。

みきさんは「うんうん、分かるよー、でも○○ちゃんは、そのままでいいんだよ」のような受け止め方は、しません。大家族のおじいちゃんを彷彿とさせる、受け止め方なんです。

誰もいないように見える家で、いつも、奥の部屋には絶対おじいちゃんがいて『見て!おれ、つめ真っ黒』って子供が言うと、おじいちゃんは『ふん』とか言いながら、煙草ぷぅーみたいな。でも子供は『良かったおれ、今日も、じいちゃんに報告してきた!』と、満足するような。

言葉を超えたところで、ただの存在として、クライアントを受け止めてくれます。その上で、ひたすら私に焦点が当たるから、「私の中に埋もれていたもの」が、少しずつ出てくる。それは他のトレーニングと、比較しようのないものなんです。無理にポジティブとかも、ないです。今回ほとんど、がんばっていないんです。

ただ「がんばらない」が、コーチングの王道なのではないでしょうか?

■ Q3. コーチングを通じ、ご自身は、どう変化されましたか?

今の私は、周りからも「輝いている」と言われ、別人のようです。生きることを喜んでいて、喜びを踊りで表現したいけれど、踊り方が分からないから「もっと高く跳ねてみよう」と、ずっと跳ねているケニアの人のようなイメージです。

初めて味わう、未知の世界にいるので、どう表現したらいいか…。

コーチングを始めた約半年前は、安心感が欲しかったです。「自分大好き人間」に、憧れていたし、そうなると幸せなんだろう、と思っていました。でも、今、瘤取り爺さんの瘤が、ペロリンと取れたかのように本当に、気負いがなくなって、自分のことを、好きでも嫌いでもないんですよ。これが “ありのまま” なのかな? 今、幸せです。

「どんなことが起こっても大丈夫、何とかなる」という感覚がベースに敷かれ、”不信感”という言葉の定義が、自分の中からなくなりました。”信じる”が基本で、周りとハーモナイズしている。嬉しいいろんな人と繋がっているのを、ただ感じて、嬉しいに尽きます。

今の私は、お腹が空いたら、好きなだけ食べるんです。お腹が空いていない時は、食べないでいられます。恐怖や躊躇がない自分には、本当にびっくり。長い間「また、食べ過ぎて、太るのではないか」という恐怖から、ちゃんと味わうことも、できなかったのに。

漢方薬を併用したことも、良かったと思いますが、今となっては、何がどう恐かったのか、思い出せません。長年、頭痛持ちだった人が、頭痛がなくなって「頭痛を、もうリアルには思い出せない」そんな感じです。

身体も軽くなって、嫌なこともあまり思い出さないし、その日の出来事について、電車の中で怒り続けることもなくなり、本当に楽です。今の私の人生には、未来も過去も重要でなく、ただ現在と近未来があります。

精神的な負担を感じながら 5年間続けた仕事も、辞めるし、今朝も前の私なら、落ち込むようなことが、起きたんですけど「おやおや」って。「おやおや」で済んでいる、自分の強さみたいなものに、驚きました。

復讐心から来るような「絶対に有名になりたい願望」も、自分を卑下することも、いつの間にか、どうでもよくなりました。以前は、褒められると、土に埋まりたくなるくらい、居たたまれなかった。今は、天狗になるわけでもなく『あぁ~そうですか』って。自分が、ものすごく透明で、ニコニコしながら、突き進んでいく感じです。

ただ、ひたすら「私は、次、何を創るんだろう?」って、ドキドキしてるんです。半年前の私が聞いたら、ドキドキしていること自体、バカバカしくて、ついていけないと、思うでしょうね。

■ Q4.「がんばらない」の大切さについて、話して頂けますか?

私は、今まで、苦しみから抜けるため、すごく頑張ってきました。

中二の頃から、日記をつけ、一時期は、食べ物日記/モーニングページ/夢日記/ふつうの日記/家計簿と、五種類つけて。○○の法則みたいなものも、片っ端からやりました。「私は、既に成功している」と、鏡に向かって、100回言ったり。宗教に、入っていたこともあります。宗教でも、「この教えを、人に話してあげるのが修行」等、頑張るんです。

「常に前向きにものを考える」「ネガティブな言葉を使わない」「悪いイメージは必死で打ち消す」「悪口は言わない」「自分のことを、一生懸命好きになる」等、頑張ってきました。でも、そういうこと、コーチングを通じて、一切やっていません。自分でも、やらなくなりました。

ただひとつ、かなり頑張ったことがあるなら、相当気分が落ちていた時に、宿題だった「白い服を買う」をやったこと。それまでは、黒づくめで、白い服はどうしても買えませんでした。でも、頑張って白を買ってから、どんどん白い服を着たり、黒を着ても、ピンクのストールを巻いたりするようになって…。”色によって気持ちが変わる”と、知っていたけれど、リアルな変化を、体感しました。頑張ったのは、それ位です。

どこか疑問に思いながら頑張るのは、すごく大変なんです。疑念が深いせいか、当然結果はついてこないし、自信なく話す言葉になんて、誰もなびかない。

自分の身体が嫌いで、服をうつくしく着こなしたいと、頑張ってエステに行っても、『お客様のセルライトは、長い間のもので』なんて言われて、やっぱり、身体は好きになれなかった。他人の基準に、合わせようとしていたから。

今でも、服を着た時に『ちょっとこの太ももは出せない』『ちょっと似合わない』というのは、あります。でも自分の体を嫌いじゃなくなった。好きでも嫌いでもなく、自然。これからは、今までずっと、私が憎んで来たこのお腹に、風と光を当ててあげたいです。

こういう思いや境地は、頑張ることでは、出てきませんでした。身体も自分も、好きでも嫌いでもありませんが、本当に今、しあわせです。

■ Q5. コーチングを受ける上で、何か工夫したことはありますか?

書くことが好きなので、セッションとセッションの間には、みきさんによく、メールを送っています。「コーチがいる」とは、「自分のことをいつでも報告できる人がいる」「セッションの日以外も、自分のことを何でも受け止めてくれる場所がある」ことかなと、思ってきました。

宿題は、メールで報告します。だから、報告に当たり、自分のやることを、知らず知らず、確認しているんです。報告するために、普段の行動や、気持ちを確認していくことは、自分自身を、別の視点から見ることになり、自分を絶えず細かく振動させることに、つながります。

セッション外の時間も、うっすらセッションが続いている感じです。

コーチングは、五感をフルに使うものだと、思います。ただ、やはりクライアントは「話す」から、クライアント側からしたら、一番大事なのは言葉かな、と思うんです。

友達に話す時と違い、気を使わず「ただ、自分を正しく言語化することに集中できる時間だからこそ、本当に、自分にフィットした言葉を使いたいんです。

人と話す時は、相手向けの情報を選ぶ等、自分が想像する以上に、相手に、気を使っていると思います。コーチングは「あくまでも自分基準で見た時に、大事なこと」を打ち明けられる、気を使わず話せる場所です。

みきさんは、セッション中、私が、全身で言葉を探している時、絶対にまとめたり、促したりしません。「こんなに時間置いても、透明なものが、まだ前に普通にいる」みたいな。

言いたい言葉を、吟味できることは、埋もれていきかけた何かを、形として取り出すこと。口に出して、音にして、耳で聞いて、メールを通じ目で見て、また感じることで、「自分の中の砂金探し」のようなことがセッション後も、続きます。過程を自覚しながら、進めます。

メールだと、相手の反応を気にしないで、打てるから、怯えないですむし、みきさんも、スルーするところは、スルーして返事を返してくれるから、そんなところも、呑気で良いんです。

セッション間も、メールを使い「自分のことを受け止めてくれる場所」を、一緒に創ったこともあって、私は今回、ものすごく飛躍したんだと思っています。

■ Q6. 最後に、私はどんなコーチですか? 

初めの頃「コーチって、セッション中、こんなに自分のことを話さない人なのか」「こんなに影響力を感じさせない、存在感の薄い人なのか」と驚きました。実は、知り合いに、何人かコーチがいます。彼らからも「コーチとは、がっちり誘導する、教育者っぽい、影響力の強い人」という印象を、受けていました。

ところが、みきさんは透明度が高く、存在感が薄いんです。みきさんのコーチングは「合わない人なんて、いるの?」と思う位に、透き通っているんですね。黒子以上に、黒子というか。

みきさんは、ガラスというより、周りの気温になじむ樹脂で、限りなく透明に近い、ガリリと檸檬を噛んだ時に散る、液体の色をしています。完全に、透明ではないから、微妙にそこに「ある」ことは、感じられて。確かに、あのざわざわした、ホテルのラウンジに「いた」けれど、姿を思い出せない。「夢の中に、出てくる人」のような存在、なんです。

いつも私は、その半透明なものの前で、自分が自分であろうとする試みをしている、そんな感覚があります。記憶を辿ると、確かに喋っていて喋っている時は、みきさんの顔も、ポンて前にあるんだけど…

一言に要約するなら、「コーチしないコーチ」ですね。

あのね、みきさんは、宝塚歌劇団の人みたいなんです。彼らはいつ誰に私生活を見られてもいいように、足の組み方一つとっても、きちんとしていて、「影まできれいなのが、宝塚」と、言われています。

みきさんも、そうなんです。全人格かけて仕事していて、コーチであることを、常に念頭において、生きている。他のことを、一切匂わせない。匂わせないために、すごい努力を重ね、神経を使ってきた人だと、思うんですね。

努力をひけらかさず、外からの視線に惑わされず、「今、コーチをしている限り、自分のスタンスはここだから、ここから絶対降りない」と決めている、「ずっとプロでいよう」という地道さがあるコーチです。

人に薦められたからでも、著名な人だからでもなく、自分の最も信頼し得る力である、文章を読み取る力を信じて、みきさんとつながったのが良かったのかな、と思っています。

物語の中にいたい人には、コーチングは薦められないけれど、「自分の身体に合わない服を着ている」と自覚している人は、騙されたと思ってやってみて欲しいです。

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