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この間、久しぶりにプールに行く道すがら、花の写真を撮っていました。そしたら、男の子がすーっと寄ってきて、にこにこしながら「ねー?かわいいね!」と、話しかけてくれました。お砂糖がお湯にさらっと溶けるような、自然な入り込み方は、動物がすっとあらわれる時のようでした。

その神々しさと、甘さは、その子が「たしかに、今ここに生きている」からこそだと、感じ入りました。子供も動物も、ちゃんと見えないものを、感じ取ります。今を生きているから、受け取れます。金子みすずさんの、この詩のように。

「星とたんぽぽ」 作:金子みすず

青いお空のそこふかく、
海の小石のそのように
夜がくるまでしずんでる、
昼のお星はめにみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。

ちってすがれたたんぽぽの、
かわらのすきに、だァまって、
春のくるまでかくれてる、
つよいその根はめにみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ

日本人は、本来は、見えないものに、ぐっと心の眼を凝らし、身体で感じ取るのが、得意なでした。正しいという感覚に、清らかさが、入っていました。邪気のないものを、正しいと呼んでいました。この感覚は、「グラウンディングしている」を、超えた「今を生きる」感覚です。

この感覚を世界に智慧として伝えることが、本当は、今の日本に生まれた、すべての人に共通するミッションです。技術を売ったり、お金を援助したり、アニメやかわいい文化を輸出することでは、ないのです。