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本の帯や映画の宣伝に「泣きました」「感動しました」などと入るようになってから、何年経つでしょう。

最近では「泣けました」「感動できます」という、変な言い回しも、溢れています。感情やこころが動くことを、排泄やなにかの介助のように、扱うくるいっぷりは、100年前の人の眼に、どう映るでしょう?

そんなくるいの一部が「共感」にも、あらわれています。

真の共感は、相手の奥に潜む苦しみをききわけ、それを高次の意識に手渡すことでは、ありませんか?

「うん、うん、わかるよー」なんて安易に言う、マスターベーション手伝うような、相手を既存の枠にさらに押し込める「共感」は、世界を毒しています。