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こんにちは、吉野実岐子です。

少し前から、自分の根をたどるようなこともしていて、その流れで『武士の娘』『風雲児たち』を読んだりしていました。

昔の人の暮らしには、今よりずっと仏教や神道が根づいており、明治期の日本人ですら、外国人に思えるほど、発想や感じ方に違いがあることを、興味深く思っていました。

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今年に入り、人生初、祝詞を目にする機会があったのです。 今、おうちで祝詞を唱える人は、とても少ないのではないでしょうか?まじまじとみてみたら、火を鎮める祝詞、家内安全の祝詞、雨乞いの祝詞など、生活に身近に感じられる祝詞が、半分以上も含まれていました。(中にはおどろおどろしく感じられた祝詞も、ありました)

わたしは、神様とは、南緯60度、東経135度のような、あるエネルギーポイントをさす位置名だと、思っています。実際に、少し祝詞を唱えてみると、自分の周りの空間と自分の身体という空間の関係性をあらわす数式が、変わる感じがしました。神様が凧だとするなら、祝詞を唱えると、凧揚げしているような感覚にもなります。

日本語の一字一句もおもしろく、地球を「おほつち」と読んだり、善を「うるは(しく)」と読んだり、忠を「まめ」と読んだりするのです。平安時代の日本人が、現代の日本人をみたら、身体の大きさや寿命の違いもあいまって、異星人にみえるでしょうか?わたしたちの進んできた方向が、「退化」ではなく「進化」であるといいなと、思います。

数百年という短期間でみれば、奴隷制の廃止など、改善されたこともあります。ただ、平安時代くらいまで、スパンを伸ばして見てみると、どうでしょうか?平安時代の人が、今の地球に忽然と現れたら、空気や水の汚れに驚くのではないかと思います。神様というエネルギーポイントから見たら、平安時代の人より、現代の人の方が、神様という位置から遠のいているのではないかと、思うんです。

そんなことも踏まえて、19日に「人間の価値」を一緒にみていきませんか?もうすぐ〆切です!