贅沢≠心が豊か。

おはようございます、吉野実岐子です。

根つき三つ葉が手に入ったので、そのまま植えてみました。ベランダがすこし賑やかになりました。

さて、今、平安~室町、そして現代を、ビュンビュン行きかうようにしながら、生きているのですが、現代というのは、ほんとうに贅沢に満ちた時代だと、しみじみ思います。

日暮れ後、電気をつけているなんて、多くの人にとって、江戸中期までは不可能なことでした。庶民の間に、電気代わりである菜種油がある程度普及したのは、江戸後期です。そして、だからこそそれまで、満月がもてはやされてきたのですね。月明かりは、どれだけ特別だったでしょうか。

海から遠いところに住んでいながら、海の物をいただけて、むしろ「魚食べなさい」と子供が怒られるのが、今の時代ですね。墨をすらずとも文字を書くことができ、寺子屋に行きたいとお願いしなくても勉強ができます。

一方で、わたしたちの心が豊かかといえば、室町時代後期には「富を持てる者が、自分の富に見合った徳をしめす」という有徳思想が支持されていたことを思うと、贅沢≠心が豊かであることが、しみじみと感じられます。

贅沢≠心が豊かと、文字で見せられると「当たり前じゃない」と思った気になる方が多いでしょう。でも、本当に心底そう思っていたら、今のような社会経済システムは、支持されていません。思った気になるのではなく、しっかり自分のあたまで考え抜いて、本当に「贅沢≠心が豊か」だと考えられるのか、それとも実は「贅沢=心が豊か」だと思っているのか、今日はクリアにしてみませんか?

思った気になって、実はじぶんの頭で考えていない方、多すぎるのです。今の世、人間の形をした、お化けばっかりなのです。妖怪の歌がはやるのも、納得です。