自分を迷い子にしていませんか?(二)  

ただいま、フックの可能性を探求中です。おはようございます、吉野実岐子です。

あるところまではクリアなんだけど、ある時点まで来ると急に靄がかかったように進めなくなる方は、分類(決めつけ)好きです。それも「快(好き、得意)」「不快(嫌い、苦手)」という、主観的な分類です。主観的なので、他者との共有が難しいのです。

一部を取り上げるのが、分類です。全体を見たら、分類はできなくなります。ここに落とし穴があります。

例えばみなさん、本や衣類を分類したことがあるでしょう。そのことに満足して、もう何か月も手を伸ばしていない美術品展示のようになっている棚やケースは、ありませんか?その分類があるということに満足して、中身をひらいてもいない、着ることもないものが、お手元にありませんか?あることに満足して、生かしていない状態になっていませんか?

分類は、ある面を際立たせてくれます。だからこそ、その一面に囚われやすくなります。分類を変えるだけで、読むようになる本・着るようになる服があるでしょう。

分類が同じでも、詳細が違うということは多々あります。クライアントさんが、こんな風に書いて下さいました。(掲載許可を頂いています)

「仕事の中でもひとくくりにしたためにミスにつながったっていうことがありました。

ひとくくりにしたために、前回と同じ対応をしてしまい、よくよく聞いたら大きなカテゴリーでは一緒だけど、発生した理由や対処方法は全然別物ってことがありました。」

分類(決めつけ)してそこに頼ると、盲目になってしまって、やっぱり自分に迷いや惑いを多く与えてしまうのです。さらに、全体ではなく一部を見ることは、確実に欲を生んでいきます。

迷いや惑いや欲と、ご縁をうすくしていきたければ、ぜひ目の前の物や人や状況の全体をみるように、ご自身を促してあげて下さいね。「認めて欲しい」「さびしい」という気持ちが強い人は、実は自意識過剰で視野が狭く、部分だけみて全体を見たつもりになっています。