リラックスは清さから。

おはようございます。吉野実岐子です。

すぐ外に畑があって、鶏の一羽もいれば、お肉やアイス大好きの人だって、冷蔵庫のサイズが小さくて済むようになると思っています。井戸水やそれに類するものがあれば、冷たいスイカだって頂けます。

本来の日本の食事は、あまり油を使わないので、水で泥を落としたり、米粒を鯉に食べてもらえれば、自然を破壊しない生活ができました。滋賀県高島市の針江は、水と助け合って生きる仕組みが根付く、一度行ってみたいところです。

引っ越してから、日に日に変わる田んぼを眺めて、静かな深い喜びを感じています。脳を喜ばせる陶酔する感動ではなくて、じわじわのぼってきて、大きく自分を広げてくれる「生きてる」と叫びたくなるような、空と大地と友達になれる感動です。

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脳内がとろける感動は、その先が自分の意と反することにつながっていたり、他者の不幸を拡大する一部となっていたりして、なかなか「きれいさっぱり、自分の意と同じことで、脳内がとろけました」とはいきません。

でも、生活が大地に近づくほど「田んぼしかなくて、つまらない」ではなく「稲穂の色や透明度は、こんなに短期間で変わるんだ」「トノサマガエルは動きが早くて直線的で、雨蛙はでんとしつつ動きは蜘蛛のようだ」と、どんどん本のページを捲るように、世界がひらけていって、それが止むことがありません。

引っ越しのとき、諸事情から一週間ほど、避難生活にも思えるような暮らしでした。とても緊張して、リラックスを求めたけれど、リラックスと紐づけられているコーヒーやチョコは、脳内とろける系だし、ハーブなども部分的作用です。結局、いる空間・お食事・聞こえる音・届く匂い、すべてでしかリラックスはあり得ないことを、強く抱き留めました。

「ここにだけ、今効けばいい」と分断している限り、リラックスも深いどこまでも展開する感動も、存在しえないのですね。

リラックスしたければ、あなたの大切な人にリラックスしてほしければ、結局、きれいで清い地球環境を残していく他なく、それが最もコスパもいい方法なのです。