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先週一週間で急速に秋が深まりました。今週少し季節が戻った地域もあります。お風邪などひかれていませんか?おはようございます。吉野実岐子です。

販促・宣伝等の仕事をして物にまみれた挙句、あぶらっけがなくなった人たちは「もう物は要らないんだ」としばしば口にします。もちろんそれは、その人の中の基準で「もう物は要らない」だけで、周りから見ると「物が溢れている」状態であることもあります。今かとくが立ち入っている会社にいた方で、この手の発言をする方は、わたしの知る限りとても多いです。

「もう物は要らないんだ」と言う方は、経験など形が残らないものに、お金を使っていくようです。食べ物のように消えていくものや、旅のように成長や視点の転換を促してくれるものです。

そこからぜひ、みなさんにはあと一歩、進んでいただきたいのです。同じように形が残らないものにお金を使うなら、きちんと先祖供養をしていただきたいのです。地球が軽くなります。不慮の事故も減ります。「思いを遺す」という先祖の欲が、自分や生まれたての子にどれだけ足かせとなるかを、暑さ・寒さや辛さ・甘さのような感覚を持って理解することができます。先祖への理解が増すほど、殺し合いや潰し合いや奪い合いは減らざるをえません。消費と搾取の違いが、日常の中で明確に区別されます。清らかに生きることこそが、矛盾なく地球を健やかにしていく道だと、腑に落ちていくのです。

先祖供養は「信じる」ものではなく「感じる」ものです。目には見えなくても、肌でそよ風を感じるように「感じる」ことができます。きちんと先祖供養がなされた場合、あなたの身体が実際に変わります。骨が動くので、なで肩がすこしいかり肩に近づいたり、お風呂で頭を洗うときにぎょっとするほど小顔になったり、肋骨と骨盤の間の距離が変わることで、ウェストの太さが変わったりします。全身鏡に自分を映した時、これまでの人生で痩せたり太ったり、マッチョになったりやせぎすになった、いかなる時ともちがう「骨が動かないと可能にならない」体形を目の当たりにして、驚くはずです。

先祖供養は、宗教的な・特殊な体感のある人だけがわかる・誰かを信じてやるものではありません。自分の身体を通じて、それがなされたかを嫌が応にも確認できます。だから「宗教かも」などと疑わなくていいし、外見も変化するため特殊な体感は不要ですし、「信じてみよう」という心理的な賭けも一切必要ありません。

どうぞ、次世代のために、地球の未来のために、あなた自身の持続可能性のために、先祖供養という次の一歩について、ご理解いただけましたら、幸いです。