自然に吸う ≠ 無理に吸う

三月とも今日でお別れです。おはようございます。吉野実岐子です。

みなさんは、「息を吸って」と言われると、無理に吸っても畳でごろごろしながら吸っても、全部一緒だと思われていますか?

実際に使う筋肉を見ていくと、その内実はだいぶ違うことを、頭でも判別できるでしょう。例えば、畳でごろごろしながら、自然と息を吸っているときには、横隔膜と外肋間筋を主に使っています。ところが、ゆっくり歩いている状態で吸っているときには、横隔膜と外肋間筋に加え、内肋間筋前部も使います。さらに、ガチガチに緊張していて無理やり吸うときなどは、横隔膜・外肋間筋・内肋間筋前部・胸鎖乳突筋・斜角筋群、大胸筋・小胸筋・僧帽筋・肩甲挙筋・柱起立筋群・上後鋸筋・肋骨挙筋を使うのです。

驚きましたか?だいぶプロセスが違うでしょう?

こういうことを、いちいち説明されないと理解できない鈍さを生きていると「新種の海洋生物を見つけたら、解剖しましょう」などと、生き物を殺したり自然環境を荒らしたりする流れを止められません。頭を介さずとも、身体でプロセスの違いを感じる力を取り戻しましょう。

Blood Ties?

My younger nephew loves me so much. So when I dry him off with a towel or help him change clothes, he looks absolutely overjoyed. His nose goes up triumphantly and he starts shimmy. He shakes his hips and his movement is like a twist dance. The way he expresses himself reminds me of people dancing in a club.

Last month, I had a really happy moment as I mentioned in an earlier post. Kenji Ozawa released a new single for the first time in 19 years. I could not contain myself. My body started to move the same as my younger nephew did. It is very rare for something to make me do this. And I felt the ties of blood between me and him.

Like Turning Pages of a Dictionary

Last year, I tried to use e-books and download music on my device. It was easy and it included something unexpected. Compared to reading a physical book, I felt some kind of emptiness and dryness.

At first I thought that it was caused by the newness of the experience. I have been reading real books for almost 40 years and have listened to CDs since my teens. But I felt something different than that.

This spring season, Kenji Ozawa, one of my favorite musicians since I was a teen, made a comeback. He had disappeared from the Japanese music scene for almost 19 years. On a radio program, he talked about the same feeling that I had. I don’t remember his exact words, but he said that downloading music is similar to turning the pages of a dictionary.

At that moment I wanted to scream, “Yes, that’s how I feel!” This spring I bought a CD for the first time in 15 years for my personal use. Having a physical form of the music gave the music weight and substance. It gave me some power which is rooted deeply in the here and now. And I get the same feeling when I buy paper books.

Downloading music feels to me just like turning the pages of a dictionary, It gives me some illusion of richness and happiness, but it passes quickly like dead leaves. Now I feel clarity because of my teen star, and I feel he is still my star.

野菜不足?

ずば抜けておいしい紅茶をいただきました。おはようございます。吉野実岐子です。

春は文具に続き、備蓄している食料も見直すことにしています。調味期限を包材に大きく書いたり、期限切れの物が重なる時期をスケジュール帳に転記することはもちろん「これで1週間、ここにあるご飯を頂くことでホッとできるメニューになっているか」を想像して、チョコレートなどのお菓子を少し足したりします。

実際に避難経験のある方は、とにかく野菜不足がきつかったとお話になります。ちょっとベランダで育てているネギやハーブなどが、どれだけ救いになったかという話も聞きました。だから、どの季節も必ず少しは育てるようにしています。

さらに、今回はふくれんの人参ニュース(九州産人参)も、備蓄用食料に追加してみました。フルーティでごくごく飲める、おいしいジュースです。紙パックなので、捨てるのも楽です。普段から、野菜ばっかり食べているので、備蓄用にもなるべく野菜を増やせるよう、さらなる手立てを考え中です。

緊急時には、ただおいしくて栄養バランスがいいだけでなく、ストレスを和らげる食が大切になってくると思います。日常だと毒になる食品が、非日常では少量ならば薬になるケースもあると思うので、日々観察と実験を繰り返しているところです。

「大切にするよ」

実は、未だにTwitterやっています。おはようございます。吉野実岐子です。

兄弟姉妹間で、関係が逆転していたり、確執がある場合もあるでしょう。どんな時も、お兄さんが先で弟さんが後、お姉さんが先で妹さんが後に生まれた事実は、揺らぎません。同時に、これは優劣ではありません。

どんな関係であろうと、ただ違って、そしていのちとしては対等です。その上で、兄弟や姉妹としての絆をすこやかに紡いでいくためには「お兄さんが先で弟さんが後、お姉さんが先で妹さんが後」という生まれた順に関する事実が、また尊重されるべきだというだけです。それは、単に事実を無視しないということです。

お姉さんやお兄さんは、妹さんや弟さんに、心からこう思う必要があります。「あなたを大切にするよ」。それはまた、お姉さんやお兄さんが、妹さんや弟さんにいつも祝福を贈り続けるということでもあります。

お姉さんやお兄さんは、心から「あなたを大切にするよ」と思って、妹さんや弟さんに接してきましたか?妹さんや弟さんは、どんなに喧嘩しようと、言葉はひどかろうと、お姉さんやお兄さんから「あなたを大切にするよ」という思いを、受け取ってきましたか?

お姉さんやお兄さんは与え、妹さんや弟さんは受け取っていきます。原則として、これが兄弟・姉妹間の絆を形成してきます。

春は文具。

もうすぐイースターかと思っていたら、今年は4月16日でした。おはようございます。吉野実岐子です。

春は文具の見直しをすることにしています。そこで今回見つけたのが、kadomaru PROKESU-PETAでした。

kadomaru PROに出会えたおかげで、実はやっと名刺が完成したんです。名刺は何年も前に作りました。まず、名刺に使いたい色の唐紙が出るまで、雲母唐長(京都・四条)に何度も何度も足を運びました。1年近く待って、やっと思い描いていた色のものが出たので、即購入です。

そしたら、名刺の原稿をつくって、中村活字(東京・銀座)に、唐紙と一緒に持っていって、これはもう翌日にできました。そしたら、点字を入れてくれるNPOなどを探して、そちらに郵送し、数週間待ちます。

そしてこの後、実は名刺の角を丸くしたかったのです。この工程がずっと何年も成されないまま気持ち悪かったのが、今回kadomaru PROに出会えてようやく成されて、気持ち悪さがとれました。

KESU-PETAの方は、電気代もかからず場所も取らず、スタンプではなく糊のように使えるので、購入を決めました。みなさんにとって、何を見直すことが、みなさんを前へ進めてくれそうですか?

余計な疲れを生まないために。

おはようございます。吉野実岐子です。

マラソンで伸び悩む方は、実際の1kmあたりのタイムと自分が思う1kmあたりのタイムに、大きな差(例:3分)が出るそうです。1kmあたり何分で走ると目標を決め、そのペースに乗れば、目標タイムでゴールできるよう準備するそうですが、1kmあたり3分も遅れると、その後のペース配分も狂い、フォームも崩れ、余計な疲れが生まれるそうです。

ペースの狂いを正すために、練習の時に時計を見ながら走って、口で「ふっふっはー」などと言い、音でペースを正確に管理していく練習をするそうです。「きつい」と思ってゆっくり走ると、逆にきつくなってしまうそうです。ペースやフォームに、気持ちを入れず、いかに正確に保っていくかが、鍵となるそうです。

わたしたちの普段の生活でも、同じことが言えると思いませんか?わたしが知る限り、マネージメント能力が高い人は、作業に気持ちをくっつけず、時間など第三者でも把握できる「事実」の視点から見てリズムを保って、進めていきます。マネージメント能力が低い人ほど作業を気持ちで見て、「事実」確認しないまま、やる気という気持ちでリズムを変えますし、1分間の感覚を身体で覚えていません。

例えば、わが家は約50平米ですが、掃除機は3分、水拭きは8分で終わります。さらに細かく「この部屋は、1分で水拭きが終わる」といった「事実」を把握しています。そうするとどう展開しやすいでしょう?

例えば、出かける時間まで1分あるとき「あと1分しかない」と焦ったり、「1分間時間を潰そう」と困る方向に行きません。「この1分であの部屋の水拭きが終わる」と、心は平らかなまま行動が進むだけです。

実際のタイムと、自分が思ったタイムの差を比べれば、その日の調子も自覚できて、その時点で修正をかけられるので、「フォームの崩れ」も防げます。良かったら毎日、やってみてくださいね。

横ではなく、うしろ。

おはようございます。吉野実岐子です。

極めて簡易化して記述しますが、親であるとは、子の前や横に立たず、後ろに立つことです。

後ろから背中を押し、倒れたら支える、それが親が子に無条件にし続けることです。横に立つのは、パートナーであり、そこには原則として「無条件に与え」「無条件に受け取る」関係は成立しません。そこに親子のかけがえのなさがあります。

子の前に立つのは、論外です。それでは親子関係は逆転します。「あなたにはわたしが食べさせてあげる」から「あなたはわたしに食べさせてね」と互いに手の中にあるスプーンを相手の口へ運ぶような、共依存の関係が展開します。

既に共依存の関係にあると、子と喧嘩しておろおろしたり、倒れるまで働いては子の世話になることが、延々繰り返されていきます。

親子の絆とは、親が子の後ろに立ち、親は無条件に与え続け、子は無条件に受け取り続けることです。実践あるのみ!です。

ちょっとだけがんばれる、が肝。

イギリスから洋書が届き、気合が入りました。おはようございます。吉野実岐子です。

少し前に英語の先生に、Creative Writing を勧められ「いやむしろ、当然書いてると思った」と言われ、もじもじしながらフィクションを書きはじめつつも、気持ちは文豪でいきている昨今です。

それでね、Creative Writerのみなさんは、やっぱりすごいなぁと思ったのは、こんな瞬間を掬いあげていることです。

満島ひかりさんが関わる作品は観ることにしているのですが、今週火曜まで放送中だったドラマ「カルテット」第八話で、彼女はこんな台詞にいのちを与えていました。

「ちょっとだけがんばるときってあるでしょ?
住所をまっすぐかかなきゃいけないときとか
エスカレーターの下りにのるときとか
バスをのりまちがえないようにするときとか

(男性: 卵バッグをカゴに入れるときとか?)

白い服着てナポリタンたべるとき
そういうね、ときにね、そのひとがいつもちょっといるの
いて、エプロンかけてくれるの
そしたらちょっとがんばれる」

こういう、自分にとって「ちょっとだけがんばる」瞬間に「ちょっとだけがんばれる」よう、手を差し伸べてくれる相手に、人は「救われた」「愛された」「やさしい」と思って、心を許していくんですよね。

このかけあいが絶妙だと、相性がいいと感じたり、日常がすごく楽になって、ひきつれるような感覚や痛みやちょっとした無力感が、さぁっと洗い流されるのか、蒸発するのか、まるで元からそこになかったかのような様相を呈します。

おおごととして「救われた」ときよりずっと、実は相手に好意を抱きやすい状況であり、実際の「救われる」総量からしたら、こちらの方がおおごとのケースより、ずっと膨大かもしれません。

そんな絶妙な助け合いが叶う相手は、実は深いところで同じ課題を抱える、いわばセルフヘルプグループ的存在だったりしますが、だからこそ関係が続くニーズも得も生まれるし、それらが関係を強化して、なかなか離れがたい相手になることが、多いようです。

一緒に成長しやすい相手ですから、実はパートナーには、こういう感覚を持てる人がいいです。ビジネスパートナーであれ、人生のパートナーであれ。

それにしても、英語の先生が小説を書いている事実には、驚いたのでした。

親子の絆(二)

大好きな冬が去っていくのはかなしくもあります。おはようございます。吉野実岐子です。

昨日の続きです。親子の絆が育っていると、自分の子供があなた以外の親を尊重できない様を目にすると、親としてあなたはつらくなるでしょう。もう離婚していたとしても、亡くなっていたとしても、その人に社会的あるいは倫理的に問題があろうと、そうしたことに一切惑わされず、つらくなるでしょう。

言葉にせずとも、いかにひどい父親/母親だったかを伝えて、無意識にでも子供と結託することは、親子の絆がほとんど育っていない状態です。敵が同じだから、あるいは、悪口でつながる相手は、その関係が友達であろうと仕事仲間であろうと、健やかな感じはしないと思いませんか?それと同じです。

表面でどう言うかではなく、自分の子の父親/母親のことを、あなたが心の底ではどう思っているかが、大切です。子供は見抜きます。その上であなたに合せてくれているかもしれません。それは、子供に負担をかけていることに他なりません。

離婚していたとしても、お亡くなりになっていたとしても、その子の父親/母親がいたからその子を授かったことに、あなたは感謝しかないはずです。その気持ちを起点に、相手をそのまま尊重していくとき、あなたの子供が自分の父親/母親と、健やかに絆を紡ぎ始められる準備が整います。

親子の絆(一)

洗濯機周りをあともう一工夫したくて出会った本多さおりさんの収納に、ほぉーっとなりました。おはようございます。吉野実岐子です。

親子の絆とは、甘やかしたり慰めたりなだめる関係の中には、育ちません。これらはすべて「一時停止」ボタンを押すのと同じ動きを生むだけです。親も子も、どちらも成長などしない関わり合いです。

親子の絆は、そうした腰が引けた関係ではなく、腰がぐっと入った関係の中で育まれます。言い換えるなら、あらゆる関係において、尊重は、腰が引けた状態からは生まれえないものなのです。

例えば、あなたの娘が「お父さんを尊重できない」様を見て、母親のあなたはどう思うでしょうか?あるいは、あなたの息子が「お母さんを尊重できない」様子に、父親のあなたはどう思うでしょう?息子が「お父さんを尊重できない」娘が「お母さんを尊重できない」ケースは、どうでしょう?

そうした時、どう感じるのが親子の絆が育っている証でしょうか?明日に続きます。

鶯の代わりに松風。

春分に入りました。おはようございます。吉野実岐子です。

茶道で釜の湯の音を「松風」と呼びますが、同じ音が鉄瓶から立つので、お家の中で「松風」を聴いています。

京都では鉄瓶を使っていませんでしたが、代わりに1か月以上もの間、鶯の声を聴くことができました。あの美声には、ずい分気持ちをほぐしてもらい、くすっと笑わせてもらっていました。京都はいたるところに竹林があり、だから京都産の筍も名が知れていますが、名張では竹林はちょっとしかないので、鶯の代わりに松風を堪能しています。

先日、コトコト煮込む料理が多かったのは、炭を使っていたからだと知って、ハッとしたんです。残り火を大切にするために、豆でも炊こうかという発想だったのです。わざわざガスを点ける今とは、ずい分システムが違ったのです。

コトコト煮込む料理は、芯から温まりますね。先日、能登に足を運べて、気持ちが芯から温まりました。能登は大都市を中心に捉えれば「時間がゆっくり流れている」や「スローライフ」や「秘境」と位置付けられますが、そもそも大都市中心ですべてを捉える発想が、ずい分人工的でおかしいのです。

いい顔の人が多いなと思ったのです。ただ時間が息を吹き返していると「時間がゆっくり流れている」ように見えたり「スローライフ」に見えるだけなのです。経済中心の効率主義では捉えられないから、そんな変な表現になっているだけなのです。

勝手に「秘境」扱いされたり「スローライフ」呼ばわりされて、経済中心の効率主義という部分的に断ち切られた発想に、「やっぱり大都市じゃないだし」や「最先端の物はここにこない」のように引け目を感じるのは、まちがっています。大都市じゃないからこその違う「政治」があり、それが都市の仕組みでは捉えられないだけで、全てが生き生きしていました。

そんなことを思いながら、鶯の代わりに松風を堪能している春分です。

ありがたくて、またひとつ自由になる。

柚子餅が気に入っています。おはようございます。吉野実岐子です。

「忙しい方が充実してるな」「締め切りがあってよかった!」こんな感覚を一度でも持ったことがあるなら、あなたは自由が何かを知っています。

「時間があるとダラダラしてしまう」「締め切りがないと自分を追い込み過ぎてしまう」と感じているなら、予定ぎゅうぎゅう詰めにするより、計画と目的をクリアにする選択へシフトしましょう。

予定ぎゅうぎゅう詰めにしている内は、あなたは自由の感覚はつかめていません。それは、時間によりかかっている状態だからです。

計画を立て、毎回その目的がクリアであるようにすると、時間にもたれかからなくなり、時間との間にいい風が吹くようになります。自由とはこの感覚です。

日常における時間との間の隙間が、尋常じゃない忙しさや今までにないきつきつの締め切りにも「それでも、いつもこうして、時間には助けてもらってばかりだ」と、ありがたさがこみ上げるようになります。

それは、生かされて生きているありがたさに、まっすぐつながっていきます。尊厳を立たせていくのです。

ご先祖様の身体の特徴。

ご近所で梅が満開です。おはようございます。吉野実岐子です。

みなさんはどのくらいご先祖様について、知っていますか?

例えば、曽祖父の好物や曽祖母の好んだお花を知っていれば、仏壇に添えたり、お墓まいりに持参したり、お盆を迎える頃に用意して、ご先祖様をよろこばせてあげられるでしょう。

お酒が嫌いなのにビールを置かれたり、甘いものが苦手なのに甘いお菓子を置かれたら、みなさんだって、うへっとなりませんか?

また、より大切なのは、ご先祖様の身体の癖を知ることです。水泳をしている身体と剣術をしている身体は違います。田畑を耕し続けた身体と机に向かい続けた身体は違います。病歴やスポーツはもちろん、普段の暮らしのなかでどのように身体を使ってきたか知りましょう。

家系の中で言い伝えられていなくても、明治期を生きた人なら写真が残っていることがあります。立ち方や肩の使い方だけでも見てみましょう。じっと写真を眺めるより、同じポーズをしてみることで、情報を得やすくなります。

もうすぐお彼岸ですが、親戚であつまるときには、こうした話をしましょう。こうした話なら、言い伝える価値があります。

愛はなにも救わない。

駅のホームで、鶯の鳴き声を堪能できました!おはようございます。吉野実岐子です。

人は長いこと「愛されれば安全だ」と考えて、いきのびてきました。能力で選ばれたり、寵愛をうけることは、(現在は崩壊しはじめている)社会経済システム上は、生きることに直結しています。

ところが、特に戦下のような困難にあるとき、愛しているからこそ深い信頼のもと、子供を手放す親がいます。家系のワークをしていると、主観では憎しみや恨みだと認識している裏に、おおきな深い愛が横たわっていることはよくあります。

色々はしょりますが、つまりは、すべて愛からはじまっているのです。だから、愛があれば大丈夫とか、愛が人を救うことはないのです。みなさんの苦しみや痛みの根源にも、愛があるからです。その意味で、愛はなにも救いません。

また、家系という巨大システムに要求される動きを、わたしたちは程度の差はあっても、必ず引き受けます。観察されうる事実は、それらも愛から引き受けていると、伝えてくれます。意志の力や感受性で、程度に差はうめても、そこから逃れられないのです。

単なるサバイバル目的で、愛したり愛されようとして、それでよしとしようと目を瞑る時代はもう過ぎています。あなたは、時代遅れになっていませんか?

人に必要なのは、愛ではありません。時を超えた全体の真実です。