人の手はあたたかいもの。

新緑の中にも、まだ山中の桜を楽しめる名張です。おはようございます。吉野実岐子です。

病の領域には至らぬまま、セックスに依存している状態にある方には、ご自身を誤解なさらないであげて欲しいと、思っています。

あなたは、性欲が強いから、セックスに向かっているわけではありません。不安が強いから、セックスに向かうのです。

もちろん、不安が強いとセックスではなく、食に向かう人もいます。向かう先の違いは、単に身体の特質に拠ります。胃に意識が向きやすい身体もあれば、性器に意識が向きやすい身体もあるのです。例えば、肩を脱臼しやすい身体の人は、どんなに筋肉をつけても、その傾向は変わりません。ただ、実生活で脱臼しなくなるだけです。(もちろん、ご本人にとっては大きなことです)

さらに、生育過程で、性的境界を尊重されずに育っていると断言できます。健やかな性的境界がわからないので、雪崩れ込んでしまう状態が、病の領域には至らないセックス依存の状態だといえます。健やかな性的境界とその尊重方法について、学べばいいだけなのです。

該当する方は、ご自身をより健やかな方へ導く勇気を出してみてくださいね。どうぞ、ご自身を誤解なさらないでください。

自分がダメだとかまだガマンできるといった、変なプライドは超え、病の領域に入る前に、本当のことを知りましょう。あなたに尊重と感謝があるとき、人の手はあたたかいものだということを、実感しましょう。

ちなみに、いくつも依存先があり、依存状態が長くなったら、依存症に近づいているといえるでしょう。例えば、嫌なことがあると買物したり、不安だとセックスしたり、一日の目標を立てる前にネットを見続けたり、もう無理!と思うと休憩するよりまずコーヒーを飲むなど、複数が同時進行している状態です。

類は友をよぶため「周りも同じだし」と発想しやすいでしょう。自分を丸めこまないようにしましょう。自分を見つめ、心を整理する必要がありますが、この時ひとりでやることにこだわらないことです。

助けられる側も助ける側も、尊重と感謝を差し出していくのが、健やかさです。つまり、助ける側も助けられる側も「どうやって相手を大事にしようか」と考え続けるのです。この点において助ける側と助けられる側は、対等なのです。

繰り返しになりますが、だから、自分がダメだとか、まだガマンできるといった、変なプライドは超えて、病の領域に入る前に、適切なサポートを受けてくださいね。あなたに尊重と感謝があるとき、人の手はあたたかいものです。

自分を身軽にする。

かつて海にいた恐竜である魚竜が、イルカそっくりなことに、驚きました。おはようございます。吉野実岐子です。

みなさん、自分を身軽にしてくれる環境にいらっしゃいますか?モノでいうなら、眠るときにはとろけるような感覚をえられるパジャマや精油を用意したり、習慣でいうなら、カフェインで自分を駆り立てず自然に意識が立ってくるセリやミントをとっていますか?

環境を構成する、モノや習慣は、思考と行動から選ばれたり生まれていきます。自分を身軽にする環境を得たいなら、今までとは別の思考と行動が必要です。

みなさんは、思考停止がいかに自分を鈍重にしているか、自覚されているでしょうか?あれもこれもと、思考停止案件がたまると、なんとなく不安や心配になりやすく、その混乱は選択ミスや腰の重さにつながっていきます。

たとえば、一冊ノートを用意し「4/25 森をまもることについて 4/30」のように、「思考停止した日付、思考停止している中身、思考再開予定日」をだーっとえば書き出すだけで、「こんなにやりかけ(思考停止)がたまっていたのか!」と、驚くでしょう。

上の例でいうなら、4/30にまた、森をまもることについて、考えてもいいし、突発的なことが起きたなら、4/30は消しゴムではなく二重線で消して、5/5と計画を変更してもOKなのです。

超シンプルなことがですが、心だけでなく身体も軽くなり、あなたから出る気もベターになると、いいことづくめの方法です。よかったら、まずは一週間限定ではじめてみませんか?自分を身軽にしてあげませんか?

絶妙な調和?

おはようございます。吉野実岐子です。

名張に住み始めてから、日常において「ちょっとこれだけ見にいって、選んでおきたい」ということが、かなり難しくなりました。ある程度買物の選択肢がある都市部に行くには、特急を使うことになります。電車の本数と行先の関係で、急行のみで移動しようとすると、異様に時間をとられ、終わるべきがちっとも終わりません。

ひとつひとつは大したことないけれど、どんどん片付けてしまいたいことを、思うままにすると、交通費と肉体疲労が、割に合いません。だから、どーんとまとまってから出かけるようになりました。結局、特急を使うなら、それが京都でも金沢でも東京でも一緒だという感覚になってきた昨今です。

洋服も、東京でいいと思ったり、あるいはわたしがシンプルに好きなものを買うと、名張では不調和で完全に不協和音になります。京都でも、若干ズレはありましたが、ここまで目立ってしまう感じではありませんでした。また、ぬかるむことが多く、虫が多いため、そうした事実も鑑みて買物することになります。

先日、中目黒でサンダルを見ていたとき、明らかに「そっちは名張では浮きまくるよ」という声が、わたしの中に生まれていました。果たして、わたしのあり方が調和し、肉体ももつ土地とはどこなのだろうと、考えました。

そして、多分そんな土地はないし、必要もないと思いました。でももしあったらステキだなと願う気持ちもあります。便利さと生きる実感はまるで違う軸だし、わたしが自然体でいること・自然体自体が刻々と変化していくことも、また別の軸だと捉えられます。

この間、郵便受けから英語の雑誌がでてきたとき(pdf版を年間購読しており、紙媒体が送られてくると思っていなかった)、取り出しながら、名張との余りの不調和具合にギョッとしたのです。ギョッとした自分にもびっくりです。ともあれ楽しみながら、変化しながら、絶妙な調和を生んでいく予定です。

日曜日を感じたレアな日。

おはようございます。吉野実岐子です。

先日、東京で「今日日曜日なんだな〜」と、すごく感じました。みんなの喜びや解放感が、街にふわぁっと、広がっていました。

この感覚は、名張ではほとんど味わえないものです。人口も少なく、過疎化し、車での移動を基本として、街がだだっ広くのっぺりとあります。歩行者がいることを前提としていないので、街路樹もなく、駅前からの市役所行きバスなどは日に二本しかありません。コミュニティバスも一時間に一本も走っていません。 横断歩道も原型を留めぬハゲっぷりで、車は我が物顔です。

東京など大都市のように、街のスピードが上がったり下がったりしません。常に低速な感じです。ちょっとした変化はあっても、リズムを刻む感じではありません。東京が西洋の楽器の奏でるリスムなら、名張は和楽器の節が弱めの感じでしょうか。

ただ、自然のスピードはすごく感じます。アグレッシブな燕に、急に一斉に鳴き始める蛙に、急に夏日になって花火のように咲く山中の桜など、今まで感じたことがないくらい、自然の力強さや冬に山の気がしずまっていく様子を感じることはできます。

しかし、自然に日曜日は関係ないのです。当たり前なのですが、日曜日だぁっと言わんばかりに、街全体が緩み喜びみたいなものに満ちる日曜日を失ったのは、少し寂しいことだなと思いました。

ちなみに、京都では、日曜日で街が緩む感覚より、観光客が多い週とそうでない週の緩急の方が、大きなものとして感じられました。街全体のリズムが観光客によってかなり左右されていました。観光客が減ると、今だとばかりに動く地元の方が多めだった心象です。

みなさんは、日々人がつくるどんな動きに影響を受けているでしょうか?よかったら、感覚をすくいあげてみてくださいね。

強迫性。

小糠雨がきもちいいです。おはようございます。吉野実岐子です。

西洋医学でいう病気と診断される前に、つまり症状としてそれを持つ前に、わたしたちは必ずその状態に入ります。例えば、鬱病になる前は鬱状態になり、依存症になる前は依存状態に入ります。

わたしは医師ではないので、むろん診断はできません。ただコーチングとしてお受けできるか、判断はします。自分の領域の限界を見定め、ラインをひいていくことは、関係者全員をまもることであり、どの職業においても必要なことに過ぎません。

一方、どのサービスを受けるか、迷う方も多くいらっしゃるでしょう。ここでは自分が依存状態にあるのか、依存症なのかを識別し、より適切なサービスに自分を出会わせるための、簡単なガイドラインを書いておきます。

依存症だと、明らかにそこには強迫性があります。仕事を対象とし、依存症といえるまでになると、すごくハードに仕事しながらも、つらくてすべて放り出したいと思いながら、極端な働き方から撤退できません。鬱病やバーンアウトで強制的に止まらざるを得ない展開は、多いようです。

セックス依存症の人にとって、セックスはもはやセックスではありません。安心と官能の世界ではなく、劇薬の世界になります。楽しくないし嬉しくないのに、ブレーキがなくて止まれないのです。事後には罪悪感や嫌悪感に襲われます。苦しいのです。

タバコやお酒は、それを止めることを助ける手立てがいくつもありますが、日本において、数いるのに助ける手立てが少なくみえる二つを、取り上げてみました。

例えば、セックス依存症などは、WHOは精神障害ではないと位置づけており、国によりラインが変わります。

みなさんができることは、依存状態にあると気づけたら、その段階で幸せになる勇気を出して、助けを求めていくことです。依存状態にあることは、人としてダメなわけじゃないです。もしそう思っていたなら、あなたは傲慢でした。周りの方が依存状態にあるなら、その方の幸せを願う場所から、伝えてあげましょう。みなさんお一人お一人のいのちがまもられることを、心から願っています。  

リンデンフラワー。

蝶をたくさん見かけます。おはようございます。吉野実岐子です。

ospreyの爆音と振動や、工事で家が何ヶ月も揺れ続けるなど、ストレスから逃れられない状況にいらっしゃる方も、たくさんいらっしゃることでしょう。

そんなときオススメしたいのが、リンデンフラワーです。強力に落ちつきます。同時にそれだけ効果が高いということから、ハーブは薬だという認識を新たにしてください。

「リンデンフラワーがあるから、この先ずっと大丈夫」ではありません。リンデンフラワーのいのちをいただいて、一時的にハードディスクの容量が増えたパソコンのようになっただけです。その間に、フリーズして触れなかった、動き続けているプログラムを閉じて、1番にやらないといけなかったことをして、その先が大事です。

あなたがパソコンだとして、そういうパソコンの使い方になってしまう、思考と行動のパターンを変えて行くのです。これをしないと、ただ色んなものに依存して終わりです。対象がなんであれ、依存には感謝と尊重が存在しえません。

思考や行動のパターンは変えるために、植物のいのちをいただいているのです。ありがたさといのちをいただいている重みから、助けていただいている植物に、きちんと感謝し、尊重しましょう。保全活動などに寄付したりしながら、地球全体に少しでも優しい選択を重ねていきましょう。

山中の桜にアグレッシブな燕。

おはようございます。吉野実岐子です。

名張で迎えた初めての春、やはり驚くことがいっぱいです。紅葉も、山の紅葉をひきで見ましたが、桜も山に一本だけ生えているのを見つけたり、遠くから河原に生えているのを見つけて、後日ピンクの群生に向かって歩き、近くでも楽しむような感じでした。

京都の時は、みなさんお庭が凝っていらっしゃって、紅葉も桜も梅も、家の中から堪能できる、借景ありがたし!の日々でした。名張は、手の入っていない田舎なので、洗練とは真逆の地です。先日、奈良でベーグルが売られていることに感動したくらい、物もありません。桜も紅葉も、真近でしげしげ眺めるのではなく、あくまでもひきで、どーんと山の一部として見るこの感覚は、庭木のような人工とそもそもの自然とを、自分の中で際立たせてくれて、それはとても面白い感覚です。



(撮影は、2017年4月15日)

さらに驚いたのは、アグレッシブな燕でした。京都でもツバメはたくさん見かけました。しかし、どちらかというと、蛇行して飛ぶツバメや、巣に餌を運んでくるツバメや、電線に止まっているツバメをみていたので、可愛いさが、心象として強かったのです。ところが、名張では羽虫が出てきて数日後には、ビュンビュン飛び始めました。直線的に猛スピードで飛ぶそのアグレッシブな姿は、ハンターそのものです。必死で生きる燕の自然な姿には、なんだか涙が出そうになりました。力強いんです。

引っ越してきたばかりの頃、タクシーの運転手さんに「この辺は冬が長いから、衣替えも遅いんだよ」と、教えて頂きました。京都市と比べると、常に3℃ほど低く、冬の最低気温は-5℃の日も多くありました。雪はコントかと思うほどさっさと溶けますが、気温だけで見ると、北陸地方の主要都市より常に寒かったのです。当然、京都市よりも寒かったです。まだまだ初めての春は続くので、どんな驚きが待っているのか、楽しみに待とうと思っています。

くっついたり、離れたり。

ベランダのアマリリスが、既に咲かんばかりの勢いです。おはようございます。吉野実岐子です。

くっついたり、離れたり、繰り返せることを、ご縁や絆だと、思っていませんか?

くっついたり、離れたりを繰り返すのは、冷凍したお肉を解凍→冷凍→解凍→冷凍と繰り返すようなものです。お肉は劣化します。バサバサになるでしょう。相手との間にあった、愛とみなさんが呼ぶだろうものも、同様にバサバサになっていきます。

苦しみが必ずついて回る、愛にみえる何かは、ただの共依存です。目を覚まし、新しい風を人生に引き入れてあげると、自由になれるでしょう。

助けを求めるのをためらう?

二十四節気では、穀雨に入っていますね。おはようございます。吉野実岐子です。

助けを求められない人は、時間・お金・相手のせいにしたがりますが、真の課題はそこではありません。相手を尊重することがどういうことか、わからないから、助けを求められないのです。

助けを求めるにも、作法があります。「相手になだれ込んで、相手の課題にしてしまえ」という、相手を利用する態度は、助けを求める態度ではありません。それでは、お尻を拭いてもらって、おっぱいを飲ませてもらう赤ちゃんです。そして、視点として原因論をとるならば、その時期に課題があるとも言えます。

助けを求めるなら、助けてくれる相手の尊厳をまもり、尊重することが必要です。助けてくれる相手を破壊するように、迷惑をかけることは、助けを求める作法に反します。同時に、助けを求めている自分の尊厳をまもり、尊重することも大切です。「助けを求めるなんて弱い」という戯言は、時間・お金・相手のせいにするのと、同レベルに位置する、あなたの本音を隠すものです。

「どうやって、相手を尊重したらいいかわからないんだ。どうやって、自分を尊重したらいいかわからないんだ」その本音に素直になることです。そして、助けを求めているのだから、相手が責任を取ってくれて、自分は無責任でいられるという発想の狂いを認識することです。

いかなる理由があろうとも「無責任でいたい」とは、精神病に向かう状態です。精神病になれば、責任能力がないとみなされます。無責任でいられることが、助けてもらえる状態ではありません。無責任でいられるとき、あなたはただ異常です。

小さな子は、責任能力に限りがあります。それが健やかな状態です。赤ちゃんには、ほとんど責任能力がないといっていいでしょう。でも、赤ちゃんは大人に微笑みかけ、それだけで大人を満たします。異常な大人は害ですが、赤ちゃんは力を与えてくれる存在です。同じ無責任でも、影響する方向は真逆です。

助けてもらうとき、少しでも躊躇するなら、自分の真の課題と普段から丁寧に向き合う必要があるでしょう。「助けてくれる存在に、多いに迷惑をかけて責任を取ってもらい、自分は無責任でいられる」ことが、助けてもらうということではありません。あなたが人間であるならば、人間に戻ってくださいね。

Swallows and Frogs.

While I lived in Kyoto, I knew when spring approached by the beautiful voices of the Japanese bush warbler, and the many spring flowers, including the Japanese apricot and cherry blossoms.

I lived next to a bamboo forest and my apartment was surrounded by many houses with gardens. It seemed that the inhabitants had lived there over several generations. And each of their gardens had beautiful seasonal foliage. Thanks to them, I became aware of the seasonal changes in a very gentle way. I was nurtured by those flowers and trees which I could see from my windows. They informed me of slight seasonal changes, so I could naturally prepare for the next.

After I moved to Nabari, I lost those sources of support. Now I see a big mountain and rice fields from my window. But they do not show me the slight seasonal changes as before. In Nabari, animals bring signs of seasonal change. Before seeing cherry blossoms, I heard the voices of frogs at night. Before enjoying the full bloom of cherry blossoms, I saw flying swallows. They look so busy.

Before, the signs of spring were the bush warbler, Japanese apricot and cherry blossoms. And now the signs of spring are swallows and frogs. This has been a very interesting shift to me.

アスリート。

プリンターのインク、インクそのものを補充できるようになったんですね!おはようございます。吉野実岐子です。

a)アスリートは、自分と競う相手を研究します。あの人はこの技をこれくらい入れてきて、これくらいの確率で成功させるだろうと、予測します。

b)しかし、より高みを目指すアスリートは、そうした競う相手が目の前にいると、自分はどんな精神状態になるかを研究します。平常心でいる訓練を始め、それに役立つ習慣をつくります。

アスリートでなくとも、同じです。より高みを目指す人は、b)の状態を土台としています。a)で留まらないのです。

幸せというと、桜やスィーツなど、安易に考えている方は、b)に行くことを考えたこともなかったでしょう。成功にみせかけ、幸せにみせかけ、自分は健康だと思い込もうとしている内は、あなたは自分の生を生きることすら、できていないのです。

空間を要求する。

上野で開催中の「大英自然史博物館展」に行ってこれました!おはようございます。吉野実岐子です。

「空間を感じてね」と伝えると、空間を想像しはじめてしまう方がいらっしゃいます。そうではなく、敢えて言い換えるなら、空間を要求してみてください。要求する感覚は、こちらをご参照ください。

空間を感じると、当然地球全体を感じていくことになります。今あなたがいるところより荒れ果てたところも、今あなたがいるところよりずっと美しいところも、全てを感じることになります。あなたを揺るがしもし、あなたの目を見開くことにもなるでしょう。

もし本当にそれだけ広大な範囲を感じたら、頸椎がばんばんずれる程度ではおさまらず、何日も寝込むことになると思います。それでも、徐々に空間を要求し、感じる範囲を広げていく方向が、地球全体が正しい位置に戻っていくために、人間が向かうべき方向です。

腕の関節は、いくつ?

桜で狂っている時期を避けて美容院に行けたので、ホッとしました。おはようございます。吉野実岐子です。

みなさん、腕の関節はいくつあると思いますか?「肩と肘と手首で三つじゃない?」と思う方が多いかもしれません。

でも、実は腕の関節は四つなのです。肩(肩甲上腕関節)と肘(肘関節)と手首(手関節)に加えて、胸鎖関節(鎖骨と鎖骨の間、ちょうどネックレスのヘッドが来る辺りの下)があるのです。胸鎖関節は、顎から少し下に行ったところにあるわけですが、ここから腕が始まっているのです。

「腕は肩甲骨から動かしましょう」と言ったりしますが、「胸鎖関節から動かしましょう」と言われた方が、驚く人が多いかもしれません。よかったら今、片方の腕を軽く動かしながら、もう片方の手で胸鎖関節を触ってみてくださいね。

もしも胸鎖関節がないと、腕が胴体から浮いてしまうことになります。胸鎖関節があるから、腕と胴体がつながっていて、連携できます。

今「あー驚いた」と思っている方は、これで認識が変わったので、腕や肩の可動域が今日から広がる可能性があります。ぜひ新しい感覚を楽しんでくださいね!

休むとは、身体を全体として感じること。

この7年、ドレッシングは手作り生活をしてきたのですが、グラッツェミーレ(高知)のドレッシングはおいしかったです!おはようございます。吉野実岐子です。

触覚が呼び覚まされると、綿99パーセントの気持ち悪さを無視できなくなります。「グレーは白に近い」のように、一緒くたにして違いを無視する態度から、「グレーは白じゃない」と違いを認め尊重する態度を取れるようになります。綿99パーセントは、綿100パーセントではないという事実を、触覚が判別するようになります。

そうなると、自分の身体の骨と骨の位置関係も、自覚できるようになります。休むとは、自分の身体のサイズを感じ、身体の緊張と弛緩を感じ、そうした位置関係を感じ、呼吸の動きを感じ、働き続けている内臓の微細な動きを感じていくことです。

身体の一部の痛みや腫れや喉の渇きといった不快感を認識することは、休むこととは違います。自分への責任を放棄し、「気にしない」と飲んでは夜更かししたり、だらだらして自分を見捨てることも、休むことではありません。

あくまでも、身体を全体として感じることが、休むということです。