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今日から、お味噌が能登のものになりました。おはようございます。吉野実岐子です。

みなさんは、しゃべってもしゃべっても進まない、おしゃべりや戦略会議を、経験したことがあるでしょう。例えば「どうせ自分はもてない」と信じていると、「今付き合っている相手にふられたら、もう二度と彼女/彼はできない」」と思えてきて、とても苦しくなります。そうなると「どうせ自分はもてない」と信じている者同士で自然と惹かれあって、おしゃべりが始まります。

お付き合い中の相手がいる人は、そこでちょっとした優越感を感じながらも、お付き合い中の相手がいない人は、そこでちょっとした嫉妬と希望を感じながらも、「結局、女なんて」「やっぱり、男っていうのは」という話で盛り上がれます。「ガス抜きしたぜ!」という気持ちになれます。なぜでしょうか?

「どうせ自分はもてない」という考えが強く迫ってきて、「今付き合っている相手にふられたら、もう二度と彼女/彼はできない」「もう二度と付き合う相手はいないかもしれない」といった分裂した思いとなって自分の中に迫ってくることから、自分を救うために「結局、女なんて」「やっぱり、男っていうのは」という会話をするのです。

自作自演なのですが、本人たちは気づいておらず、必死で自分を救おうとして、こういうおしゃべりや役員会議をします。こうしたおしゃべりや会議は、してもしても延々進みません。考えるとは、本質的には前進ですが、こうしたおしゃべりは思考が停止して、壊れたレコードのようになっているので、慰め合うだけで、一向に痛みも苦しみも減らず進みません。むしろ、話すほどにもやがかかってきます。

冒頭でビジネスでもこういう会話はよくあると、指摘しました。「確かに~かもしれませんね」というフレーズは、こうした会話をそこかしこでしている人が、つい言ってしまう言葉です。つまり、その人は、何か信じることがあって、故にそれが自分に強く迫ってきて、そこから逃れたい自分を救い出したいと思って生きている人です。そして、それは自作自演なのです。もっというと、その信じていることはあやまりです。

しかし、自作自演であると気づけば、自分に責任がふりかかるので、そうは思いたくなく、であるが故に「この時は集中していなかったから」などと言い訳を始めます。嘘みたいに、本人はその茶番に気づきません。セルフイメージと自分自身がイコールではないことに、気づいていないからです。いかがですか?思い当たるでしょう?