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おはようございます。吉野実岐子です。

子供が「ねぇ、見て!」と言いますよね。「ほら、〇〇なの。見て!」と見たばっかりなのにすぐ、言いますよね?本当は、これは「見る」力のすごさを、大人が正当に評価し認識できるチャンスなのです。

311の時、わたしは白金にいました。その日は朝起きたときに、ゼリーの中で固められたフルーツになった感じがして「これはまずい。でも何がまずいのかわからない。うーん、出かけない方がいい気がする。しかしやっと予約が取れたのだ」と、しばし考え込んで「どこにいても自分で自分をだいじょうぶにできるんだし」と、最後は約束をそのまま履行することにしたのでした。そして、用を終えて地下鉄の改札を抜けて、目の前のお手洗いに入った瞬間、激しく揺れ、そのまま踵を返して、改札から抜け、地上に向かって走ったのです。

あんまり揺れが大きいので、走って一瞬空中で止まったかのようになる瞬間に、地面の揺れの大きさが見えたので、なるべく滞空時間が長くなるような走り方をしていました。そしたら、右手にうずくまっている人が見えました。わたしはその人を見て、少し速度を下げて走りながら、その人を見続けました。そして、その人を通り越し、その人を後ろに見続けながら、走っている状態の時、その人は立ち上がって、わたしに礼をしました。地上に向かって歩き出したのを見届けて、わたしはまた走る速度を速めました。

あの時、私はただ「見た」だけでした。でも見続けたことで、その人は立ち上がることができました。そのときを後日振り返って、「見る」力のすごさを正当に評価し認識できたと思います。

人は亡くなった人と共に生きているので、死者を「見る」ことも大切なのですが、まずは生きている人を「見る」力を、ご自身で正しく評価し認識していくと「自分がひとりぼっちだ」「自分は何もできない」といった妄想にも入れなくなると思いますよ。