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おはようございます。吉野実岐子です。

何事も感動できるかどうかは、その人の器量によります。器量が小さいと、感動もできません。

(ちなみに、感動とは心が激しく揺さぶられ、涙が流れるようなものではありません。それは単に自分の毒素をだし、周りに迷惑をかけているだけです。排ガス規制がなかった頃の車のようなものです。周りはうんと迷惑しています。)

受け取れる器があってこそ、感じとれる微細な感覚があってこそ、感動もできます。それは静けさに満ちながら、一皮も二皮も剥けるような経験となるでしょう。

コーチング中も、器量を育ててきた人ほど、同じワークに感動します。既に問いを持ち探究してきた世界こそ、その一歩の凄さや一手の価値がわかるというものです。

器量を育まず「次はどうやって、わたし/僕を満足させてくれるの?」といった生き方をしてきた人ほど、感動はできません。気持ちを上下させるなら、それは単に器が小さく鈍いだけです。

感動は周りをかきみだしたりせず、静かに周りと調和しつづけながら、味わわれていくものです。それは、変容の証として、穏やかに起こっていきます。

「みんなが感動する」は何の役にも立たない指標であることも、ご理解いただけたのではないかと、推察しています。

多くの人が「感動したの〜」と、心を乱暴にひっかきまわされたこと、つまりは多大な迷惑に正の評価をしているのを見るのは、なんとも奇妙な心持です。