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大変な思いをされているみなさま、心よりお見舞い申し上げます。おはようございます。吉野実岐子です。

限度を知らない人、つまり現実を生きられない人は「どこまでも受けいれてほしい」と願います。日本ではある時期から「受けいれることがいいことだ」という風潮が強まり、「受けいれましょう」が大手を振って歩くようになりました。

これが促進した実体は、寛容さや優しさではなく、欲深さをより中心においた社会づくりです。「受けいれてほしい」は、欲に他なりません。自分が安定するために「あなたはわたしを受けいれるべきだ」と脅迫しています。相手への感謝ではなく、相手を利用してやろうという欲の渦巻く思いです。

子供は「受けいれてほしい」とは決して言いません。「見て」はたくさん言います。子供を見て子供中心にしてあげる、すなわち同調することで、子供は「受けいれられた」とも表せる感覚を得ます。ただし、そのとき子供があなたに言うのは「大好き!」です。好き嫌いというジャッジは、自分の安定を目的として使われます。それは、子供にとっては大変健やかなことです。

小さな世界で、まずは自分が安定する必要があるから、毎日自分を殴る親でも子供は「好き」と言います。いなくなると、安定しないと判っているからです。自分の身体に合わないものを「嫌い」と表現して、ちゃんと身体が安定するようにします。子供の好きは、自分が安定したことを表すだけです。同時にそこで得た「変わらない軸」は、子供の器を大きくするために必要なものです。

「受けいれて」は欲に過ぎません。欲に応じるほど、社会も地球も劣化します。欲を受けいれなくていいのです。いえ、決して受け入れてはいけないのです。それが、優しさや寛容さのある社会、持続可能な地球につながる生きる姿勢です。