Tags

おはようございます。吉野実岐子です。

もし、この記事に句読点も段落分けもなかったら、読んでいて苦痛になるでしょう。もし、休符のない楽譜に基づいた音楽を流されたら、疲れてしまい、耳をふさぎたくなるでしょう。

「この音楽を聴いてもらおう」と思うほど、休符を使わない選択は消え、「この記事を読んでほしい」と願うほど、行間を大事にするでしょう。

それなのに「静かに過ごしましょう」「穏やかに生きましょう」とお伝えすると「修行みたい」と発想する人がいらっしゃるのは摩訶不思議です。人の心身は休みありきで創られているので、「静かに」「穏やかに」過ごす方が自然です。

「休みなく前へ進み続けるのが、優秀だ」と解釈し、休めない生き方を自分に強いていませんか?刺激には刺激でいなす、ジェットコースターに乗り続けるような生き方こそ、修行です。そして、わたしたちの心身が休みありきで創られていることすら理解できない人が、優秀であるわけはありません。「休まず、高揚感で乗り切れる」のなら、心身が深いところから壊れていっていることすら、認識できないほど、認知機能が低下した状態にあるだけです。

「優秀だとみられたい」という欲を満たすにしても、休符がある音楽に耳を傾け、行間がある文章なら読みたくなるのですから、休まない生き方は、その欲すら満たしてくれない生き方です。休みありきでつくられている心身を生かすには、休むことです。休めるように、すべてを再選択する時機です。