三年前の忘れ物。

8月はお盆もあったし、戦争に目が向きやすいし、世界全体が劇場化しちゃってみんながドラマに動かされがちという動きもあり、地に足がつかず、浮わついて混乱を生きる方が、驚くほど増えていました。おはようございます。吉野実岐子です。

7月下旬から「三年前アゲイン」の流れが来ています。三年前に先送りしたテーマが、もう一度、みなさんの前に表れています。見た目の事象が全く同じでなくても、すこし掘るだけでその根っこは同じで、同じテーマであると自覚しやすいと思います。

三年間手をつけていないこと、先送りしたこと、放置したことがあれば、速やかに取り掛かりましょう。物理的なこともそうです。例えば、三年前に緊急避難グッズをセットして、それから三年間チェックしていないなら、この数日のうちにチェックし終えましょう。例えば、三年前から「この手帳いまいち」と思える手帳にしか出会えていないなら、徹底的にとことん探しきります。例えば、三年前に夫に対してもやっとしたことが今も残っているなら、話し合いなどしましょう。

この三年間の先送り・やり残しに手をつけることができる、すなわち三年前の忘れ物を取りに行ける扉が開いている特別な時間の内に、さっさとなさってください。この文章を読んで「そういえば」と思いついたこと、すべてをただ着々となさってみてください。

考えるな、行動しろ!のステージです。落ち着きながら、急ぎましょう。

お世話する人・される人。

赤トンボ・シオカラトンボ・ハグロトンボ・オニヤンマなど、家の周りでは探さなくても多くのトンボを見かけます。おはようございます。吉野実岐子です。

多くの方が助けについて、勘違いをしています。幼いときの成功体験を、大人になった今に引きずり込んでいます。あの頃「弱いと助けてもらえる」「痛みがあると助けてもらえる」と、学習したかもしれません。

その結果、無意識のうちに、自分の強さを相手に譲渡し、相手が自分に「おせっかい」「お世話」という侵入をするように誘います。自分の境界をゆるめて、弱くあろうと努めるのです。「そうすると、あの頃は助けてもらえた」という強い印象が残る記憶の中を、今でも生きているのです。現実にいないのです。

「痛みがあると助けてもらえる」と痛みのある自分をアピールし、caring personを見つけては、巻き込んでいきます。careされるかどうかが、自分の居場所そのものとダイレクトに関わるからです。人のお世話も好きになり、相手が望んでいなくともそうする、おせっかいになっていきます。

でも、弱さや痛みで、助けてもらえるよう相手を誘っても、それは同じテーマを持つ人を呼寄せるだけです。一時的にとても分かり合えるでしょう。癒されると感じるでしょう。安心「感」も得られるでしょう。でも、1年後…3年後…5年後…10年後、そうした相手はあなたの首を絞める存在へ、変わってしまうはずです。

見たくないものを見られる強さを育まないと、いつまでも真の助けは得られないのです。助けてほしいと思うときほど、助けてくれそうなcaring personを探すのではなく、自分の内側にじっくりつながりなおして、放棄したあなたの強さを取り戻すチャンスです。

【開催概要】 9/18,20,22 単発コーチング「真の強さを取り戻す」

fakeもここまでくると、面白いなぁ。おはようございます。吉野実岐子です。

みなさんは、神社でお辞儀するとき、「えっと、神社だから二礼二拍手だったな」のように、自分に言い聞かせて、お辞儀していないでしょうか?あるいは緊張したりして「前の人を真似て、粗相のないようにしよう」のように、頭の中でに動きが起きていませんか?

しかし、神社で真に神様を感じたなら、お辞儀しようという意識もなく、習慣として身体が勝手に動くのでもなく、自然と頭が垂れてしまうものです。それはとても気持ちのいい、ハンモックに揺られているような感覚を伴います。「素直に頭を垂れる」とは、この状態です。

多くの方が、人と比べて羨み、自分から逃げます。多くの方が自らを蔑み、現実から逃げます。そうして、人生で「失敗」を積み重ねます。境遇を嘆き、身体の状態を愚痴り、そこに逃げ込んで小さく生きます。あるいは、そうした重荷を使って、何かを得ようとずるくなります。

苦悩に境遇に運命に宿命に病に「素直に頭を垂れて」ください。人と比べ「みんなと違う経験をしている」と思う、分離感を生きるのではなく「自分にとってはこれが普通」をただ生き続けるのです。「これが普通」と言い聞かせるのではなく、素直に受けいれ頭が下がる状態に吹きだしをつけると、そこに「これが普通」とあるだけです。

「素直に頭を垂れる」と、苦悩や境遇や運命や宿命や病ゆえ、人一倍努力が必要でも「ただそれだけなんだ」と、ストンと肚におちます。人一倍の勉強や練習に励むことを「これが普通だ」と普通にできます。

きつい運命に、子供の頃から横たわっていた苦悩に、ただ「頭を深く垂れる」とき、あなたはうんと強くなります。それは、内からやって来ます。そうしてひれ伏すとき、心ゆくまで苦悩や境遇や運命や宿命や病を堪能したあなたは、望まなくともワンネスへと戻っていきます。

そんな風に、自分の真の強さを取り戻す秋にしませんか?成功しませんか?

~~~ 「真の強さを取り戻す」単発コーチング(一か月フォローアップ) ~~~

■ 日 時:  ~下記以外をご希望の場合、10月末までの日付を5つご提案下さい~
– 9月18日(月)午後 14:00~15:15
– 9月20日(水)午後 20:30~21:45
– 9月22日(金)午前 9:30~10:45

■ 手 段: スカイプ or 電話
■ 参加費: 30,000円
■ 定 員: 3名 (先着順)

■ 〆 切: 9月10日(日)夜9時
■ お申込みと新日程の提案(~10月末)は、こちらから。(特典・注意事項もこちらです)
⇒ しめ切りました。

 ~ キャンセレーションポリシー ~
お申込みと共に、キャンセレーションポリシー適用となり、お受けにならずとも、セッション費はそのままお支払い頂きます。お子様の急な発熱・弔事・天災によるライフライン断絶時などには、日程を調整し対応します。 これまでに頂いた感想は http://wp.me/p2ZjtS-9L5 でご覧下さい。

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実は女性が恐い男性は、内なる強さを見失っています。同様に、女性を尊重できない女性は、男性の求めるがままに応じ「自分があやまりで男性が正しい」と見なします。この組み合わせのカップル多いです。

もちろん、男性が恐い女性も、内なる強さを見失っています。男性を尊重できない男性は、女性の求めるがままに応じ「自分があやまりで女性が正しい」とみなします。この組み合わせももちろん多いです。

この秋、多くのカップルが、上記のテーマと向かい合わざるを得ないでしょう。しかし、いずれも内なる強さを取り戻す好機に過ぎません。単にコーチングを試してみたい方も、この機会をご活用くださいね。

一歩踏み出す勇気を、大事にしてみて下さい。いくら待っても助けはやってきません。真の助けはいつも、あなたの内からやって来ます。それも、見たくない方から、痛みと共にやって来ます。それを愚痴り「敗北」するか、真にひれ伏して「成功」するかは、あなた次第です。

2017/08/28 「「これからも、変わっていくと楽だろうな」と思っています。」

経営者の40歳の男性が、ご協力くださいました。インタビュー当時、コーチング歴は8ヵ月です。

Q1. コーチングを始めた経緯を、教えて下さい。

学生だった2001年にコーチングを知り、本で読んだりして「共感して受けとめてくれるもの」という印象を持っていました。社会人2年目にチームリーダーになりました。そもそも自分の仕事も軌道に乗っていないから辛くて、コーチングを受けましたが、心持ちという一部を取り上げ、踏み込まないコーチの様子に「いい感じで終わらせたい」意図を感じ、マイナスがゼロに戻った3か月後コーチングを終えました。

その後、コーチングの資格取得者と話す機会は多々あっても、コーチングへのネガティブな印象は変わらず「今のあなたでいいんですよって、そうじゃないから、お願いするんだけど」と思っていました。創業後の2015年に「自分の器=仕事の器なら、誰か自分についてくれる人が欲しい」と思い始めた頃、みきちゃんのコーチングを受けていた家族がメールマガジンを転送してくれて、ブログも読むようになりました。「表面の意識を変えるとか、そういうことが問題の解決じゃない」と言われているような、見ている範囲の深さを感じたんです。

最初にオンラインのセミナーを受けて「確かに、今の状態は父親など自分の後ろの存在ともつながっている」と面白く、ご先祖様のことをより考えるようになって、単発コーチングも受けてみたら「受けとめるを超えて、みきちゃんには、なぜ自分がこういう状態になっているかが、自分より見えている」感触がありました。身体やビジョンといった自分が持っていなかった切り口から、自分がバラバラな感じを気づかせてもらえて「何でも話せそう」とコーチングを申し込みました。

Q2. 実際に経験してみて、コーチングはどんなものですか?

コーチングは、自分を統合していくものです。自分の周りに「バリア」をはったかのように、周りに変に悪く影響されなくなって、グラグラしなくな りました。根っこを変えていけているプロセスを体感できています。「これからも、変わっていくと楽だろうな」と思っています。

コーチングを始める前は、状況と自分を切り離せず、内なる統合も知らずに、疲れていました。人の悩みをげっそりするまで聴きながらも、メールでフォローまで送ってあげたり、お客さんからのネガテイブなコメントに「どうにかプラスに持っていこう」と心が騒いでいました。

今は、予想外の質問にも、まずその内容に興味が向きます。「自分は自分でただこれを伝える」と、届けたいことを届けることに集中しています。「せっかくこうやって声かけてくれているんだし」や「寄り添ってあげないと」がなくなって、「切るものを切るんだ」と思えるようになりました。時間の使い方が変わって、流れが良くなりました。

空間も、今までは整理整頓はしても、清いのかどうかという感覚はなかったところに、今は清く保つような取り組みをするようになりました。そうでない環境に行かなくちゃいけない時は、なるべくその影響を受けにくくするために、新幹線であれば耳栓、まちがったお客さんのところに行っちゃったときは、手のツボを押しつつ聞いたりします。

それまで持っていたコーチングのイメージからすると、みきちゃんのコーチングを受けてみて、全部意外と言えば、意外です。気になっていることだけをアドホックに扱うのではなく「なぜ起きているか」に目を向け続けていけるアプローチの深さがあります。しかも感情だけに留まらず、身体の使い方や血縁関係を含む、ホールネスを扱うアプローチだから、「根本的に変わっていける」感触を持てています。

Q3. コーチングだからと、工夫したり準備することはありますか?

意識はしますね。その場では「なるほど」と思いつつも、すぐ元に戻りそうな人間だという自覚もあって、毎回の宿題が色々な中で意識されていた問いを想起させて、何となくやっていたところに旗が立っていく感じがします。宿題や前日メールの問いがあって、よかったです。

事前のやり取りも含めて 決まりきった感じでもなく「今のこの状態ならこれ」と進んでいくし、症状を緩和したいのではなくて、治癒させたいという思いも汲んでもらえて、治癒につながるところをピンポイントで的確に指摘してもらえるから、安心して治癒に向かえます。

身体と疎遠だった自分が、今では、一番優先度が低かった身体の信号から考えるようになりました。以前なら「でも、もうちょっとこれを頑張ってから休もう」といなしていた状況で、今は悪化しないように足湯したりとすぐに対処しながら、「なぜこうなったか」を因数分解します。因数分解できる材料が増えているのは楽しいし、「あー頸椎が」とか思っている自分も、面白いです。身体のことはうれしいです。

例えば、正しく立つと、仕事のパフォーマンスが上がるなんて、面白かったです。身体のことが仕事のパフォーマンスにつながって、そうすると、色んなものを関連付けて考えられるようになっていいですね。

Q4. コーチングを通じ、あなたはどんな風に変容されましたか?

振り返ると、昔は親との境界がない感覚がすごいあったなと思います。自分の感覚では今はだいぶ線が引けてきて、今度は自分の子供と自分の関係について、「自分が受けた思いは、させたくない」という自分を中心に置いた視座からではなく、考えていこうとしています。

自分の調子でなく、周りの調子に和して「こうしたら面白がってもらえる」などと調子に乗る自分を、客観的に見られるようになりました。今まではざぁっと流されてきた状況で、「あれ、調子に乗りそうだぞ」と自覚して御せるようになったことは、今までの人生で経験してきた展開の謎解きになっている、ここまでのコーチングのハイライトです。

集まりやお客さんのところに出向く、対人の仕事が多い中で「こんなコメントがきたから、自分はダメなんだ」と、自動的に自分の評価につなげて慌てたり、「合わせないと、受け入れてもらえない」と焦り、自分のキャラでないことをしたり、そんな感じで一緒くたにやっていた気がしますね。今は「本当は自分はすごい納得いかない」と、前よりも言えるようになってきました。こっちゃになっていた自他の境目がクリアになって、今年の健康診断の数値は、ぐっと良くなりました。

Q5. 最後に、私はどんなコーチ・人ですか?

必要なことは、ちゃんと言ってくれるという意味で、容赦ないコーチです。自分ではわからないところを言ってもらうことを、求めていたから、言うべきを絶妙なタイミングで言ってくれることが、うれしいんです。自分の状態を映して見せてもらえて、鏡のようです。

最初の数ヶ月「まず気に入ってもらうことが、人づきあいのスタート」という、無意識にプログラミングされたパターンを繰り返して、みきちゃんから「これじゃない」と容赦なく言われ続けて、そういうこれまでは通用していた道具が、ネタ切れになったところで、みきちゃんに対し「自分を自分じゃなく、気に入ってもらうように見せる」ことに降参しました。そこから、みきちゃんと呼ぶようになりました。

今は違いますが、コーチングを申し込んだときは「普通の人とは全然違う日々を送っている人」という印象があり、「オザケン聞くんだ!」と驚いたりもしました。コーチングの最中に、自分が「あー、そこか」と思うタイミングで聞こえてくるみきちゃんの笑いは、結構いいです。もう八ヶ月目とは、そんなに経っていたとは、今びっくりしています。

★ パーソナル・コーチングの詳細はこちらです。

若く見えて、うれしい?

メルマガに書いたシラスカラーはこちらです。おはようございます。吉野実岐子です。昨日の続きです。

日本だと「若く見える」と言われて、喜ぶ大人が多いように思います。褒めているわけではないのに「ありがとう」と言われたりします。奇妙なことです。

心の中が、子供で留まっている人は、目に表れる表情や目の動きが非常に子供っぽく、それが「若く見える」大きな要因になったりします。また、子供っぽさを人を操りだます武器としてきた人は「若く見える」ことが、ほとんどだったりします。

もちろん、高い調和の元、健康を保ち若く見えるケースもありますが、そういうケースは数件しか見たことがありません。ほとんどが、上記のケースです。

「若く見える」と言われて喜ぶ方は、まだ子供に留まっていられると、喜んでいるだけなのです。過去に住んだまま、自分がバラバラなのです。それだけ、アンバランスで無責任で危険な状態であることに、気づかせていただくこともできない環境を、自ら選んできたのです。

小さな子供のふるまい。

最近のシールって、精巧ですね。おはようございます。吉野実岐子です。

わたしのところに来れば、心配や悩みから解放されると、もう来ただけで安心してしまう人がいます。わたしを特別視して、切り離すのです。これは、信頼ではありません。その人が見ているのは、わたしやコーチングではなく、内なるイメージだからです。また、同時に二つのことを叶えようとする人もいます。秘密を隠しながら、秘密を暴いてほしい、そしたら楽になるけど、でも見なかったことにしてほしいといった具合です。育った環境を反映しています。

これらはすべて、小さい子供の振る舞いそのものです。親に「まもられたい」という願いを、そのまま持ってくるのです。強く言えば「まもってくれるでしょ」と脅して、支配に持ち込もうとしているのです。なぜなら、あなたはもう大人だからです。

例えば、見知らぬ小さな男の子が、急に私のところに走ってきて抱きついたら、驚きつつある程度関わりますが、見知らぬ大きい男性が急に私のところに走ってきて抱きついたら、それはセクハラです。そういうと、大人と子供の違いがわかりますか?ご自身のイメージの中では、ご自身は小さな子供でしょうが、客観的事実として、あなたは十分に大人です。

特に、対女性との関係で、小さな男の子としての振る舞いが、ご自身にとって「女性との間ではこう振る舞うと、受け入れてもらえるんだ」と俗に言う成功体験として記憶されている場合、女性に対してこうした振舞いを繰り返しやすいでしょう。そして、そんな自分を純粋であるかのように、錯覚しているでしょう。

あなたが子供でいていいのは、ただひとつ、あなたのお母さんの前、そしてお父さんの前、それだけです。そして、それは、わがままを言っていいのは親だけ、という意味ではないことも、添えておきます。

男性の例で書きましたが、こうした振舞いは、もちろん女性にも見られます。また、年齢を問わず、例えば意識のしっかりした70代などにもみられます。子供であると都合のいい日本文化ですが、せめて亡くなる前には、実年齢に追いついてください。次世代への負担を減らせます。

孫や祖父母。

この異常気象で、今年はカラスや鳩が急に増えました。おはようございます。吉野実岐子です。

お母さんがお母さんであることを認められなくても、自分の子にうまくつながりを感じられなくても、多くの方が孫や祖父母に対しては、比較的ありのままを受け取りやすいでしょう。

孫は、おばあちゃんやおじいちゃんが、何ができるとかどんな社会的立場かといったことは、一切気にしません。おじいちゃんがいるんだ、おばあちゃんがいるんだということが嬉しくて、興味深いのです。のんびり髭をそるおじいちゃんの姿が面白かったり、洗面台を磨くおばあちゃんの姿が興味深かったりするのです。どちらも、特別なことではありません。でも、お父さんやお母さんがした時とは、違って見えるのです。

同じように、おばあちゃんやおじいちゃんは、孫にどうしてもこれはできるようになって欲しいとか、こうじゃなきゃダメとか、まずもって思わないと思います。子育ての時と違い、距離があって自由で解放感があって、孫がいるだけで、胸いっぱいなのです。

簡単に言い換えると、孫は祖父母を「正しい」と感じ、祖父母も孫を「正しい」と感じることができます。内なるイメージにとらわれずに、そのままを見やすい相手です。その感覚で、あなたが十月十日滞在したお母さんを見たときに、母であるその人のありのままを、見やすくなると思います。

でも、それだけでは、母子の関係が正常化したとは言えません。それだけでは、いつでもどこでもあなたが安全であるには、到底及ばないのです。そのために、何が必要でしょうか?こたえを手渡し、実践して頂けるワークショップのお申込みは、今夜21時までです。年内の日時ならば、ご希望の日時で開催することも可能です。すべて、お申込みフォームから、お願いいたします。

誰かが助けてくれるはず。

結局リバティが好き。おはようございます。吉野実岐子です。

「できるようになりたいけど、できない」と、自分を認識しているとき、あなたは何を放棄しているでしょうか?あなた自身が強くなることです。

「できるようになりたいけど、できない」で留まれる人は、泣きながら待つ幼児のように、子供に留まりたいと思っています。つまり、誰かが自分のことを知っているだろうし、誰かが助けてくれるはずだと、要求がましくあります。そんな内なるイメージを、大切にしています。

外からの助けを待つのではなく、自分に降りかかっている重さに踵を返すのではなく、どうして自分だけと思うような重さに、むしろ頭を垂れることができると、あなたは強くなっていきます。「できるようになりたくて、ここはできる」「できるようになりたいから、今日はこれを試してみよう」と、「できない」場所に留まらなくなります。

自分の持つ内的イメージが、慎みにかけ、身に余るものであることも知らず、大切にしていたら、現実との間に齟齬が生まれて当然です。自ら強さを放棄し続けては、安全が損なわれて、当たり前なのです。

#2 永観堂 / Eikan-do in 2006


There is a Sui-Kin-Kutsu. It is a “Koto” of Water drops(a sound ornament of Japanease garden).You can try this instrument at Eikando. You may pour water gently onto a big earthen pot
and concentrate your mind to listen to the low sound of water-drips. It was called that the sound is similar to “koto”,a Japanese harp.
実は、京都に到着した日、友人おすすめの鍵善良房に立ち寄ったのですが、そこで水琴屈のCDを売っていて、「そんなものがあるのか~」と買ったばかりだったので、ちょっとびっくりしました。

無比無類。

日がかげるのが早くなり、助かっています。おはようございます。吉野実岐子です。

昨日の続きです。わたしたちは「ホッキョクグマとライオンはどちらが強いのか?」といった愚かな問いを持つことがあります。そもそも、ホッキョクグマとライオンは生息域が違い、出会うはずのない者同士です。

出会うはずのない者同士を出会わせることは、自由やパワーではありません。出来上がっているパズルをあえてひっくり返すような、秩序を乱し、不調和をもたらす、尊重のない行為です。すべてに中心があることを理解していたら、絶対にしてはいけないとんでもないことだと、理解できます。

しかし、自分に中心をおくと、こうした比較すべきでない者同士を比較することで、より能力や魅力が洗練されるというあやまった方へ進みます。そうして、やたらと違う国に住んでみたり、競争に過剰に反応したりと、自分を他者と比較していきます。比較すれば、自分の存在意義がわかると思いはじめるあやまちをおかします。

何をどうしても、あなたの母親はたったひとり、代わりのない存在です。あなたもたった一人、代わりのない存在です。誰かの代わりになれるという発想を前提にした、比較という思考は、自分で自分に「死ね」と言っているのと、全く同じです。

無比無類であるものを、比べようとする傲慢さは、母親との関係にあやまりがあることを、表しています。その状態で、あなたが安全を感じられることは、ありえないのです。母親はあまりにも偉大で、はじまりなのです。そのことを理解できない人は、母親の過大評価をしていると、感じるでしょう。そしてやはり、母親との関係に問題があるのですが、気づかないふりができるくらいに、狂っています。

#1 永観堂 / Eikan-do in 2006







When I arrived Eikan-do,it was 4 o’clock in the afternoon,so many trainee monks read a sutra aloud. In the sound of reading of the sutras,I could see many statues and TOuhaku Hasegawa’s drawing. It had an amazing and fantastic time. My freindintroduced me Eikan-do,and I went without preparatory study so I was surprised and really happy because I love his works!

幸せが何かわからない。

実がならないまま、終わってしまいそうです、我が家のゴーヤ。おはようございます。吉野実岐子です。

昨日の続きです。ただ泣いてお母さんを待っている幼児のように、あの時に留まり続ける態度は、母に対する、子のあるべき態度ではありません。何歳になっても子は子、母は母なのです。

子供が母を母にします。逆ではありません。母を母にし続ける態度とは、母を自分よりずっと大きいすんばらしいものと捉え、自分はただ小さくある態度です。あなたが母に何をされていようと、母がいなければ、自分が生まれていなかったことを理解できていれば、誰からも教わらなくても自分から発せられる態度です。

いかなる事情があろうとも、母親から早くに引き離される経験をしていると、それが期間限定の一時的なものであっても、幸せはひどく痛みを伴うものになります。とても勇気のいる、痛い痛い道のりの先に、幸せがあるようになります。

なぜなら、母を見る度、あの引き離された痛みが呼び覚まされるからです。その痛みはあなたを「近づきたい対象からは、遠ざかろうとする」動きを生み出します。これは、言語獲得期以前のトラウマの一つです。

でもそれでも、母には何もできないのです。能力や思いとは一切関係なく、母は子に、本当に何もできないのです。子供であるあなたが、痛みを感じながら、それでも母を見て母に近づいていく、その先に「これが幸せなんだ」と言える日々が展開します。

幸せが何かわからないすべての人が、このトラウマを持っています。つまりほぼ全員ですね。それは、あなたが勇気を振り絞って、母に近づくことで、解消されます。子供が母にすべき態度をとるとき、全体にとって正しい秩序が生まれ、それがあなたに、ポータブルな安全を保障していくのです。

母がわたしの母でよかった。

プルーンは赤ワイン煮にしました。おはようございます。吉野実岐子です。

自分と誰かを比べたことはありませんか?実は、もうそれ自体が、あなたと母親の関係があるべき状態でないことを、表しています。

自分に責任を持ち、自分の母が自分の母であることに同意すれば、あなたは自分の母親といることで、幸せになります。「あの人のお母さんはいいな」と、比較をベースにした考えを持てません。「お母さんが今のお母さんであることが、苦しみのはじまりだ」と、代わりがあることを前提にした考えを、思いつけなくなるのです。

自分に責任を持たず、自分の母が自分の母であることに同意していないとは、目を瞑った状態です。盲目です。その目を閉じた状態でわたしたちが見るのは、わたしたちが持っている内なるイメージです。そして、内なるイメージをみるとき、喜びも苦しみも痛みも悲しみも、エンドレスになります。そして、そうしている時に、あなたはただ泣いてお母さんを待っている子供のように、そこに留まり続けることになります。成長は止まります。スキルは磨けても、人間としていびつになるということです。

それは、母に対してあるべき態度と真逆です。みなさんが、覚えておかないといけないことは、見たくないと思う方から、行きたくはない方から、本当の助けが来るということです。多くの人は偽の助けに向かって動き、また偽の助けに感謝し、お金を使い時間を費やします。しかしこれは、まったく無駄なことです。

お母さんがわたしのお母さんでよかったと、真に同意できている人は、全てが自分から始まるという責任を生きられています。そして、自分が自分以外の誰かだったらよかったとか、あの人がお母さんだったらよかったという発想は持てないのです。

今と同じか、悪くなる。

梨や烏龍茶で体内の潤いUPに勤しみ始めたい時季に入りました。おはようございます。吉野実岐子です。

ジャッジするということは、過去の住人なんです。なぜなら、ジャッジはみなさんの記憶に基づいて、行われるだろうからです。

過去の住人であるとは、自分がバラバラであることを、意味します。ジャッジするのは、自分を安全にするためでしょう。でも、今にいるはずのあなたが、過去に心身を置こうとするのは、その意図とは裏腹な結果を招きます。より自分をバラバラに、より自分を危険にするのです。より病や死や失敗(敗北ではない)に近づけてしまうだけなのです。

さらに、ジャッジしていると、過去の延長以上の拡がりは生まれません。だから、真っ白なはずの未来が、今と同じか、今より悪くなるかの二択になります。より病や死や失敗に、自分をおいやっていく未来に、不安しか感じないなら、それは正常です。

こういう状態にある人は、100パーセント母親との関係がねじれ、こじれています。もちろん、あなた中心にみれば、そこには深い悲しみが横たわっているでしょう。そして、その悲しみこそ自分だと、悲しみと同化しているかもしれません。しかし、より高みからみれば、そんなあなたが傲慢です。

いたずらっ子

プルーンを入手できました。おはようございます。吉野実岐子です。

あなたの中のいたずらっ子が、あなたにいたずらしてくることがあります。あんなに確認した日程を間違えていたり、楽しみにしていた予定をすっぽかしたりするのです。

そんなとき、自分の計画よりずっと全体にとって適切な流れに入るために、自分の中のいたずらっ子がいたずらを始めたと考えると、今まで見ようともしなかったことが、見えてくるでしょう。

いたずらっ子は、意思をうまく表せなくて、いたずらします。こっち向いて欲しいから、風船をパーンと割ったりするのです。好奇心からカメラのズーム機能に指をつっこむのであって、壊したいなんて、思ってはいないのです。いたずらっ子にどんな純粋な思いがあったのか、耳を傾ける必要があります。

翌日になっても反省を続けるなんていう、自分を過去にくくりつけるようなことは、自分を中心としたつまらないことです。自己満足です。

自責より創造に入りましょう。単に自分に好奇心を向けてみましょう。あの予定を経験を失ってしまったと発想して、自分を過去にとどめるより、空いたスペースを大事にするのです。

伐採後、なにもなくなったから何か植えようとするより、自然に生えてくるその土地の植生を信じた方が、その土地の木や虫といった生態系のためになるそうです。

同じように、失ったと捉えて、そのスペースを埋めようと躍起になるより、そのスペースを思い切って受け入れ、その真っ白ぶりに好奇心を向けてみるのです。そうすると、創造が始まります。無理に植える良さげな木でなく、自然とあなたというシステムが欲するものが、生まれでてくるのです。

いいタイミングで、すっぽかしたものがある方は、ぜひ好奇心を使って、創造へと自分を導いては、自分を安全にしてあげてくださいね!

楽しみが伸びたんだ!

名張のお盆は、一部屋をご先祖様用にし、ひな壇があるような華々しい飾りつけで、驚きました。その部屋だけ、外から丸見えにしてあるんです。おはようございます。吉野実岐子です。

なにかが予定通りでなかったとき、自己否定すると、余計に悪循環に陥り、その状態は長引いてしまいます。

やろうと思っているのに、本当にそう思っているのに、手が届かなかったら悔しくなってしまいますね。そうしたいのにできないことが続くと、気持ちの置き場がなくなりますね。

でも、そんなとき「自分はダメだ」「なんでこんなことになったんだ」と自己否定してしまうと、世界から切り離されてしまうのは、あなたなんです。それは本物の孤独です。川の中洲のように、近いのにうんと遠いのです。

分離を生きるとき、100パーセントわたしたちは、穢れを生み始めます。そうすると、より孤立したり、堕落していくのです。

だから「そんなときはこんな風に考えるといいよ」とクライアントさんに提案しています。

できなかったこと・手の届かなかったことは、あなたの大好物のあの食べ物と同じです。食べたくてしょうがないものを、とっておいても腐らないとして、チョビチョビ自分のペースでいただけたら、うれしくありませんか?「楽しみが伸びたんだ!」と思いませんか?

いただくとき「あーやっと食べられる。しかも腐らないから頑張って食べ切らなくていい。」と思うかのように、できなかったこと・手の届かなかったかとに向きあって、次にすすんでいくのです。

「少しずつしか進めない」んじゃなく、「あの大好物がまだたっぷり残っていて嬉しい。楽しみが伸びたんだ!」という気持ちで、できなかったこと・手の届かなかったことに、向き合ってみましょう。自分を支えることができます。やってみて下さいね!