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実がならないまま、終わってしまいそうです、我が家のゴーヤ。おはようございます。吉野実岐子です。

昨日の続きです。ただ泣いてお母さんを待っている幼児のように、あの時に留まり続ける態度は、母に対する、子のあるべき態度ではありません。何歳になっても子は子、母は母なのです。

子供が母を母にします。逆ではありません。母を母にし続ける態度とは、母を自分よりずっと大きいすんばらしいものと捉え、自分はただ小さくある態度です。あなたが母に何をされていようと、母がいなければ、自分が生まれていなかったことを理解できていれば、誰からも教わらなくても自分から発せられる態度です。

いかなる事情があろうとも、母親から早くに引き離される経験をしていると、それが期間限定の一時的なものであっても、幸せはひどく痛みを伴うものになります。とても勇気のいる、痛い痛い道のりの先に、幸せがあるようになります。

なぜなら、母を見る度、あの引き離された痛みが呼び覚まされるからです。その痛みはあなたを「近づきたい対象からは、遠ざかろうとする」動きを生み出します。これは、言語獲得期以前のトラウマの一つです。

でもそれでも、母には何もできないのです。能力や思いとは一切関係なく、母は子に、本当に何もできないのです。子供であるあなたが、痛みを感じながら、それでも母を見て母に近づいていく、その先に「これが幸せなんだ」と言える日々が展開します。

幸せが何かわからないすべての人が、このトラウマを持っています。つまりほぼ全員ですね。それは、あなたが勇気を振り絞って、母に近づくことで、解消されます。子供が母にすべき態度をとるとき、全体にとって正しい秩序が生まれ、それがあなたに、ポータブルな安全を保障していくのです。