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稲刈り後、落ちたお米をカラスがついばみにやって来ています。おはようございます。吉野実岐子です。

子供に障害があると判ったとき(そして、そう判らなくても、障害がなくても)、そこから親が子に真摯に貫き続ける態度はたった二つです。

一つめは、その子に「かけがえのなさ」を見ることです。「もちろん思っているに決まっているじゃない」と激怒する方も、いらっしゃるでしょう。でも、みなさん甘いんです。お子さんを盾にしている親が、大勢いらっしゃいます。子供に守ってもらっているのです。子供に自分が負うべき負担を、背負ってもらっているのです。電車に乗れるから、お財布を出せるから、大人だと思ったら、大間違いです。「かけがえがない」って、「奪われたくないの、だって私の物だから」ではありません。

本当に「かけがえのなさ」をみるなら、「あの時ああしていれば、こんな障害にはならなかったかもしれない」「もしもこの子に障害が無かったら」とは思いもよらないのです。そんな発想が、自分の中に浮上できないのです。そうやって、今の目の前の子が抱えるものを否定したり除去しようとする、その一瞬の心の動きこそが、子供に対して「あなたは代わりのきく存在です。つまり、あなたはかけがえがない人ではありません」と、伝えています。「わたしが代わってあげたい」などと、その子の経験する(障害があってもなくても、人がどこかで経験する)辛さや惨めさや寂しさを、体よく奪い取ろうとせず、その子のものでしかない道を荒らさないことです。その奥に潜む神聖さをけがさないことです。「わたしが代わってあげたい」などと思えるなら、あなたは生半可に生きています。ご自分が深いところで死に惹かれるからと言って、子供を利用するのはまちがっています。

次に「これが普通だ」に、留まることです。仮に耳が聞こえないとします。でも、それがその子にとって普通です。音のない世界を、その分どれか別の知覚を鋭くして生きている、非常に豊かな世界が凛と存在しています。代えることのできない存在であるその子に、人と比べて、障害に逃げ込むよう誘いますか?そうやって、小さく生きるしかないと、諭しますか?人はみんな違うのです。親と子は、全然違う人間です。兄弟姉妹だって、それぞれ全く違う人間です。そこが腑に落ちていれば「優越感を得てこそ、安全だ」という幻想にははまらないため、「これが普通だ」に、留まれます。

ただそれだけのことです。