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最低気温が10℃の日もある名張では、紫蘇の花が満開です。おはようございます。吉野実岐子です。

家庭内に中絶があって、それが隠されている場合、お家の中にすき間が吹くかのような感覚を、子供は得ていきます。どこか安全になり切れない、なにか欠けているものがあるような心許なさは、実際に子供が外に出ることを怖がるような表れ方をするケースもあります。

そういう方に、そのお兄ちゃんかお姉ちゃんだった人、あるいは、弟か妹だった人、あるいは複数の中絶が隠されている場合は、両方を感じて頂くと「満たされた」という表現がピッタリくるような、お月様がまあるくなったあの感覚が、その方の周りにぱぁっとひろがります。そこで初めて、幸せに近い感覚を感じる方もいます。

中絶はあくまでも殺人です。合法的に殺人を認めなければならない社会の狂いを、大人のみなさん自覚してください。それは中絶を禁ずるといった表面的な施策では、一切解決しません。それは、あらたな苦しみを生むだけです。同じように、中絶を合法とすることは、社会の狂いの解決にはなり得ません。目の前の苦しみを取る代わりに、より深い次世代の苦しみをつくっています。先送りにして、借金が何倍も膨らむようなものです。

中絶が隠されていると、子供は「生き残った罪悪感」に近い感覚も持ちます。どんなに親が「この子は産む」と思って生んでいても、中絶の後に生まれる子は、過剰な”It is my fault.”(わたしのせいだ/ぼくのせいだ)という感覚、つまりは罪悪感を持ちやすくなります。

「中絶したい」という男親あるいは女親の話を少しでも聞いてみれば、そこに殺人のエネルギーがあることが、はっきりみなさんにも解ると思います。殺人のエネルギーというのは、全身が痛くなるような強いて言うなら、火傷に近い感覚です。皮膚という境界の象徴が痛めつけられる感覚です。そして、卓越した役者や映画監督は、ここまで表現し切っています。そこに、広義での芸術が果たす役割があります。

5歳の子に「お母さん中絶したのよ」と言いましょうという話ではありません。ただ、子供にあらわれくるすべてについて「この子の性格だから」と逃げずに、親の自分から始まっているという”It is my responsibility.”という感覚を持ちましょう。海が空を映すように、子供は大人を映し出しています。

そうすることで、繰り返されてきたものを回収する道が開けます。あなたの手で「ついに」終わらせることができるという、偉業のチャンスが、あなたの前にひらけています。