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12年ぶりに黒潮が大蛇行し、九州や四国の一部ではカメムシが大発生し、大阪ではツキノワグマも目撃された9月も過ぎ、秋が深まってきましたね。おはようございます。吉野実岐子です。

寂しさを喜びのように、肯定すべきものとして見ている方をお見かけしますが、寂しさは穢れです。何かを受けいれられない時、思いがのこっているとき、そうした実は生を否定する動きは、実際にもわーっとした嫌なにおいを出します。

生を否定する、より詳細に言うと「留まる」動きが、寂しさです。生きるということは、常に前に進み続けるということです。つまり、流れていくときを否定しないことが、生きるということです。植物が太陽を浴びながら「今日は私伸びないでおくわ」としたりしないし、子猫が「このままずっと子猫でいよう」なんて思いません。

そして、前に進むとは切り離すということではありません。「切り替えて前に進もう」と言っている人の多くは、単に切り離しています。これは危険なことです。未来から振り返ってみれば、「前に進むために、わたし右手を捨てるわ」といっているのと、同意義だからです。

例えば、寂しいから歌を詠む、寂しいから絵を描く、そうやって昇華させることは、前へ自分を進ませていく動きとリンクします。寂しさを隠れ蓑にして、大胆に「留まろう」とすることは、大げさではなく、危険なことだと自覚してください。