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6月に梅が余ったから作った梅味噌が、季節を経た今大活躍です。おはようございます。吉野実岐子です。

お彼岸は過ぎましたが、比較的気候の良いこの時期、お墓参りにいくなど親族で顔を合わせる機会もあるでしょう。

親族で話すとき、大切なのは解釈という思いより、事実を共有していく姿勢です。特に「あの人はとんでもない放蕩息子だったから、一家の恥」といった発言や「親も分からない子を産んで」とその子の前でいうなど(言わなければいいという意味ではない)、誰か気に入らない人を排除しようという動きは、結局排除したがっていた本人をぐらつかせることになります。

なぜなら、わたしたちはみんなでパズルをつくっているようなもので、いわばひとりひとりはパズルのピースだからです。隣のピースがいてくれるから、自分が自分の場所からずれずに、安定できます。パズルがぎっしり詰まっていれば、少しパズルを傾けただけでは、ピースがこぼれ落ちたりしません。

でも、パズルが隙間だらけなら、少し傾いただけで、あなたというピースが、あなたの場所からずれてしまいます。同じことが、家系の中でも起きていきます。

犯罪であろうと、放蕩者であろうと、水商売であろうと、精神病であろうと、彼らがいた後で、あなたがいるという順番は覆りません。子が親を生むことはないのと同様です。根があり幹があり、初めて枝が伸びて、あなたという葉がつきます。幹が気に入らないからと、えぐりとれば、あなたという葉もまた失われます。

あなたにつながる家系に属するすべての方が、かけがえがない(irreplaceable)のです。

いかなる理由であろうと、「この人は恥だ」という感覚は、ジャッジしたからこそ、生まれます。「排除」しないためには、あなたというピースが少しの傾きで落ちないためには、葉のあなたが幹をえぐって自らを枯れ果てさせないためには、ただ事実をみることです。

思いで歪めない強さをもつとき、あなたもirreplaceableであり続けるのが当然になります。

中絶だと、戸籍にものりません。だから、中絶した人が隠してしまえば、永遠にその存在は消されてしまうでしょう?それも「排除」の一例です。上に記したように、戸籍にのっていても「あの人は恥だ」とみんなが思っていて、無視するような態度をとっているとき、やっぱり「排除」です。

その結果、その先につながるひとが次々に”I  am replaceable.”を生き始めるホラーは、たいていわたしたちが「善意」とよぶ帰属をうながす思いから始まっていることは、本当のホラーです。