Protected: 【 清 ら か に 】 霜降号 – 生まれてしまった。/ 雨の日の過ごし方。
06 Monday Nov 2017
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06 Monday Nov 2017
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06 Monday Nov 2017
Posted ★ ありのまま / Wholeness, 書き物, Essay in Japanese
in≈ Comments Off on イメージではなく、感じる。
小松菜とブロッコリーも植えました。おはようございます。吉野実岐子です。
多くの方が、イメージすることを、感じることだと思っています。人は日々していることが基準になります。つまり、そういう日常を送っていらっしゃるのでしょう。
でも、イメージとは仮想です。感じるとは現実です。白米を頂きながら「これはお味噌汁だ」というイメージを生きられてしまって、違和感すら持てない方が多いということなんです。混同できないほどに、違う二つです。なぜ、夜と昼ほど違う二つを、混ぜこぜにしてしまえるのでしょうか?
混ぜないでいられる人は、同じワークをしても「あ、肩が下がりました」「足先がピクピク動いています」のように、観察した事実をそのまま言うことができます。現実に留まっているのです。しかし、混ぜこぜにできる人は「できています」「身体が有機的な存在だと感じています」のように、自己判断による結論や抽象的なことを述べたがります。仮想にいる時間が長いのです。
混ぜないでいられる人は、現実の中で観察された事実をそのまま言っても、自分が安定していられるくらいには、自分とそこにつながるすべて(つまり人生全体)についての整理整頓が終わっています。混ぜこぜにできる人は、自分が描いた状態に今自分があると思い込まないと、とてもじゃないけれど安定できないほどに、自分とそこにつながるすべて(人生全体)が、とっ散らかっているのです。