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小松菜とブロッコリーも植えました。おはようございます。吉野実岐子です。

多くの方が、イメージすることを、感じることだと思っています。人は日々していることが基準になります。つまり、そういう日常を送っていらっしゃるのでしょう。

でも、イメージとは仮想です。感じるとは現実です。白米を頂きながら「これはお味噌汁だ」というイメージを生きられてしまって、違和感すら持てない方が多いということなんです。混同できないほどに、違う二つです。なぜ、夜と昼ほど違う二つを、混ぜこぜにしてしまえるのでしょうか?

混ぜないでいられる人は、同じワークをしても「あ、肩が下がりました」「足先がピクピク動いています」のように、観察した事実をそのまま言うことができます。現実に留まっているのです。しかし、混ぜこぜにできる人は「できています」「身体が有機的な存在だと感じています」のように、自己判断による結論や抽象的なことを述べたがります。仮想にいる時間が長いのです。

混ぜないでいられる人は、現実の中で観察された事実をそのまま言っても、自分が安定していられるくらいには、自分とそこにつながるすべて(つまり人生全体)についての整理整頓が終わっています。混ぜこぜにできる人は、自分が描いた状態に今自分があると思い込まないと、とてもじゃないけれど安定できないほどに、自分とそこにつながるすべて(人生全体)が、とっ散らかっているのです。

肩が楽になった気がするという主観ではなく、肩の位置が下がったという客観をみたり、気持ちが楽になったという主観ではなく、顔色がよくなったという客観をみていくことから、ご自身を捉え直し始めてみては、いかがでしょうか?