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白菜の浅漬けが、食卓の定番の時期になりました。おはようございます。吉野実岐子です。

「適切な体罰のおかげで、今のわたしがある」のように仰る方は、自分の感情がよくわからない状態に入っています。人生で初めてたたかれたとき、そこに喜びを感じる人など一人もいません。人生で初めてつねられたとき、それがうれしいと感じる人など一人もいません。あのとき本当はどう感じたかに、アクセスできなくなっています。そして、自分の感情もわからないのに、人の感情に敏感になれるわけがありません。全体的に人の気持ちがわからないのです。

こうした方の子供時代の話を伺うと「お母さん(養育者)が自分を置いて旅行に行ったりしても、別に泣かなかったらしい」「その後お母さんが戻って来ても、お母さん(養育者)に抱きつきにいったりすることはなく、無関心に見えたり、無視するような振る舞いをしていた」といったことが、ガラガラポンと出てきます。

こうした方に思春期を振り返ってもらうと、恋人が距離を縮めてくるとイライラしたり、すごく好きな相手でも「これは本物の恋愛じゃない」と認識していたことが紐解かれていきます。

これは、主に幼少期の親の関わりに起因します。あなたが子供の頃、あなたの親があなたの欲求に拒否するような反応ばかりを示していたのでしょう。例えば、親を呼ぶと振り向いてはくれるけれど、不機嫌な顔をしているのです。例えば、親に何か言おうとすると、開口一番「ダメでしょ」と釘を刺されてしまうのです。そうすると、親愛の情を持つ相手とつながろうとする度に、拒否されるような辛さがセットで経験されることになって、そこからその辛さから距離をとるために、親から注意をそらすようになっていくのです。親やあるいは好きな相手に近づくことが難しく、親はもちろん、その人が好きな相手であるほど、その人から注意を逸らすようになっていきます。

「お母さん(養育者)が自分を置いて旅行に行ったりしても、泣かない」「その後お母さんが戻って来ても、お母さん(養育者)に抱きつきにいったりすることはなく、無関心に見えたり、無視するような振る舞いをしていた」という子を見ても、「あら、楽でいいわね~」「いい子なのね~」では、済ませないでください。こうした振舞いをする子は、実は心拍数が慢性的に高くなっていて、とても怯えた状態にい続けています。

小さいときから、子供に過度な自立を求める身勝手な大人は、自分の都合に合う子供の振る舞いを過大評価しますが、表情に振舞いに出さないだけで、小さな心臓は早鐘を打ち続けているのです。その結果に、冒頭の発言「適切な体罰のおかげで、今のわたしがある」が生まれていくのです。