Tags

今週末で、色々流れが変わりそうですね。名張市の市長選も今週ですが、まだハガキが届きません…おはようございます。吉野実岐子です。

「向かうべきにに向かえない」を表す、日本での実例としては、親が「宗教」に帰依しているケースが挙げられるでしょう。子供は、親に向かいます。お父さん・お母さんは特別という心理状態にならないと、身をまもれないため、子供は親に向かいます。

ところが、親が深く「宗教」に帰依していると(一見すると宗教でなくても、構造からして結果的に「宗教」になっている場合を含む)、親に向かってくる子供に対して、親は「宗教」へ向かうことを促すことになります。

それは、子供にとって、壁によりかかったつもりが、のれんによりかかっていたという感覚を生みます。驚きますし、痛みも感じます。そうすると、子供は親に対して深い安心を抱けなくなり、そこから向かうべき他のものにも、素直に向かえなくなります。だって、のれんかもしれないと思ってしまうからです。

経験した驚きが大きかったほど、自分の中でその時の感覚を消化しきれません。そのまま大人になると、親に限らず近づきたいものに、ある程度近づくと今度は遠ざかるという動きを繰り返してしまうようになります。例えば「これがいい」と思った仕事をある程度続けても、あるところから続けられなくなったり、「これがいい」と思ったことに真摯になれずに、「影響され過ぎているんじゃないか」のような奇妙な発想を始めるのです。そして、何年たっても、宗教と宗教ではないものの区別をすることが叶わず、この点について迷子のようになります。近づきたいものにある程度近づくと、遠ざかってしまうため、リーダーシップの発揮も阻害されます。

そうすると、結果的に何も成し遂げられずに、主観的には引きこもっているような状態に入っていきます。ブレーキがいつも不必要に踏まれ続けているのですから、自分自身を疲弊させて傷めてしまうことになるのですね。