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おはようございます。吉野実岐子です。

昨日の続きだと思って読んでいただけると、いいでしょう。

恐れとは、向かうべきに向かえていないときに、気持ちとして上がってくるものです。が、同じ音でも、恐れと畏れは全く違います。

畏れはむしろ、向かうべきをきちんと認識できているところから、上がってくる気持ちです。

自分が生に向かっているという認識がなく、死に惹かれると、それは恐さになります。死は本来、私たちが向かうべきものでは無いからです。もちろん、みんないつか死にますが、例えば、死に惹かれる赤ちゃんがいたらぎょっとするでしょう?そういうことです。(死に惹かれる老人にも、ぎょっとしてくださいね!)

正気に溢れるもの、つまり迷いなく生に向かっているものに、畏れを感じるのは当然です。あるいは、神様のような清さに、畏れを感じるのは当然です。向かうべきをきちんと認識させられるからです。

穢れに触れて恐くなるのは、向かうべきでないものに向かった瞬間だからです。向かうべきに向かえていないと、あなたのたましい(便宜的にこう書きます)が恐さと言うサインを出して、あなたに教えてくれるのです。恐さは、そうやってあなたを深く支えているのです。