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ウォーキングだけで、不思議に思えてくるくらい、上肢の筋量が増えました。おはようございます。吉野実岐子です。

以前「佐渡出身=祖先は罪人」と決めつけている方がいて、驚いてしまったのですが、佐渡(新潟県)に罪人が流されたのは、1600年代までです。つまり1700年(元禄13年)には、この制度は廃止されています。ちなみに、時代背景の概略を申しますと、江戸時代は1603年 – 1868年、鎖国令が出たのが1635年で、1700年は生類憐みの令で知られる徳川綱吉(第5代)が将軍だった時代です。3年後の1703年には関東地方でM8程度の大地震がありました。

三年で命を落とすと言われる佐渡金山で働いたのは、戸籍のない「無宿人」たちです。江戸時代、家族の中の厄介者を家族の手で「無宿人」とできました。戸籍のなくなった「無宿人」たちは、くいっぱぐれない東京(江戸)に、特に本所深川に流入したと言われます。1777年(安永6年)から、江戸にいる罪状はない「無宿人」を、佐渡金山へ送ることが始まっています。罪のある者は佐渡奉行所の器を超えるとして、送られなかったそうです。

また、それまでも佐渡はむしろ米の余る地域で、即ち送られても十分食べていける島だったことが判っています。つまり送り先としては、だいぶ楽な場所だったのです。さらに、送られた人には、親鸞や日蓮や世阿弥など、有名な創始者たちも含まれています。この辺りで、だいぶ「えっ!?」となっていただけたでしょうか?(ネルソン・マンデラさんなども、島流しにあって、島から動いた分も合わせると、27年ほど牢屋生活でしたね。)実際の江戸後期の佐渡には非常に医者が多く、有名な医者のすむ地域へ、いわば留学していた方も多かったようです。

誰かの都合で罪と認定された者は、他の誰かにとっては豊かな文化や新しい考えをもたらす源泉だったでしょう。罪を憎んで、人を憎まずといいますね。罪はその人の一部であってすべてではないというと、雑に感じられますか?ちなみに、日本では島だけではなく、伊豆や紀伊や土佐といった地続きの場所も、流し先でした。

世間のニュースに肩入れし、やんやと騒いで感情をかき乱され、周りを乱す方もいらっしゃるでしょう。しかし、本質的に被害者も加害者もいません。また、罪状と実際にその人が経験する社会的制裁と呼ばれるようなことには、だいぶひらきがでたりします。あるいは、何も起きていないのに、勝手に乱心して周りに迷惑をかけているのに、被害者ぶるという摩訶不思議な方も大勢いらっしゃいます。上のような知識を知ることも、ちょっとした助けにはなりますが、まずは周りを乱さずに生きられるよう、ご自身の心がきちんと宿をもった状態に入られることが、ファーストステップではないでしょうか?