悔しい思いをしては、本腰を入れる。

今年は家に既にあった、氷砂糖・ココナッツシュガー・黒糖で、梅シロップを作りました。どんな味になるか、楽しみです!おはようございます。吉野実岐子です。

精神的に強い人は「ある」ものを見逃さないだけでなく、「ある」ものが所属する文脈全体を欠けることなく、視野に入れています。

一方、精神的に弱い人は「ない」ものにばかり目が奪われ、「ない」ものが所属する文脈の切れ端だけ、ちらっと横目で見ておしまいです。

精神的に弱い人は、自分が作り出した感情に圧倒されてしまって、乱心ぶりを正す気配ゼロのまま、乱心を軸に動いては、周りに迷惑をかけます。

一方、精神的に強い人は「ある」ものを逃さないようにしよう、と肩肘張って緊張しているわけでは決してなく、キラッと輝く一瞬に好奇心が疼くのです。

精神的に強い人は、どんな状況にあっても、そんなふうにして恩恵を見逃すことがありません。どんな状態でも、次に目線をおきたい場所を見つけては「そこに手が届いたら」とつい目がキラキラしてしまうのです。

「ある」ものを見逃さなければ、素直に心からの感謝が湧き起こり、必要に応じて素直に謝ることができます。だから、自分自身を高めてくれるような人が後ろ盾となってくれるし、その他の人間関係もうまくいきます。

精神的に弱い人は、そもそも「自分自身を高めよう」「自分自身を奮起させよう」といった発想すらなく、何かにつけて悔しさからあきらめます。

そんなとき、精神的に強い人は、悔しい思いをしては、本腰を入れています。そうやって、自分を高め、自分を奮い立たせています。

さて、あなたが何をすべきかわかりましたね?下半期の目標となさってはいかがでしょうか?

決め手は小さな違い。

今年初めてらっきょうを漬けましたが、酢が足りなくなったのをいいことに、三年ものの自家製の梅酢を加えたので、楽しみです。おはようございます。吉野実岐子です。

ある有名人の方(Aさんとします)が、所属するチームとしても、さらにはその中のメンバーとしても、脚光を浴びていました。

ところが10年以上経ち、チームにはあまり光があたらなくなり、当初はそこまで脚光を浴びていなかった方(Bさんとします)が、脚光を浴びはじめました。

インタビューでAさんは「Bさんと自分は何が違ったのだろう?」と不思議そうに首をひねっていらっしゃいました。

おそらく、AさんはBさんとの軌跡の違いを振り返っては、大きな違いを探してきたのではないかと推測します。そして、小さな違いについては「スタイルの違い」「個性の違い」のように分類してしまっていたのではないかと、推測します。

実は、Aさんの思考パターンにはまる方はとても多いのですが、AさんとBさんの未来のひらけ方を決定づけたのは、Aさんが「スタイルの違い」「個性の違い」のように一括りにしただろう、小さな違いなのです。

だから、大きな何かは振り返っても振り返っても、見つけられないのてす。今、うまくいっていないみなさんは「スタイルの違い」「個性の違い」のようなくくり方をした、ガラクタ箱に押し込めたような小さな違い達を、ひとつひとつきちんと見てみると、道がひらけるだろうと思います。

自分に優しい≠自分に甘い

洗顔の泡を細かくしてくれるこちら、おすすめです。おはようございます。吉野実岐子です。

「自分に優しく」お伝えすると、途端に自分に甘くしてしまう方がいらっしゃいます。

気を抜いて、自分を見捨ててしまうのですが、それを自分に優しくすることと勘違いしています。

「自分に優しい」とは、より一層自分に手をかけ目をかけてあげるということです。

例えば「自分に甘い」とは「今日は休みだし、顔も洗わないでいいか」ということです。自分の世話を放棄し、わかりやすく表すならネグレクトしていますよね?

それに対し「自分に優しい」とは、「今日は休みだから、いつもより細かい泡を作って洗顔しよう」ということです。より自分の世話をする方向へ進んでいますよね?

自分をネグレクトしたり、自分のリズムを崩すことは、自分に優しいどころか自分をダメにする行為です。

休みになると、自分に甘くしかできず、つまり自分をネグレクトし、リズムを自分から奪うことしかできないなら、休みでない時の過ごし方を改善しましょう。

休みでないとき、あまりに他律的にすごしていると、休みに入ると自分を甘やかすというネグレクトしかできなくなります。

休みでないとき過ごしている環境(例:職場環境)を早急に変える必要だけでなく、そこまで合わない環境に居座り続けるよう、あなたに促し続けた、あなたの大きな欲を小さくしていく必要もあるでしょう。

Light in the Darkness

At last, I went to Niigata to vist my great-great-great grandparents’ graves. It is located in a small isolated village. So the temple ward welcomed me warmly as if I were one of her family members. At the same time, she was wary of me and interrogated me, which seemed like typical behavior for that area. It was interesting to me.

Niigata holds feminine energy compared to the neighboring Hokuriku area. It reminds me of my grandmother’s skin. Everyone in Niigata behaves with that feminine energy that i mentioned before. So I started to remember clearly, “Yes, this is Niigata”. This was the second time I went to Niigata, but Niigata was very familiar to me. Strangely, I knew what Niigata was.

Four generations back, there were many ancestores who were born and grew up in Niigata. In the Edo Era, Niigata was separated into many small fiefdoms, yet it produced many wise and knowledgeable people. I found one of my ancestor’s name and his photo in the history of Niigata. I feel that this gave me something good like a light in the darkness.

I will keep on reseaching about Niigata in the Edo Era and I will reach somewhere I never imagined.

注意されて落ち込むとき、ぜひ学びたいのは?

窓に貼るプランターなんて存在するんですね。おはようございます。吉野実岐子です。

何かを注意されて、いつもなら「あぁほんとうだ。補っていただくひと手間がありがたいな」と感謝がわくのに、なぜか「あぁほんとうだ」のあと落ち込んでしまうなら、あなたは疲れ過ぎています。

疲れているのに自覚できぬまま、疲れ過ぎゾーンに入ってしまって、相手のエネルギーに過敏になっているのです。もちろん、未熟な人ほど、注意する際に攻撃が入ります。しかし、普段ならそれを受けとらずにいられるから、注意に対して感謝が溢れているのです。

そこで落ち込むなら、その攻撃を受け取ってしまうという、誤作動が起きるところまで、疲れ過ぎているのです。

だからこんなときは、落ち込んでうだうだ考えて寄り道や夜更かしや誰かに慰めを求めるより、お湯にゆっくり浸かり、ゆったり休むことです。そして学ぶべきは、疲れている/疲れ過ぎているの区別と、前者を認識したら、速やかに予定を変更して休むことです。

疲れ過ぎている日は、そのまま予定をこなそうとしても、むしろ周りに迷惑をかけ、自分もさらに嫌な思いをします。予定変更が、みんなのためになるでしょう。

最後に、あなたの思い込みでなく、相手がほんとうにあなたを攻撃していたなら、大抵の場合「言い過ぎたな」と反省しています。明日も会う相手なら、ただ明るく挨拶しましょう。明日はまったく新しい一日です。

Every Nine o’clock at Night

We headed into the rainy season earlier than usual this year. And without exception, rainy days brought pests like slugs and cutworms. They start to show up at nine o’clock every day. At eight o’clock they still stay under the ground, and after ten o’clock they go back underground.

So I go out onto my balcony every nine o’clock at night to catch them. Also I use rice bran and coffee grinds. The rice bran helps to attract cutworms at one time. The coffee grinds have a repels both slugs and cutworms.

This yucky work makes me feel bad in humid weather. So I prepared some herb teas like pepper mint, lemongrass and melissa to refresh myself. Now nine o’clock at night also means having a refreshing herb tea. Even yucky things are a chance to refresh myself.

神経系にやさしく!

これでパジャマ・ジプシーから抜けました。おはようございます。吉野実岐子です。

身体をどこかにぶつけたりしたら、思わずその部分を掌でさすりませんか?これはとても大切なことで、神経の再生を促していると言われます。

他にも、運動不足だと、神経系が働きづらく筋肉が伸び縮みしづらい状態になっています。だから、運動不足の人が急にたくさん運動すると、全身が突っ張ったようになったり、あちこち凝ったりします。神経系の興奮がなかなかおさまらず、寝つきが悪くなったりもします。

その興奮を「体力UP」のように誤認する、危険な状態にある方もお見受けします。みなさんお子さんもご自身もさすって、神経系にやさしい生き方を再選択なさってみてくださいね。

パフォーマンスの問題。

こうやって見ると、加賀100万石はインパクトあるなぁと思いました。おはようございます。吉野実岐子です。

親が、子供よりスポーツ/芸事/勉強のほうにより情熱を向けていると、そのズレが子供のパフォーマンスの問題として現れます。上司が、部下より仕事内容により情熱を向けていると、そのズレが部下のパフォーマンスの問題として現れます。

子供/部下が「楽しめればいい」「このコンペだけとれればいい」と思っているのに、親/上司が「オリンピックでメダル」「業界全体に新しい風を吹かせる」のように、子供/部下と親/上司の目標が不一致だと、子供/部下は、本人も当然できるだろうと思っていたことができなくなったりします。

ちなみに、競争を不健全に捉える人は「楽しめればいい」より「オリンピックでメダル」や「このコンペだけとれればいい」より「業界全体に新しい風を吹かせる」方が、優れていると発想しますが、それも不健全の延長線にあります。「楽しめればいい」より「オリンピックでメダル」や「このコンペだけとれればいい」より「業界全体に新しい風を吹かせる」方が、視野が広いといった捉え方なら、健全です。

親/上司は、子供/部下の目標をきちんと知り、その目標に沿って関わっていく必要があります。すると初めて、子供/部下は気持ちに余裕ができて、いつでも緊張している状態から抜けられるので、当然できるはずだったパフォーマンスがなされていくようになります。

それだと、刑務官。

街道から、江戸時代以前をみるのも、面白いですね!(初瀬街道は名張を通っています)おはようございます。吉野実岐子です。

お子さんをあまり触らない方がいらっしゃいます。言葉で言い含めたり、語尾をどうするかにこだわって、お子さんに伝えているのですが、その時触れないのです。「おかえりなさい」と「なさい」をつけるより、「おかえり!」と言ってほっぺたむぎゅうとする方が、ずっと大事な「ぜひ、したいこと」ですが、そっちに行かないのです。

もちろん、虐待等を受けていたことから、触る/触られるが苦手なケースはあるのですが、今回は「なぜできないか」ではなく、それがどんなインパクトを生むかについてお話します。みなさん、絶対に相手に触らないで、人と意志疎通をはかる職業をご存知ですか?刑事施設で働く、刑務官です。親切心であれ、触ってはいけないのです。刑務官と全く同じ振舞いをして、そうされたお子さんはどんなインパクトを受けるでしょうか?

まさに、牢屋にでも閉じ込められたかのような緊張感を孕んでいくことになります。親が子供に触らない家庭では、必ず子供が高い緊張を孕んでいます。刑務官を同じ振舞いを、子供に対して続けるのか、再考なさって、再選択なさってみてくださいね。

ちなみに、上述のような方(親側)は、語彙のこまやかさにたよったり、文体に気を遣うといった「形」には目が行くのですが、言葉に乗るエネルギーは見落とされていて、何事にも中身の伴わない結果ばかり、得られていく傾向があります。欲しかった資格は取れたけど、思い出したくもないようなつらい時間だったとか、そんな感じです。

競争は悪くない。

ローズと書かれている入浴剤の裏を見たら、入っているのはゼラニウムの精油のみで、驚きました。おはようございます。吉野実岐子です。

競争しては上下関係をうむ人たちは、競争自体を厄介物扱いしますが、競争が悪いわけではありません。競争の語源は「共に探求する」です。競争を厄介者に仕立て上げる人たちは、競争相手を脅威と見なして、競争相手に気を取られていくので集中を欠き、結果的に力を発揮できない展開になりやすいのです。

では、競争を健やかに捉える人たちは、競争相手をどう捉えているでしょうか?競争相手は、卓越した領域を開拓していけるパートナーとみなしています。そうして、あくまでも自分に集中していくので、いいパフォーマンスも引き出されていきます。

大人が競争を不健全にしか捉えられていないと、子供から競争を奪うことになります。さらには、競争のせいにするという「人のせいにすればいい」態度がまかり通ることから、子供たちは何を学ぶと思いますか?大人が競争を健やかに捉えられることが、子供に安全を用意していく展開を生みます。

負けず嫌い。

これで、ちょっぴりお手洗いが見栄え良くなりました。おはようございます。吉野実岐子です。

真に負けず嫌いな人は、負けることを受け入れられます。負けることを不快に感じつつも、負けることを視野に入れておけるのです。オリンピック代表選手をみれば、一目瞭然でしょう。

しかし「負けず嫌いだから、負けを受けいれられない」という方もいます。そういう方は、昨日記したように、自分への要求度が非現実的に高く、自分に怒り続けられる仕組みをキープしています。

では、自分に怒り続けるメリットとは何でしょうか? 結論だけ言うと、それは親との(不健全な)つながりをキープできることです。

ちなみに、真に負けず嫌いなら、成功の道のりに失敗があることも、理解できます。だから、失敗しても、むしろ周りの方が大騒ぎし、ご本人はいたって冷静だったりします。

毎回失敗するのは、完璧主義だから。

珪藻土製の計量スプーンを塩に入れたら、塩がさらっさらっになって、びっくりしました。おはようございます。吉野実岐子です。

より大事なのは、避けることのできないミスや失敗と、どのように関係をつくっていくかです。しかし、完璧主義だと、この現実にうまく適応できません。

「自分への要求が、非現実的なレベルで高い」とは、認識していないのです。そうすると、気持ちの面で「可能だったはずなのに、できなかった→失敗した」と反応し、自分に怒りがわいて、落ち込んだり、虚脱します。自分で自分の元気を奪っているのです。

もちろん、そんな風に怒りに乗っ取られていては、盲目になります。起きたことの肯定的な側面を、見逃します。「試合は負けたけど、サーブの打ち方はぐんとよくなった」のように事実をとらえられません。「試合に負けたのだから、サーブの打ち方だってひどいはずだ」と推測し、目の前の事実を見逃します。

そうすると、客観的にみて失敗でない場面も、その人の中では失敗となり、毎回失敗するという自己認識になっていくのです。

一度にたくさんできないのが◎

先日、生まれて初めて鍬を使いましたが、貝殻でも草は切れるそうです!おはようございます。吉野実岐子です。

作業と違い、目をかけて手をかけていくと、たくさんのことなんてできません。

素早く器用にたくさんこなした作業だと「あの日の夕食は…カレーだったと思う。あーあ。なにか美味しいもの食べたいな」のように不足感が残るのに対し、目をかけて手をかけると「あの日の夕食はカレーで、今思い出してもあのカレーは最高だったなぁ」のように、大地に向かいぐっと根付いては満ちるような、力がみなぎる経験になります。

そういう食事が毎日続く豊かさ・そういう掃除が毎日続く豊かさ・そういう仕事が毎日続く充実の中にいたら、人間性が高まりそうに感じませんか?

「あの日の夕食は…カレーだったと思う。あーあ。なにか美味しいもの食べたいな」と思う人は、仮に高級レストランに連れていってもらっても「なんか豪華だったけど、何食べたか覚えていない」となりがちです。

毎日掃除していても、作業として時短で終える自分に酔うことが目的だと、埃はないものの、どこに何があるか把握しきれていない状態に入ります。はい、ここで自分に問うてくださいね。『冬にはくパンツ、どんなのを何本もっていますか?』こたえられなかった方、ビンゴです。

目をかけて手をかけて、そこまでたくさんのことが一度にできない状態の方が、人として統合された、バランスの良い状態です。こちらを目指しましょう