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ある時期から、日本では「かわいい」がかなり多義的な語彙になりました。かわいいといっても、prettyやcuteだけでなく、lovelyやaccptableやadorableを含み、人によっては「不快ではない」くらいの意味で使う方もいらっしゃいます。

それと同時に「受け入れる」ブームになりました。「子供を受け入れる」とか「まずはよく聞いて受け入れてから」といったブームに興じた人の多くが、叱れない大人や意見を生成できない大人へと、自らを歪めていきました。

雑に言うと「かわいい」は、いまや「価値」の世界に住む言葉なのです。「価値」の世界に住むのは、物であっていのちではありません。そして、まちがって「価値」の世界へおいやられ、みにくいアヒルの子となったいのちを、本来あるべき「尊厳」の世界に呼び戻すには「こわい」が大事なのです。

「かわいい」は、自分がコントロールできるというニュアンスを含みます。自分の手におえなかったり振り回されるものには、その瞬間「かわいい」という言葉を紡ぐ人は、なかなかいらっしゃらないでしょう。一方で、「こわい」は、自分がコントロールできないというニュアンスを含みます。従順だったり、予測通りに動くものに、その瞬間「こわい」という言葉を当てはめる人は、なかなかいらっしゃらないでしょう。

「かわいい」にどっぷりな人は「こわい」を克服対象としてみます。いうなれば、そういう人自身がもう、価値の世界の住人になって、だいぶ経つのです。しかし、そういう人自身ごと、属すべき尊厳の世界に戻って行くには「こわい」を、こわいままにしておける勇気が必要です。

出会ってすぐ、自分と違う相手に「こわい」と思って、それを握りつぶすように共通点を見つけようとするなら、あなたは「価値」」の世界の主です。しかし「こわい」を抱えたまま、適切な距離をたもち、礼節を重んじながら、気持ちよい関係を築いていけるとき「こわい」は、排斥や排除の源にはなりません。

どうぞ、ご自分のお子さんにも「かわいい」だけでなく「こわい」を持ちながら、互いに尊厳の世界に属し続けられるよう、高い人間性を育んでください。ちなみに、こういうことを「スタミナが必要だから、酷暑下ではラム肉(身体を温めるので、冬に頂くもの)を食べよう」といった理にかなわないことを平然と広めるファッション誌の編集者などに伝えるにはどうしたら良いのかを考えると、泣けてきます。みなさん、どうしたら伝わると思いますか?