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真実と、自分がジャッジして「これは正しい」と思う事は、全く違う次元に存在します。存在する文脈の広がりも深さも、全く異なります。

しかし、真実にたどり着いていない人は、この2つを面白い位に混同します。そして、怒ったりしていますが、その鈍さとアンバランスの責任は、ご自身に属しているから、ご自身を変えられるとよいでしょう。

真実(truth)と本当の事実(true fact)は、また全く違う広さと深さの文脈に属しますが、この2つを混同する方も非常に多いです。例えば、ジャーナリストが報道すべきなのは後者です。

真実に辿り着きたいなら、ジャッジを超えて、もちろん本当の事実を押さえる力を持ちながら、さらに限界はある科学を使いこなしつつ、創造的なプロセスを歩んでいける高い人間性が必要です。それを一部言い換えるなら、繊細な心身を育み、それらを適切に生かす方法を身に付けるとも言えます。

頭の中でこちょこちょ動かしたり、ハートをオープンにするだけで、真実を感じられるといったことは、ありません。部分の操作で感じとろうとすることが、既におかしいですよね?

小さい時の「真実」なんて言うものはなく、単にジャッジを超えたら見えてくる「本当の事実」があるだけです。真実は個人に属するものではなく、信念体系に属するものでもありません。

例えば、ここまで読んで「真実は絶対なんだ」と思った方は、信念体系にとらわれています。「真実はひとつなのか」といった問いも、つまり真実を理解していないことをよく表しています。理解してないことに問いを立てても、広がったり深まるわけがないですよね?

「あれ、真実が何かちっともわかっていなかったな」と思っていただけたら、まずは自己認識が少し修正されて、真実を生きる道に少し近づいたと言えるでしょう。