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逃げ場がないと、わたしたちはパンクしなくてもよかったときに、あっさりパンクします。明日も会えたはずの人と、昨日が最後だったとなります。

都市部では特に、私立に通う子供が、激混みの通勤列車を経験します。痴漢が犯罪だという認識のない時代でも、あの時は「ちかん!」と叫んだり、犯人をつかまえ警察までいき学校に遅刻して、自分でも自分を「勇壮だ」と認識していたかもしれません。

沖縄など戦後が遅く訪れた地域は、治安が悪い時期が長く、知られていないだけで、かなりの性犯罪が多発していました。真昼間から露出狂にあうなど、何度もこわい思いをしているうちに、むしろ呆れてしまったかもしれません。ばかばかしいくらいに思い、自分は「淡々としているのだ」と少し離れたところから、自分をみる感覚だったかもしれません。

しかし、こうした「勇壮だ」「淡々としているのだ」といった自己認識は、実は絆創膏です。こうした絆創膏は、心身が健康な方であっても、30代後半から剥がれ始めます。

つまり「実はあのとき、こわかった。すごくこわかった」と、あの時絆創膏の下に留めた恐怖が湧き上がってくるのです。なぜそれをあのとき言えなかったかというと「言ってもとにかくわたしが悪いといわれたから、言わなくなった」「いつもお父さんは大変そうで暗い表情だったから、言えなかった」と、自分に逃げ場がなかったことを、何十年もたってから、知るのです。

同時に、逃げ場をくれた近所のおばちゃんや担任の先生や叔父や叔母のことを、ありありと思い出し始めるでしょう。

逃げ場は、いのちをつなぎます。いつもなにか逃げ場を用意しておかないと不安なら、逃げ場のない時間をあなたが随分長く生きてきて、でも逃げ場ゼロではなかったからこそ、逃げ場を用意しようと発想できるのではないでしょうか?