ロマンチストさん

「こういう人がいたんだ」と心震わせるような、いわゆる運命を感じると表現されるような出会いは、基本的に互いの抱えている傷が一致しているからこそ起こります。

言語化できないほどの傷が同じだからこそ「言わなくてもわかりあえる」とお互いが同時に(でも実は別の形で)感じてしまうようなことを、起こせます。

傷が同じだからこそ、2人のセルフヘルプグループとして、1人の時よりずっと傷からの回復を早くすることもできます。しかしそれには、両方が「傷は自分ではない」という認識を持っている必要が出てきます。

それがないと、あるところまで傷が小さくなっても、そこからは、かさぶたをはがし続けるようなことが起きます。特にロマンチストさんは、苦しみに酔いやすく、苦しみを必要とする矛盾を生きやすいので、そうした情緒的な陶酔に価値を見出す理由をクリアにする作業を、どこかですることになるでしょう。

ちなみに、ロマンチストさんは、そうじゃない人が「悔しい」と思うシーンで「さみしい」と思いがちです。

図書室化された空間を「体育館」に。

街が、職場が、みなさんの部屋が、小学校でいうところの「図書室」のようになっていると思いませんか?

小学校の図書室は、本がぎっしりあって、刺激的だったろうと思います。マナーとしてそう諭されずとも、座ったりして体を固定したり縮めて読むほかないような、本という物の方が主体の空間でした。かくれんぼはできるけど、大縄跳びはできないような空間です。

だいぶ前から、街もそうなっていて、刺激がぎっしりで、座りはしなくても、身体を捻りながら通りすぎたり、足早に歩くような縮こまり方をしたりして、やはり物が主体になっています。堂々と遊ぶというより、隠れる場所がたくさんあります。

小学校で、図書室とは逆に刺激が少なくて、身体をのびのび自由に動かせた部屋はどこだったでしょうか? 体育館だったのではないかと思います。

体育館は物でぎっしりということはなく、ただ空間が広がっています。だから、全校集会をしたり学芸会をしたり運動したりお化け屋敷をしたり、人間の方が工夫して、いろいろなものを生み出すことができました。人間が主体になることができました。

部屋や職場も同じです。図書室化してしまうと、身体は縮まり捻られ、ものが主体になっていきます。刺激だらけなので、傷つきます。まして、刺激の多い街や職場から帰ってきて、さらに刺激に満ちているのですから、もうわたしたち傷だらけです。

だから、部屋や職場は体育館化を目指しましょう。身体が自由にのびのびして、人間が主体で、自然といろんな工夫が生まれる空間です。そういう空間でないと、心の傷が癒えることはありません。

体力の「成分」は?

体力の充実について「何をもって、体力が充実した」といえるのか、指標の設定に戸惑っていらっしゃる方が多いようです。

体力が充実したからといって、例えば、筋肉量が上がり続けるわけでも、体脂肪が下がり続けるわけでもありません。実際、この夏のわたしは僅かに筋肉量が下がり、体脂肪率が僅かに上がっています。運動を続けて、ふと「これが進む道だっけ?」と立ち止まる人が求められているのは、体力がどんな「成分」でできているのかを、自分で見出していくことです。つまり、因数分解できる力です。

自分で、体力を因数分解して、いわば「素数」の状態を知っていくには「あと一歩に見えるのに、これがめちゃくちゃキツイ」をいくつか知っておくことが、助けになります。これなら、できそうでしょう?

例えば、今年2月のわたしは「3日に1回3時間歩けても、3日に2回計3時間歩くのは、キツくてとても続かない」と感じていました。9月現在、3日に2回計3時間が続いています。他
にも例えば、帰りにカフェで一休みしてなんとか歩けた距離を、カフェで一休みせず歩き終えられるようになりました。歩くだけで精一杯だった距離を「車で送ってあげようか?」と提案がくる重さの荷物を持って、歩き終えられるようになり、さらにはそれが当たり前になりました。

そんな風にして、まずは「あと一歩に見えるのに、これがめちゃくちゃキツイ」を集めてみてください。そして、それらを眺めてまましょう。そうすると「あれ、100は5でも割れるじゃない!」のように、因数分解が進んでいき、喜びと体力の充実をどんどん感じていけるでしょう。そうそう、パーソナル・コーチングおひとり募集します。

うまくいく道のりには波がある。

物事がうまくいく途中には、課題をドーンと目の前に置かれまじまじと見せられたかのように感じて「悪くなった」と思える瞬間があります。

精一杯やっているのに、さらに悪くなってしまったと評価して、落ち込んでしまうこともあるでしょう。でも、うーんと離れたところそれこそ木星や平安時代くらいから、今起きていることを見ると、単によくなっていく過程で、ちょっと良くなったりまたちょっと悪くなったりと、波打ちながら、ちゃんと良い方向に向かっていたりするものです。

特に、それまで目を伏せていた課題が明らかになる瞬間は、何もちっとも悪くはなっていません。あなたの内側の世界で、感情的な痛みはものすごいかもしれませんが、あなたの外の世界では悪くなっていないのです。

わたしには、5年以上かけてもちっともできないことがあって、別の道を目指そうかと振り返る瞬間もあります。でも、そんな時、それこそ神社で正しいやり方で神様にお伺いを立てておみくじを引くと「必ず叶うから心を落ちつけて」といった文言がかならずあって、毎回びっくりします。

人生には、短期的に考えるべきこと・中期的に考えるべきこと・長期的に考えるべきことがあります。1つのことに対して、短期的かつ中期的に考えなくてはいけない時もあります。長期的に考えていたら、短期的発想が必要になる場合もあって、入り組んでいます。

こうした道のりを支えるものとして、あなたのいのちを救い続け、あなたが自然の摂理にかなった「変わり続ける」を素直に生き続ける支えの一つとして、職業は歴然と存在しています。職業に選ばれ、真摯にこたえつづけるなら、変化が固定されます。

だから、企業に所属することで、自分の人生に無責任な自分を隠すために会社で嫌々働き続けたり、待遇や既存の人間関係のよさに安全を見出して仕事を選べば、職業のことは何も見ていないので、必然として生きづらくなります。今日のお昼12:59で、このテーマを扱うワークショップ「あなたのいのちを救うもの」(オンライン)のお申し込みは〆切です。

何度でもあなたを立ち上がらせるもの。

生きていれば、打ちのめされる日もあります。絶望にとらわれる日もあるのは、ごく普通です。少し楽をしていただけのつもりで、なかなか抜けられない沼にはまってしまっていたと気づいて、顔から血の気がひくようなこともあります。

そんな時に、何度でもあなたを立ち上がらせるものは何でしょうか? 愛する人でしょうか? 無垢だと感じるような子供や動物の目や、誰かが真剣に生きる姿勢でしょうか? 元気をくれるあの歌でしょうか?

もちろん、腰が砕けたようになっているあなたを立ち上がらせてくれる物や人や状況は、いくつあってもいいし、多くある方がリスク分散できることは言うまでもありません。でも、他者が与えてくれるものではなく、あなたの内から芽吹くようにぐっと力が湧く、「助けて」と叫ぶ声を振り絞れるような、自力の部分であなたをぐっと支えいのちを強めるものは、何でしょうか?

それが「今の仕事だよ」「今の職業です」と答えられる必要があります。仕事での苦難や突き抜けるような喜び、職業上のタブーを塗り替えるようなチャレンジが、あなたのいのちを内側から立たせて強めてきた実感は、ちゃんとありますか?そもそもそのくらいの努力をしてきましたか?荒ぶる時代自分で自分に着火するような、ぐっと立ち上がる力は、ますます必要です。

幼さを引きずったまま大人になったことを自覚できずに、所属そのものを生きる意味と捉えている内は、何度でも立ち上がる力を得られることはありません。

それどころか、所属することが生きる意味であるならば、所属する集団(家庭や会社や国家)があやまった方に進んでも、抜けることもできず逃げることもできず、イエスと言い続けて、やがてはその所属する集団に「殺される」ことになります。死んだ魚のような目になって、守るべき対象である子供や神様に癒しを求めるという、太陽を西から昇らせるような理にかなわないことを、平気でするようになります。

書くとは呼吸すること。

時折「なぜ毎日ブログを続けられるのか」と質問されますが、わたしにとって、ブログに限らず、書くとは呼吸することです。

呼吸も苦しい時はあると思いますが、だからといって呼吸することをやめようとは思わないし、思って止められるようなレベルのものではありません。わたしたちは、生きるために、呼吸しています。

書くことも同じで、苦しい時もありますが、だからといって書くことをやめようと思わないし、わたしにとっては、思って止められるようなレベルに位置づけられたものでは無いのです。生きるために、書いているからです。

ブログが続かない人は、単に生きるために書くことが必要ないだけでしょう。そこまで書くことを必要としていないわけだし、それならそれで、お互い(あなたと書くこと自体)にとっての適切な距離や関係に落ち着いていくのが、自然だろうと思います。書くこととあなたの適切な距離や関係が、毎日ではないという、ただそれだけのことでしょう。

「毎日書けてずるい」なんて思っている人は、優劣の問題だと勘違いでもしているのでしょうが、そもそもそういう切実さに迫られたことがない自分を見ないと、道は開けないでしょう。あなたのいのちを救うものは、こうした切実さを伴います。

【開催概要】ワークショップ「あなたのいのちを救うもの」(オンライン)

出自や家庭や学校に、恵まれないこともあります。あなたの後ろ盾になるはずの親や先生が、あなたを傷つけ、あなたにあぐらをかき、尊厳を奪おうと前に立つ怪物になることも、残念ながら多々あります。

狭い選択肢しかない子供時代を経て、人生を切り開いていくには、どうしたらいいのでしょうか?繰り返す傷の痛みにひっぱられ、何度も呼び戻される絶望の中で、何か一つでもできることは、残っているのでしょうか?

傷だらけだと、社会に出ることが非常に怖く、周りからの理解が得づらいほどの困難を味わいます。それでも生まれついた環境が望みと遠いほど、身をおとさないためになおさら、わたしたちは前へ進むという、現実を生きるという行為をしていく必要があります。矛盾にも見えるその状況で、心身が裂けるような感覚すら、得るかもしれません。

それでも、生きていく方が正しいのです。「神様」はあなたに顔をあげなさいと、仰るでしょう。深い絶望の中で、もうこれ以上はどうにも生きられないかもしれないようなとき、それでも文字通りあなたのいのちを救うものが、職業です。仕事をするということは、ここまで深い意義を持ちます。「仕事をしたくない」はいのちの放棄なのです。

みなさんが責任を取るべきは、そういう職業にきちんと出会うことです。部屋にこもっていても、自己卑下していても、見つかりません。腰が引けてしまう自分を励ましながら、ぐっと腰を入れ、顔を前にあげ、あなたのいのちをながらえさせる職業を、自分からつかみに行くのです。給料がよさそうな、世間体のよさそうな職業といった職業の本質をみない切り口からは、それは見つからないでしょう。世間体がいい給料のいい職業で、いかに自殺者が多く/死んだ魚のような眼をした人が多いかという事実を、しっかり認識することも大切です。

この先、どんなに竜巻みたいな時代になっても、あなたの手には変わらず希望があり、いつも大丈夫であるように、あなたのいのちを救う職業ときちんと出会い、自身が救われ続ける未来を手にしませんか?



ワークショップ「あなたのいのちを救うもの」(オンライン)

・場 所:スカイプ上(有線LAN接続 推奨)
・日 時:9月28日(金)午後1:00~3:00
9月29日(土)午後2:00~4:00
9月30日(日)午後8:00~10:00

・対 象: ~ひとつでも当てはまる方~
□ 現在の職業を続けることに、迷いがある。
□ 健康を犠牲にして、今の職業を続けている。
□ 趣味を仕事にしていいか、悩む。
□ 目上の人とうまくいかないことが多い。
□ 本当はなりたかった職業を、時々思い出す。
□ 仕事を、職場で選び、職業で選ばなかった。
□ 絶望に呼び戻され、前を向き続けられない。
□ 今の自分の人生だけだと、もう生きられない。
□ 繰り返す痛みに、人生が一時停止してしまう。
□ 芸術系は避ける等、生活の安定ありきで職業を選んだ。
□ 待遇の良さを優先し、天職を探そうとしなかった。
□ 今の職場にしがみつきたい自分を、認識している。
□ 「転職できたら…」とよぎることがある。
□ 好きなことが職業になるのは、特別な人だけだと思う。

・定 員:各3名
・参加費:12,000円
・〆 切: 9月27日(木)昼12:59

★ お申し込み先:〆切ました

~ ご協力お願い申し上げます ~

治療が必要な方・ 喫煙常習者・飲酒常習者は、ご利用頂けません。プレゼント利用の際は、守秘義務に同意したものとみなします。お子さんやペットのいる方は、ご家族に協力をお願いしましょう。複数で進めますので、静かな環境づくりにご配慮ください。お申込み後のキャンセルは、一切承りません。参加費が発生します。


あなたが孤独なとき、劣等感にさいなまれ優越感に浸るとき、疎外感にいたたまれないとき、何度でもあなたを立ち上がらせ、あなたの尊厳をまもるのが職業です。そんな職業と出会う努力をしてきましたか?

自分の性格に息切れ?

目の前の人が思っていることと言っていることが違うとわかるような、奥にある欲望を見抜く人は、人から繊細すぎると言われたりして、自分の性格に息切れするような感覚を、味わいやすいかもしれません。

そういう人は、気持ちと身体の感覚を区別しきることが、助けになっていきます。「悩むのは繊細な人ばかりだ」「傷つくのは無垢な人ばかりだ」と考えても、明るい未来への扉は開きません。

見ていると、最後の最後で自分の気持ちや相手の気持ちに巻き込まれてしまい、自分を見失って、でもその状態を「悩むのは繊細な人ばかりだ」「傷つくのは無垢な人ばかりだ」のようにまとめてしまっているのです。

相手をもっと冷静に観察して、そこから得る気持ちと身体の感覚を区別することはもちろん、自分が得ている体の感覚にも、今までよりずっと細かいメモリで気づいていけるよう、練習を重ねるのです。

例えば「やってみたら楽しかった」とき、その前の憂鬱な気持ちのとき、身体はどんな感覚だったか、次回からはちゃんと観察します。そうすると、実は身体がその場所の穢れを感じて構えたことで、憂鬱な気持ちになりやすくなっていただけだったりします。つまり、選べるならその場所には行かない方が良かったから、憂鬱になっていたのです。行って見て楽しかったのは、実際に経験したことで、知識だったものが理解に変わったのかもしれません。もちろん、単に高揚しただけと言うこともあります。

渦巻きの中に吸いこまれていくように、自分の気持ちにばかり吸い取られていては、本当のことにはたどり着けません。この秋から、身体の感覚という軸を持ってみましょう。

ストレスを解消する時間もない?

ストレスを解消する時間もない方はいらっしゃると思います。むしろ「ストレスなんてない」と思い込むことで、なんとか溺れないようにするのが精一杯位かもしれません。

「ストレスが溜まっている」「これはストレスなんだ」と認識できる方が、不健全度合いは低いです。その上で、どうやってこの先をひらいていきましょうか?

まずは、静かな時間を持つことをお勧めします。百貨店に行くより、森の中に行きます。テレビをつけるより、雨音に耳を済まします。そう言われてみて「たしかに」と自分が過去に経験済みの静かな時間を思い出せるなら、悪くないでしょう。

そうしたら次に、中でもどんな空間で過ごす静かな時間が格別だったか、記憶を探ってみてください。ゴミが落ちていないところや植物が生き生きとしているところや人が多すぎない場所を思い出された方も、少なくないでしょう。

それでは、本当にたくさんのことが一度に入ってきて混乱し、キャパ山越えでどうしようもなかった時、たった15分をどこで過ごすことで、切り抜けてきましたか?それは上では思い出した空間と、同じだったろうと思います。

その空間で、静かな時間を過ごすことを大事にしていくと、ストレスを解消する時間そのものが、不要になっていきます。

スマホを見たり気持ちに巻きこまれてうつむいてばかりいないで、たまには拝殿で神様の前で、顔を挙げましょう。そしてしばらく境内にたたずんで、静かな時間を味わわせていただきましょう。

ネガティブには2種類ある。

みなさん、ネガティブと言われる状態を嫌いますが、それはある意味正しいです。その理由をお伝えしますね。

そもそも、ネガティブといわれる状態には2種類あります。1つは、苦しみに酔っている状態です。深刻で、自分中心で、苦しみを自分の1部と勘違いしています。そのため心の奥では苦しみが完全に消えることを、少し恐れています。この状態だと、ロマンチックな表現が増えたり、芸術系の仕事には利が生まれることはありますが、人生としては前進しません。一言でまとめるなら、欲望を追いたくないと言いながらも、欲望を結局肯定している状態です。

もう一つは、苦しみがあってもその苦しみを自らの人間性を高めるために使っていく、真剣な姿です。苦しみが自分の1部だとは思っていないので、苦しむ姿が周りに辛い思いをさせ、苦しむ自分が周りに迷惑をかける気を出していることに気づき、責任を取ろうとします。人生は前進して行き、人間性は高まります。闇から光を生む姿勢はこちらです。

ただし、初めから2つ目の闇から光をうむ姿勢には入りづらく、多くの人が1つ目の苦しみに酔う方を経験します。人生が一時停止する経験のため、ネガティブなものに首を突っ込むと、自分の手におえないと学ぶ方が多いのです。そして、苦しみを避けようと、なかったことにしようとしてしまうのです。本当に飲み込まれて死に至る人もいるので、初めから猛烈に苦しみに突っ込んでいくことに慎重になるのは、いきていく上で大事な姿勢です。

結論から言うと、人間だけが持っている創造性は、闇を光にかえられることです。つまり、2つ目に書いたことができるようになることが、人間の証ともいえます。だから苦しみを避け続けるのではなく、苦しみによって人間性を高めていくプロセスを選び続けることは、大きな喜びが待つ道です。ピンときた方は、よかったら、今月の単発コーチングにいらしてくださいね。お申し込み受付は、今夜21時までです。

本当に怒っている相手は、別の人。

わたしたちは、自分に対して「自分が本当に怒っている相手が誰なのか」を、隠すことがよくあります。怒りは強いエネルギーだと認識している人が多いため、向ける相手を選ぶ心理が働きやすいのです。

例えば、10年以上前に、病院の先生に言われたことを根に持っているとします。ところが、自分の中を解いていくうちに、実際に怒りを覚えていたのは、その場にはいなくてもその状況には関係している母親に対してだったということは、よくあります。

同じように、子供の頃の記憶を思い出し、繰り返し祖父に対して怒りを覚えるとします。ところが、自分が子供を持つようになって、自分の中で封印していた記憶が蘇ります。そして、実際に怒りを覚えていたのは父親に対しだったと知り、唖然としたりします。

なぜこんなことが起きるかというと、上のケースなら病院の先生の方が、下のケースなら祖父の方が、皆さんにとっては物理的に距離があったりして、利害関係が薄い、あるいは信頼関係を構築していた、つまり安全な相手だからです。

父親や母親は、子供の1番身近にいることが多く、失ったときの痛手が大きいものです。そこに強い怒りを持ち続けるリスクは、大きくなります。そういうとき、わたしたちは自然と、怒りなど大きなエネルギーを持ち続ける相手を、よりリスクの少ない相手へと選び直します。

怒るにも、ある程度安心する必要があります。「いなくなってもいい」と思えるようなリスクの小ささや「この人は絶対に去らない」といった信頼がある相手に対して、私たちは怒りを見せる傾向があります。

このことを踏まえて、本当は自分は誰に起こっているのかを洗い出してみることは、あなたの未来のひらけ方をかえていってくれるでしょう。

旅行に行くより、虐待しないで欲しかった。

「旅行に連れて行くより、美味しい物を食べさせてくれるより、ただ虐待しないで欲しかった。人権を奪わないで欲しかった。ただ尊厳をまもられたまま、大人になりたかった。尊厳がまもられたなら、他には何も要らないほどだった」自分がされていたことは虐待だったと知った人が、涙を流していうのは、こういったことです。

心理的な虐待は目に見えないため、第三者の適切な介入が難しく、された本人も、そうと自覚せぬまま、大人になることがあります。家庭や教室は、密室だからです。ある程度社会でも成功してしまえるので、そちらに向ける意識も、薄くなってしまうのです。

した方(主に親や先生)も20代や30代のわが子や生徒の社会的成功をみて、自分の子育てや教育を自画自賛したりと、ますます本当におこなわれたことは、埋もれていきます。

しかし、本人の努力で社会的成功や幸せな家庭にたどりついても、どんなに強く自分を律しようと、50代からはボロが出始めます。その頃には、虐待した側は世を去り始めます。また、それまでの幸せや成功があるため、本人も周りも「年のせいかな」くらいにして、深く追及しません。

例えば、虐待を受けていると、鬱や認知症のリスクが高まることはわかっていますが「最近仕事忙しかったし」「いいお医者さんに出会えさえすれば」のように、どんどん流されては、深刻化します。

なかなかじっくり何時間も話を聞いての治療は行われないため、診断名に結果的にあやまりがうまれ、余計な薬を飲んで、より心身の状態が悪化することもあります。

小さな時を振り返りながら、市町村等がだしている虐待ガイドラインを読み、少しでも思い当たるなら、そんな自分をどうぞ繊細なガラス細工のように扱ってください。鬱病や認知症になったなら、虐待されていたことを話してみると、違う治療方針と病名がつき、早い回復が実現することもあります。

まだなってないけど、少し不安になった方は、その不安があなたの未来を明るくする指針になると思います。よかったら話してみませんか?

庇う相手が、あのとき無責任だった人

昨日の続きです。あのとき、無責任だった大人が誰なのか、簡単に知ることができます。それは、あなたが庇っている人です。

庇うというと、愛情だと認識している人もいるかもしれません。しかし、身代わりになるというのは、犯罪に一歩近づくこと以外、何も意味しません。精神鑑定で引っかからなかった方という条件付きですが、犯罪の動機には、しばしば身代わりになるという、優しさや思いやりや愛情だと思われているものが、歴然と存在します。

身代わりになろうと思う前には、無力感があります。「こんな自分でも役に立つ」「せめてこれで喜んでくれるなら」そんな風にして「自分をちょっとだけ売る」態度に、皆さんは尊厳や誇りを感じるでしょうか?「気持ちの良い対応だなぁ」と、見ていて伸び伸びするでしょうか?

あなたが今でも最終的にはうっすらとかばってしまう相手は、今でもあなたに犠牲を痛みを強いてくるはずです。うすら笑いを浮かべながら、あなたの後ろに立つべきなのに、壁のように前に迫ってきて「おまえが犠牲になるのが当たり前だ。いつもそうしてきたんだから」と、黒い気をまき散らすでしょう。

あなたの一部が家の一部であるかのように、あなたは家にはさまって、ずっともう表しえぬほどの苦しみを味わってきたのに、あなたがかつて庇った大人は、あなたの上であぐらをかこうと、ただあなたを利用しようとしているのです。

さぁ、あなたは誰を庇っていますか?まだ、いたたまれなさという罪悪感に誘われて「ちょっとだけだから」「かわいそうだから」と、自分を売りますか?

「死にたい」が上がってくるとき。

「死にたい」や「死ね!」という声が上がってくるとき、その後ろには、長くとじこめられてた大きな怒りが君臨します。(いるというより、君臨するという感じなのです)

もう自分の尊厳を踏みにじることは止めたいのに、罪悪感から、ついいい顔をすることを選び、自分を「売ってきた」からです。守られるべきあなたを、誰も守ってくれなかったあの日、あなたは自分を「少しだけ売る」ことを始めました。もちろん、仕方なくです。

特に、親が精神疾患を抱えたりして、死の淵に佇んでいるような瞬間には、子供は自分を犠牲にし(=売って)親が生にとどまれるように、手助けします。そして、ほんとは手をかすべきだった大人を認識できたときには、激しい怒りを覚えたはずですし、自分を犠牲にする感覚はあなたに刻まれ、タトゥーのようにいつまでたっても消えないはずです。

あれから随分経ち、あなたには罪悪感から「少しだけ売る」パターンが、遺産のごとく残りました。「自分がいないと」というあやまった存在意義と、そうは思ってもいたたまれなくなる罪悪感から、毎回おまけ付きの店のように、いつでも少しだけ自分を犠牲にするのです。

まだ、あの時ほんとは手をかすべきだった大人が生きていて、関わりがあるなら、その人は無責任なまま、あなたは過剰に責任を負ったままの関係が、固定されているでしょうから、その人に責任を返していくことが、あなたの中の理由不明な怒りや「死にたい」「死ね!」という声が、自然消滅できる道をつくります。

また、あなたに何も罪はないことに気づいてください。特に親が生に留まる手助けは、ほんとは全身が痺れるくらい辛かったはずです。罪どころか、あなたは家そのものに挟まれ、親というルーツに食い込まれた傷が深くあるはずです。支えるはずのものに侵略される痛みと裏切りは、強烈だったはずです。その罪悪感は幻です。誰も手を入れられなかった領域に、おそらく家族や親戚の中で一番賢くバランス感覚の秀でたあなただけが手を入れられ、一人しずかに命を救ってきました。

でももう、その構図全体から抜けていいのです。この後親が死んでも子供じゃないあなたには、もうそこまでのダメージはなく、生きていけます。抜けた方が、いのちのつながりという生物学的事実に、自然と感謝も湧くでしょう。

そして、あのとき子供のあなたにあぐらをかいた大人たちへの怒りをうんと味わってください。大声も皿を割る必要もなく、ただその怒りを解放すると、遠赤外線を浴びているかのごとく、身体がじわじわとゆるみ、毛穴が開くでしょう。それでいいのです。あなたを利用した大人たちに、恥を知ってもらうファーストステップです。鬱状態の背景によくある構造や現象が上に書かれているとも、「いい子」を止めるプロセスの一部が公開されているとも言えます。

こんな風に、家族や職場といったシステムからの要求に従う「いい子」を止めたい大人と、今月は単発コーチングの時間を持ちます。もちろん、再生し始めたい方や真実を生き始めたい方も、いらしてください。

~ 9月の単発コーチング ~

■ 日 時:※ 曜日のあやまりを修正しました ※
– 9月22日(土)午後1:00~2:00
– 9月23日(日)午後5:00~6:00
– 9月24日(月)午後7:00~8:00 〈受付終了〉
– 9月25日(火)午後2:00~3:00

■ 対 象:~ 以下ひとつでも当てはまる方 ~
□ 理由のわからない怒りがある
□ 実際に行動はしないが「死にたい」と思うことがある
□ 自分の内側で「死ね!」という声がすることがある
□ 親をかばったことがある
□ 子供の頃、生贄やスケープゴートにされた感覚がある
□ 親が自分の子供のようだと感じたことがある
□ 大人が子供の自分の上に、胡坐をかいていたと思う
□ 社会生活は送れているが、実は前向きになれない
□ 親に感謝することが難しいと感じてきた
□ 家族や親戚には苦しんできた
□ 親がかわいそうだと思う
□ 「子供らしく」「大人になれ」と要求され混乱した
□ 責任を負う/庇うの違いが、よくわからない
□ 何をしたいのか、何が好きかが、よくわからない
□ 人生は苦しいものだと思って、涼しい顔で生きてきた
□ 自分の理解者はいないと思う
□ 真実を生き始めたい
□ 高い人間性を育みたい
□ 再生したい
□ コーチングを試したい

■ 手 段:スカイプ or 電話
■ 参加費:30,000円
■ 定 員:3名
■ 〆 切:9月21日(金)午後9:00 〈〆切ました〉
▼ お申込み:http://globalflowering.com/spot_coaching.html

~ キャンセレーションポリシー ~
お申込みと共に、キャンセレーションポリシー適用となり、お受けにならずとも、セッション費はそのままお支払い頂きます。お子様の急な発熱・弔事・天災によるライフライン断絶時などには、日程を調整し、対応します。過去にクライアントさんだった方に限って、お子様と一緒のコーチング・お子様へのフィードバックも承ります。これまでに頂いた感想は http://wp.me/p2ZjtS-9L5 にあります。

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コーチングを試したい方も、今回をご利用ください。メールでの手厚いサポートが、セッション日から1か月の間についています。詳細はお申込み画面から、ご確認いただけるようになっています。