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「旅行に連れて行くより、美味しい物を食べさせてくれるより、ただ虐待しないで欲しかった。人権を奪わないで欲しかった。ただ尊厳をまもられたまま、大人になりたかった。尊厳がまもられたなら、他には何も要らないほどだった」自分がされていたことは虐待だったと知った人が、涙を流していうのは、こういったことです。

心理的な虐待は目に見えないため、第三者の適切な介入が難しく、された本人も、そうと自覚せぬまま、大人になることがあります。家庭や教室は、密室だからです。ある程度社会でも成功してしまえるので、そちらに向ける意識も、薄くなってしまうのです。

した方(主に親や先生)も20代や30代のわが子や生徒の社会的成功をみて、自分の子育てや教育を自画自賛したりと、ますます本当におこなわれたことは、埋もれていきます。

しかし、本人の努力で社会的成功や幸せな家庭にたどりついても、どんなに強く自分を律しようと、50代からはボロが出始めます。その頃には、虐待した側は世を去り始めます。また、それまでの幸せや成功があるため、本人も周りも「年のせいかな」くらいにして、深く追及しません。

例えば、虐待を受けていると、鬱や認知症のリスクが高まることはわかっていますが「最近仕事忙しかったし」「いいお医者さんに出会えさえすれば」のように、どんどん流されては、深刻化します。

なかなかじっくり何時間も話を聞いての治療は行われないため、診断名に結果的にあやまりがうまれ、余計な薬を飲んで、より心身の状態が悪化することもあります。

小さな時を振り返りながら、市町村等がだしている虐待ガイドラインを読み、少しでも思い当たるなら、そんな自分をどうぞ繊細なガラス細工のように扱ってください。鬱病や認知症になったなら、虐待されていたことを話してみると、違う治療方針と病名がつき、早い回復が実現することもあります。

まだなってないけど、少し不安になった方は、その不安があなたの未来を明るくする指針になると思います。よかったら話してみませんか?