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目の前の人が思っていることと言っていることが違うとわかるような、奥にある欲望を見抜く人は、人から繊細すぎると言われたりして、自分の性格に息切れするような感覚を、味わいやすいかもしれません。

そういう人は、気持ちと身体の感覚を区別しきることが、助けになっていきます。「悩むのは繊細な人ばかりだ」「傷つくのは無垢な人ばかりだ」と考えても、明るい未来への扉は開きません。

見ていると、最後の最後で自分の気持ちや相手の気持ちに巻き込まれてしまい、自分を見失って、でもその状態を「悩むのは繊細な人ばかりだ」「傷つくのは無垢な人ばかりだ」のようにまとめてしまっているのです。

相手をもっと冷静に観察して、そこから得る気持ちと身体の感覚を区別することはもちろん、自分が得ている体の感覚にも、今までよりずっと細かいメモリで気づいていけるよう、練習を重ねるのです。

例えば「やってみたら楽しかった」とき、その前の憂鬱な気持ちのとき、身体はどんな感覚だったか、次回からはちゃんと観察します。そうすると、実は身体がその場所の穢れを感じて構えたことで、憂鬱な気持ちになりやすくなっていただけだったりします。つまり、選べるならその場所には行かない方が良かったから、憂鬱になっていたのです。行って見て楽しかったのは、実際に経験したことで、知識だったものが理解に変わったのかもしれません。もちろん、単に高揚しただけと言うこともあります。

渦巻きの中に吸いこまれていくように、自分の気持ちにばかり吸い取られていては、本当のことにはたどり着けません。この秋から、身体の感覚という軸を持ってみましょう。