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Aging Paradoxという表現があります。年を重ねるにつれて、できないことが増えます。そうすると、人はイライラしたり不安になったり、苦しみを感じやすいと表すことに、一定の妥当性がありますが、そうではなく、できないことが増えても幸福感がそこまで落ちない、むしろ高まっていくこともあることを指します。

言わんとすることはよくわかり、まれた背景や活用領域も理解済みのですが、これをはじめに知ったとき「はぁ~バカバカしい。くだらない(笑)」と思いました。人をwholeでみていなくて、信じていなくて、そこから人を真に助ける指標なんて、出るでしょうか?わたしたちは、原則として、年数を重ねるほど、人間性が高まります。(そうした生き方をしていないとまずいです)

人としての質が上がっていく中で、ワインにはワイングラスが合うように、お茶には湯呑が合うように、質にあった形をもっていきます。100歩譲って、何でも捨てる文化があるのだとしても、金つぎしたりして、器に味を出していき、別のデザインになったもので、時に少し形も変わったもので、別の愛おしみ方に出会っていくのが、もともとの日本文化でもあります。

Agingとはそういうこと、つまり、自分の質に合った形になっていくことだと思っては、いかがでしょうか?白髪になったりシミができたり、デザインは変わっていきます。筋肉が落ちたり、あるいはむしろ競技に目覚めたりして老年期に入ってからの方が筋肉が多かったり、病を経たりして、形も変わっていきます。柔軟性が落ちたり、素早い動作ができなくなる分、そういう形になっていきます。そうやって、変わっていく姿、変わっていく質だけでなく、それに見合っているだろう形も愛おしむのが、本来のAgingではないでしょうか?

それは、あるのが当たり前という傲慢を生きることとは、対極にあります。あるはずのものがないと思っているから寂しくなるし、あったはずだと執着が生まれるし、Aging Paradoxなんていう貧相な表現が大手を振って歩くのをゆるすことになるのです。

あなたの変わっていく形に「どんな形よりも愛おしいよ」と、今月からは伝えてあげませんか?