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本当に愛していたなら、振られれば悲しく、しかし相手に未練は残らないものです。痛みがありながらも、人としての成長という意味で、前進していきます。

しかし、振られて悔しいと思うケースがあります。この場合「自分は〇〇だから、愛される」と思っていたのに、相手はもっと〇〇な人を相手は見つけたのだと、どこかで思っています。〇〇には、例えば、ハンサム/いい女/頭がいいといった、実像ではない自分に対するイメージ(セルフイメージ)が入ります。

そうすると、もっと〇〇な人に負けたように感じて、悔しくなるのです。つまり「自分が恋人をどう見ていたか」ではなく、「恋人は自分をどう見ていたか」を大切にする、他律を生きてます。さらには、もっと〇〇かもしれない人たちあるいは特定のもっと〇〇な人と自分との違いを、優劣の差にしてしまっています。ただ違うだけで、どちらが優れているわけでも劣っているわけでもありません。そうやって、誰かを攻撃している方や身に覚えがないのに攻撃されている方が、多数いらっしゃいます。

そうなると、次の恋も本当の意味では実らないでしょう。相手にしがみついて結婚して20年後に後悔したときには、もう自立は不可能だと思えるところまでかれこれ追い詰められていたり、そもそも恋もしていなかったのに結婚までしていた自分に愕然とする中年期~老年期を迎えることになります。

ちなみに、異性の恋愛の例で書きましたが、同性愛者ではない同性同士の友人関係においても、これは起きています。その場合、何十年も友人でも、他の人には話せないことを話していても、話す時間が長くても、実は「親密さ」は形成されていません。そういわれて、ちょっとショックに感じる方もいらっしゃるでしょうが、実際そうなので、しょうがありませんね。受けとめてください。