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「自分でできることがまだあるかも」そう繰り返し思うのは、自立している証ではありません。粘り強さでもなければ、諦めから自分を解く発想でもありません。

「かわいそうで惨めなわたし」物語を生きる大人は、既に自分ではできない、他人にすがるような状況でずいぶん時が経っていても、その「できなかった」実績は見ず、「自分でできることがまだあるかも」と執拗に思い込んでは、万能感を目指します。

すがることと協力を得ることの違いも解っていないので、子供が親に代わりにやってもらおうとするように、誰かに身代わりになってもらおうとします。専門家や権威のある人を親とみなしては、自分を消して彼らにすがり、自分は「かわいそうで惨めなわたし」として、無責任な影のままの存在でいようとします。

「自分でできることがまだあるかも」と執拗に脳内で反省しては、周りからの言葉を受け止めようとし、理解しようとはしません。ちなみに、「受け止める」は万能感に属する態度です。

最近は、狭い世界にグッと入り込む大人が増えました。気の悪さから来ていますが、それを「深める力がある」と捉える、経験豊富な大人たちの狂いぶりには、夜中に頭が冴えわたるほど驚きます。

みんなで狭い世界に閉じこもり、同じことをしてつながった気がするのは、この世界に自然には存在しない万能感にしかつながらない、不自然な世界です。その状態にある人は「受け止めてもらった」「受け止めよう」とすぐ口にします。

そんな風にして、本質が見失われた立ち位置とそこにつながる人の間では、あらゆる心身の病が展開して行きます。オンライン・ワークショップ「病の本質」は今夜9時が締め切りです。