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何か自分の望みを期待と違うことが起きたとき「やっちゃったよ〜!」と思うだろうと思います。

その時の自分の顔色や体温や感覚を思い出してみてください。青ざめたり、冷たくなったり、こわばったりしていませんか? 簡単に言うと、罪悪感を感じているとこうなります。

でも、同じ「やっちゃったよ〜」の後に、笑いがはじける経験もありませんか?中学の時に、料理に目覚めて春巻きをあげていたら、中身を詰めすぎた春巻きの皮が破れてしまって、油が放射状に打ち上げ花火のように台所に撒かれたことがありました。あれは本当に大爆笑でした。花火のようできれいでした。(今更ながら、掃除してくれたお母さん、ありがとう)母もあまりのことに「もう〜みきちゃんは!プププッ」とわたしの笑いに引きずられていました。罪悪感なかったです。

起きたことを過小評価しようと言っているのではありません。対応する必要は残ります。ただ、起きたことはサッカーでいったら、アナウンサーが声をひっくり返して叫ぶ「ゴーーールッ」なのです。起きたことは、原因でなく結果なのです。

だから「結果である、既に起きたことを爆笑しよう」と言っているのではなく「原因に向けて、ガハハと爆笑しよう」と言っています。原因に向けてしょんぼりしても、原因がより力を持つだけです。

さて、ここで原因は何でしょうか?春巻きの話だったら、中身を詰めすぎたことだと思うでしょうか? では、うんと引いて見てみてください。「やってしまった」と青ざめている人は、人生の中で繰り返し、罪悪感が顔を出してきたはずです。息のできない金魚が口をパクパクしに水面にやってくるように、繰り返しあなたの人生の中に、罪悪感は現れてきたはずです。

もしかして、これは罪悪感の仕業かも?と言う視点に立ってみるとどうでしょうか?ずっとあった罪悪感が、原因だという視点に立ってみるのです。そして、罪悪感を打ち上げ花火のように打ち上げて、爆笑して、蒸発させてしまうのです。原因が消えたから、同じ結果は生まれえませんね。

そうすると、すごく頑張って、周りからも賞賛されるような結果を出したときに同じように「やっちゃった〜ガハハ」と打ち上げられるでしょう。その姿に、周りはあなたに嫉妬することもあなたにとり入ることも忘れてしまうでしょう。あなた自身も、卑屈にも傲慢にもなれないでしょう。正しい「打ち上げ」が何か、おわかりいただけましたか?