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依存的な人は、自分で感じたり考えたりせず、自分がその時依存している相手の人が感じたり考えたことを、自分で感じたり考えたことのように扱います。

例えば、何か物を買うとして、取り扱い説明を販売員からききます。それを聞きながら、そこに自分の考えや感覚を挟むことは、放棄します。そして、その説明を長い時間「正しいもの」と思い込みます。途中で自分の感覚が「これちょっと違う気がする」「これだとやっぱり気持ち悪い」と言ってきたとしても、そちらを締め出してしまいます。

例えば、調べ物をしたとしても、インターネットという情報の不確かさが高いところでのみ調べて、本は見なかったり、あるいは角度の違う三冊ぐらいは手に取ることをしません。1冊あるいは1カ所だけ見て「これが正しい」と思えたら楽できるからと、思考を停止します。

依存的だと「正しい」ことにした対象によりかかった状態を、信じると銘打ちます。「あの販売員のことを信じたのに」「あのサイトで書かれていたことを信じたのに」のようにです。そこから「自分は騙された、もっと疑わないと」と、強迫的になっていきます。

むやみに疑うなら、盲目的に信じるのと同類ですが、激しく思い込んでいるので、もちろんそんなことには気づきません。ここでは、疑いから入るのではなく、常に自分を介在させるというあなた自身を排除しないやり方を提案しています。ちなみに、常に疑いから入れと教育されるのはポリスです。

プロセスから自分の感覚や自分の考えを締め出したのは、自分自身です。自分を介在させなかったのは、自分です。これまでやってきたことの中で、あなたからエネルギーを奪うように見えていた行為も、あなた自身を介在させれば、あなたのエネルギーを高めます。

依存的で強迫的な似非ポリス状態は、他人に迷惑をかけています。道徳に照らし合わせてどうこうではなく、お世話になっていたり大好きな人に迷惑をかけても平気なら、問題です。