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子役をしている人が「どうやったらそんな風に泣けるの?」と聞かれて「どうしても泣けないときは、お母さんがいなくなるって思います」のように答えているのを目にしました。

こんな風に、悲しくなりたいときには悲しみにフォーカスするのが子供です。

では、皆さんが突然お芝居に参加することになったとします。役をもらい、泣くシーンがあるとき、みなさんはどうやって、同じところで何度も泣くでしょうか?ちょっと考えてみてください。

やっぱり自分が経験したことのある悲しいことを思い出そうとする人は、上に述べたように子供、つまり幼稚です。自分の経験したことを持ってきているわけだから、役には関係ないし、機械の部品交換で部品を当てはめるように、悲しみをそこに当てはめようとしています。部分を見ているのです。

大人なら、その役が悲しみを感じることになった、台本には書かれていないかもしれない背景を、役に合わせて想像します。その役は、例えばそれ以前に楽しいことやうれしいことを経験していて、でもそれらが実現不能になったり、得ていたものを失ったりするから、悲しくて涙もでるのです。

つまり、喜怒哀楽はセットで、悲しむだけの人間もいなければ、喜ぶだけの人間もおらず、悲しみだけ深くて喜びが浅い人はいないし、怒りだけが深くて他の感情は浅いといった人もいないといったことを、理解しているのが大人です。実際、悲しまないようにしようと思えば、喜びも感じづらくなりますし、怒らないようにしようと思えば、いろんなことが楽しくなくなります。そんな風に、全体を見るのが大人です。

相手の涙を見たときに、そこに一緒になってグッと入っていくのは子供です。そうではなく、それまでにその人が経験したであろう怒りや喜びや楽しさを瞬時に感じ取ろうとするのが大人です。同じようにもらい泣きするのだとしても、その現象は一緒でも、子供と大人では理由が全く違うのです。「一緒に泣いてくれる人が優しい」と認識している大人のみなさん、あまりに皮相浅薄です。