Tags

何でもある方が良いに決まっていると思っている人は、相手の立場を想像できていません。

例えば、小さい時からある楽器の演奏に、優れていたとします。なかなか行けないような特権的だと感じる場所に招待されたり、騒ぎになるからと食事は高級ホテルのルームサービスだったりします。

そうした一部だけを聞いて、一生かかっても招待されないような場所に招待され、あんなに小さいのに食事が高級ホテルと、何十年も汗水たらして働いた自分でも食べたことのない食事をしていると羨む人は、人目を気にせずただ公園やプールで遊んだり、電車に乗って1人で自由に行動できるといった、自分にとって当たり前の選択肢の上に、さらに高級ホテルのルームサービスや特権的な場所への招待という選択肢をのせて、見ています。

ところが、小さい時からある楽器の演奏に優れているその人は、食事について、高級ホテルのルームサービスという選択肢しか持っていなかったり、特権的な場所に行ける選択肢はあっても、1人で電車に乗ることが禁じられていて、やはり手持ちの選択肢はうんと少なかったりします。

さらに、会ったことのない人にも声をかけられればにこやかに対応したり、演奏技術を保持するために周りから想像もつかないほど長時間練習をしたり、実際には(わかりやすく言うと、失った選択肢を大量に持っています。

羨む人は、自分で持っている選択肢の上にさらに相手は選択肢を持っていると勘違いし、相手がどれだけ限られた選択肢しか持っていないか、あまりに多くを失ってきた事実に、関心すら持ちません。

だけど周りからは、特権的な場所に招待されたり、高級ホテルのルームサービスを食べていることに「幸せでしょう。才能があるっていいわね」と言われ、よくわからないままただ目の前のことに一生懸命なので「ありがとうございます」と答えていたりします。

そして、小さい頃から大きな音やまぶしすぎる光や激しい移動を過剰に繰り返すことで、精神疾患を含む不具合が生じやすい状態を経験します。なおかつ、才能を利用しようと群がる大人に囲まれ、部分しか見えない羨む人に嫉妬されまくるのです。

「あの人は才能があって、お金があって、子供もいて、大きな家もあっていいわよね」と羨むばかりなら、もう少し全体を見て相手を思いやれる大人に、生まれ変わりましょう。また、羨むことがその対象を苦しめる事実に気づいてください。