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うまくいかない人は、とことん主観的です。うまくいく人はその逆で、とことん客観的です。

例えば、電車であなたの隣に座った人が、貧乏ゆすりをして顔を赤くしているとします。そうすると「イライラしている」と決めつけて、そこから「ほら、今眉間にしわも寄せたし!」「舌打ちもしたし!」と、どんどん決めつけを強化していきます。どんどん隣の人に気を奪われて「いつになったら止むのかな?」「なぜイライラしてるんだろう?」「雨だからかな?えっ?今、一瞬わたしを見た?私のせい?さっき、傘の雨粒かかった?」のように、脳内は大忙しになります。そして、一度も確認をしないまま、仮説を事実とすり替えて、電車を降りる頃には「隣の人がイライラしていて、すごい不快だった!っていうか、わたしのせいじゃないし!」と思ったりするのです。これが、うまくいかない人が、秒単位で行っていることです。

うまくいく人は、隣の人が貧乏ゆすりをし顔を赤くしているのが見えても、「人の気持ちはわからない」にステイして、主観的にはなりません。(まして、わたしって人の気持ちがわかっちゃうのなんて、思いません)そして、読みたかった本を読んだり、調べたかったものを調べるような、自分の楽しみの追求に入ります。だから、電車を降りる頃には「あー楽しかった」となっています。

うまくいかなかった人はその後も「今日、電車でイライラしている人がいて!」と、誰かに話しては、何度も不快なことを思い出します。真新しい真っ白い時間を、不快で染めてゆきます。一方、うまくいく人は、その後もただ「人の気持ちはわからない」に留まっているから、一日の終わりを「あー楽しかった」や「充実してた~」で締めくくるでしょう。

怒りを覚えやすい、あるいは、怒っていると見られがちな人は、客観的に見れば、とびぬけて主観的だったりするのです。主観的であると、自分を大きく制限することになるから、そりゃうまくいきっこありません。主観的であり続ければ、あまりに多くを失います。さて、ここで一つ問題です「その瞬間、クジラは120度胴体からターンし、タンカーにぶつかることを避けた」この文章の中に、主観的なところはあるでしょうか?答えはうんと下にあります。





「避けた」の部分は、主観です。