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不快に酔う脳だと気付き始めると、同時に自分を庇い始める方がいらっしゃいます。「そうやって自分をまもってきたんですよね?」といった具合にです。

なぜ、自己憐憫が必要になってしまうのでしょう?なぜ、現実をそのままに受け取ろうとすると、そうやって慰めをセットで欲するのでしょう?

それは無自覚に自分を責めているからです。「不快に酔っていたなんて、ダメじゃないか!」という罵倒が、内で始まるから、その声を鎮火する必要が生まれるのです。

自分を責めるのは、常にジャッジをすることをやめられないからです。いいか悪いか、どちらかに分類しないと気が済まず、そのままにはしておけなくて、即座にどちらかのレッテルを貼ります。そうして、内をざわざわさせるのです。つまり、雑念を大量生産します。

ジャッジの裏には理想があり、自分をいつも理想に当てはめようとしています。つまり、自己否定が昼夜問わず続いています。

この状態で、レジリエンスがたかまるわけはなく、脆弱さが増し、怒りと恐怖も大きくなります。いつも否定されて、責められていたら、当たり前ですよね?自分の尊厳をまもる動きとは、真逆にここまで書いたすべてが位置しています。だから、自分の尊厳をまもりたい方は、真逆をやればいいということになります。そして何よりも、尊厳を奪われたとき、あるいは自ら放棄したとき、わたしたちは前には進めなくなります。