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職場の同僚とは仲良しになるために出会っているわけではなく、仕事を円滑に進める協力相手として出会っています。子供のPTAであうお母さん達とも、わかるよね!と共感しあうために出会ったわけではなく、子供がトラブルや怪我なく、義務教育を終えて、子供同士多少の喧嘩もしつつ仲良くなっていく経験をサポートするために、出会っています。

まずは、本来の目的と違うものを、相手に求めていないか、見直してみて下さい。つまり、職場の同僚と仲良くなれなくて当たり前だし、ママ友と共感しあう必要はそもそもないということです。つまり、さびしいから働き始めたり、さびしいからPTAに関わり始めたなら、その発想がおかしかったということです。その発想こそがあなたにさびしさをもたらしているということです。

次に、こうした何かの目的のために集まったメンバーだと、そもそもバックグラウンドも価値観もてんでばらばらになりやすいんです。ずっと同じ地域で育ったメンバーで、一緒にサッカーチームを作るような場合とは、その点わけがちがいます。目的で集まると、異文化度合いが高くなるということです。

そうなると、特にそれまで「同じ地域でずっと育ったメンバーでサッカーチームをつくる」ような異文化度合いが低い経験ばかり重ねていると、同じ時間を過ごせば自然と仲良くなって本音で話し合うといった流れになるという今までの経験を、それを異文化度合いの高いところにも持ち込んでしまいます。でもそれは、異文化度の低い中でのみ通用することでした。だから「あれ?」となって、さびしさを感じやすくなります。でもそれは、あなたの方の勘違いでもあるから、当たり前の展開なのです。

異文化度合いが高いなら、相手の文化を知っていく必要があります。そして「知る」で止めることです。そういう相手の文化に合わせれば、信頼どころか支配 vs 被支配の関係がはじまるので、ただきちんと知ることにフォーカスして、だからどうしようこうしようは始めないようにしましょう。

あるいは、異文化度合いの高い中では、他の人も戸惑っている可能性が高いと言えます。つまり、あなたと同じように寂しさを感じている人は、他にもいることを理解しましょう。他の人はわかりあえているのに、自分だけわかりあえないなら、さびしさにつながりますが、そもそも誰もわかりあえていなくて、全員さびしんぼだったとしたら、関わり方も自然と変わっていくでしょう。この場合も「他の人も孤独だったんだ。さびしいんだ。じゃあどうしよう」とは考えないで「同じようにさびしいんだ」で、止めてみましょう。