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世の中全体として、加害者に加担し、被害者は余計辛い思いをする流れが強まっていると思います。加害者が説明責任を果たさない一方で、被害者が過剰に説明責任を果たしていく場面が、いくらなんでも多すぎます。

これは、この社会に属する個々人の中で、内なるギャップが大きくなっていることを表しています。すごく穏やかな顔をして、人には全く怒らないで、でも腹の中には怒りや憎しみが渦巻くような状態の人が多いと言うことです。

自分の内側にある恐怖から逃れるために、そうやって肯定的に物事を捉えていくのです。例えば、嫌なことをしてくる人に「あの人は自分に自信がないから、あんな態度をとるんだろう」と理解したように演じたり、職場で自分にだけ挨拶をしない人に「あの人は私に嫉妬していて、冷たくするだけ」と、相手の怒りを封じ込めます。

自分に起きた事だけではありません。人に起きたひどいことを聞いたときに「加害者の人たちは、これこれこういう理由であまり理解していなかっただけかもしれないね」のような言い方をして、全体を鎮圧する人は同様の課題を抱えています。

怒る代わりに哀れんで、自分の感覚を感じる代わりに相手の感覚を推察して、置き去りにされた自分の身体の中では、怒りや憎しみが膨らみます。それを悟られないために、ますます良い人や穏やかな人を演じ、他人の感覚ばかり生きていくと、実績を積んでも自信は生まれず、魅力を表現することに葛藤を覚えるようになります。