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最近は、がめつい人が増えて、がめつさを賢さややり手と自己評価するという劣化ぶりを、マスコミが成功者として紹介していたりします。

がめついから、人間として当たり前にやるべきこともお金に換算しようとするし、そうやってお金を稼いだことを自分の価値として見せてしまうのは、自分の提供するサービスに中身がない証であるということに、気づけません。

例えば、祈ることは誰でもできますが、本当に繊細でバランスのとれた思考と体感をもった人が祈ることは、世界を変えてしまいます。そういう人が祈る裏には、協力してくれる神様を日々守って、その存在意義を時間軸を超えて理解し、目に見えない世界に人知れず貢献し、計り知れない大きさのものを背負って誰からも理解されないような苦しみの中にいつもいながら、人間性を高めた事実が横たわります。ですから、そこにお金が発生することは、人間としてもビジネスとしても、何ら問題がないことになります。

しかし、そういう存在とは程多い、がめつくてとんでもなく鈍い人も祈ることはできます。鈍さゆえにその影響について、自分では把握しませんし、似た者同士に囲まれて周りからもその正確なフィードバックを受け取ることはできません。それゆえに、祈ったことをお金が発生することとして捉えるというがめつさを、不安にも思えず、まっすぐ歩けてしまいます。類が友を呼んでいるので、周りから「あなたは裸の王様ですよ」と教えてもらうことすらできません。

祈りを注意を向けることとするなら、農家さんは夜間も育てている農作物を気にしているし、林業を営む方は毎日山を歩いては変化に対応しているし、教師は子供たちのことがいつも頭にあるといった話になってしまって、それをお金が発生していいことと捉えるのは、人間として最低限やるべきことを経済価値に換算してしまうという、人間が人間でなくなる道を切り拓くことになるのです。

例えば、水はみんなに必要なものだから、みんなが飲めるような安全な水を低価格で使えるようにしていた時代から、水も経済価値に換算されて買う時代になりました。この流れは、環境破壊を促進しています。地球環境の悪化を促進しています。そして、人間社会の劣化にも貢献しています。

がめつい人たちは、そんな風に地球環境を悪化させ、人間社会を劣化させ、周りに迷惑をかけることをリーダーシップの発揮だと捉えるという、とんだ過ちを犯しています。これは、魅力でも優れたリーダーの見せる影響力でもなく、単に劣化して迷惑をかけることしかできなくなり、人間が人間でなくなる道を切り開いた、そんな人間の姿です。より人が堕ちる方へ道を切り開くことは、その人のリーダーシップでも魅力でもなく、分別すらない異常性のあらわれです。