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自分の責任を取らずに来ている人は「大人としての正解はどれか」をいつも探って、その揺れがたゆまぬ迷いを生んでいます。「大人の必要条件を満たさないと」という不安にそれ以上巻き込まれないようにと焦ります。こうした正解や必要条件にむかう姿勢自体が、大人になりきれていないことを表しています。

例えば、結婚がらみでいうなら「年齢も年齢だし、そろそろ結婚するのが大人」「結婚してこそ一人前だから、結婚しておこう」「親もうるさいし、まぁ結婚していくか」は、すべて自分の責任を放棄している人の発想です。二人でいることでこそ叶えられるビジョンなどに引っ張られて、結婚という形をとるわけではないからです。

自分の責任で選択していない時点で、大人のすることではありません。同じように「欲望が少ない人に見られたいから」と、欲望を抑圧するのも、健全な大人がしないことです。健全な大人は、自分の深いところにある「人と調和したい」という欲求を知っています。「それぞれが好きなことをやっていくと、自然と調和していける力」を人間が兼ね備えていることを知っているのです。だから、自分の欲求を中心に動くことを恐れないし、そうしながらも欲望が小さくなっていくことを、理解できています。

つまり、例えば「寂しいから」と我慢しちゃうのは、大人ではない状態です。大人はその寂しさをリソースにします。「荷物持ちましょうか?」と提案して断れてさびしいときに「自分だからこういわれるのだ」と自分に恥を与えたりしないのが、健全な大人です。健全な大人は、その瞬間感じた寂しさを自分の中で「断られてさびしい」とちゃんと認められています。「ついでに〇〇さんと話したかったからさびしい」のように、口に出してもいいですね。それが、深いところにあるつながって調和していきたいという欲求を、満たしていく動きです。