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自分の普段着の価値観とよそゆきの価値観の見分けがつかない方は、よそゆきの価値観をもったつもりで酔っている自分を認識できていません。例えば「自然が大好き!」な自分だと思っているのだけど、自然に負荷をかけている自分のことはまるで認識できないケースなどが、該当します。

こうした場合、価値観以前に、ニーズが満たされていく必要がありますが、そこには目を向けないのです。例えば、ごはんは一日おにぎり1個にして、すきな舞台のチケットを買う学生のような感じです。(学生の場合は一時的にそうしているだけでしょうから、短い期間の一時的なものなら、もちろんOKです)

これをずっと続けてしまうと、満たすべきニーズを踏みにじって、実像ではない自分を形作るものへ時間とお金を情熱を傾けますから、実像の方の自分は非常にもろくなります。そして、失敗してもあるところまでは、このよそゆきに酔うやり方で、たまたま災厄を逃れることもありつつ、ある年齢を超えると、あらゆる災厄と直面し続けることになります。

ここで、失敗の力を生かしてこなかったそれまでの人生が、浮き彫りになってしまうのです。つまり、自分の実像に宿る尊厳を守らずに、虚像を守ってきたツケがここで回ってきます。