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日常における失敗、さらにその先で、人生における絶望さえ味方してくれるようになると、いつも堂々としていられるようになります。つまり、いつも堂々としていたいなら、失敗の力や絶望の力を使っていけるようになる必要があります。

例えば、会社を創業して初めはよかったものの、数年後には苦しくなってカツカツの経営が続いて、その後ちょっとメディアに取り上げてもらったら上向いて、でもまたその数年後にはさらに苦しい状態に入って、そのまま20年が経ったとします。そうするとまず、胸の中に浮かんでしまうのは「自分は経営者としてまずいなぁ」という思いだと思うんです。もっと言うと、廊下に立たされているような罰されているような辱めを受けているような、努力しているのになんでこんなにできないんだと、空元気にはなれても、どこか背中が丸くなるような感覚が「いつもの自分」になってしまうんです。

そんな風に、ごく平易にいうなら「できたら、堂々としていい」と、自分に言っている方は、ものすごく多いと思うんですね。もちろん周りからも「あの人経営者としてどうなの?」と思われているとしか思えないような態度をとられるなど、恥を与えられるから、余計にそういう思考に入りやすい条件は整っているでしょう。

そうしていると、堂々とすることに憧れもでるし、堂々とすることが与える印象の大きさも知っているから、さらに空元気にはなるようになって、でも演じていることを知っている自分の中では、ますます「できていないのに」という思いに、二重線がぐりぐりひかれてしまいます。

でも、一見華やかにも見える社長業の中で、一般にイメージだけが先行しがちな経営者という立ち位置にいながら、そういう乱高下があった中で、目の前の商談に集中していき、創業の思いを貫いてきたからこそ、ここまで何とかであっても、会社が続いているわけですよね。ニッコリ笑いながら、足はバタバタさせて、それが20年も続くってすごい体力と気力だと、思いませんか?それとも、同じことを、もう一度余裕でできると思いますか?

「あんなに辛いことをもう一度なんて嫌だ」と思えるなら「自分はここまでタフだったな」と誰がなんと言おうと、自分に伝えてあげましょう。そして、経営がもしかしたらちょっぴり苦手なまま、それでも堂々としていくのです。その先に、厚みのある成功がひらけます。